第40話 田村健太との出会い
その時、背後から声がした。
「ここでカメラを使うのは気をつけた方がいい」
振り返ると、そこには年配の男性が立っていた。七十代くらいだろうか。作業着を着て、工具箱を持っている。疲れた顔に、深い皺が刻まれていた。だが、その目には鋭い光が宿っていた。
「あなたは?」
「田村だ。田村健太。かつてこの遊園地の技術者だった」
ルカとクロは顔を見合わせた。廃墟のはずの遊園地に、人がいるとは予想していなかった。クロの右目の紋様が明滅し、警戒心を表していた。
「こんな場所に…何をしているんですか?」
田村は工具箱を開け、レンチを取り出した。その手は年齢を感じさせるほど節くれだっていたが、工具を扱う所作には確かな職人の技が見えた。
「メンテナンスだ。今夜は特別な夜になる。彼らが動き出すからね」
彼はメリーゴーランドの方を指さした。言葉に感情が込められ、手がわずかに震えた。
「動き出す…?」
「ああ。上弦の月の夜は、彼らが目覚める。特に今夜は満月に近いから、強い力が働く」
田村は木馬たちの方へ歩き始めた。ルカたちも後に続く。
「あなたはずっとここに?」
「いや、定期的に来るだけさ。特に月の満ち欠けに合わせてね」
彼は立ち止まり、遥か遠くを見る目をした。その眼差しには過去への強い郷愁が映っていた。遊園地の廃墟を前に、彼は何を見ているのだろう。かつての賑わい?それとも、消えてしまった誰かの笑顔?
「この遊園地が開園した日、私はまだ若かった。最初の技術者としてメリーゴーランドの設計に携わった。子どもたちの笑顔を見るのが楽しみだった」
田村の声には懐かしさと痛みが混じっていた。
「彼らは本当に...楽しそうだった。特にカナちゃんという女の子は、毎週のように両親と来ていた」
田村は一頭の木馬に近づいた。それは他の木馬とは違い、星の模様が彫られていた。彼は木馬の首を優しく撫で、微笑んだ。
「この子が特別なんだ。『願い星』と呼ばれていた馬だ。カナちゃんのお気に入りだった」
彼の表情が曇った。
「あの日…彼女がこの馬に乗っていた時に…」
クロがルカに小声で言った。
「それだ。あの木馬に欠片がある」
ルカはクロの声に気を取られながらも、田村の話に引き込まれていた。彼の悲しみには、何か重いものがあった。贖罪、懺悔、そして消えない記憶。
田村は木馬の首を撫でながら、何やら呟いている。「ごめんな」「本当にごめん」という言葉が聞こえた。木馬の目が、月の光を反射して一瞬、光ったように見えた。
「彼は…何かを背負っているのね」
クロは無言で頷いた。右目の紋様が不規則に明滅し、彼自身も何か思い出したかのように、遠くを見つめる目をしていた。
「田村さん」ルカは声をかけた。「この遊園地について、もっと教えてもらえませんか?」
田村は振り返り、ルカを見た。その目は深い悲しみを湛えている。
「君たちは、ただの好奇心で来たわけじゃないな」
「はい。私たちは…何かを探しています」
田村はため息をついた。
「そうか。『欠片』を探しているのだな」
ルカは驚いた表情を隠せなかった。
「知ってるんですか?」
「遊園地が閉鎖される原因になった事故の後、不思議な現象が起きた。メリーゴーランドの一頭の馬から、青い光が漏れ出すようになったんだ」
田村は星模様の木馬を指した。
「この子だよ。彼女が『願いの欠片』を守っている」
「なぜ…あなたがそれを知っているの?」
田村の表情が暗くなった。彼は工具をぎゅっと握りしめ、肩が震えた。
「私が…この遊園地で起きた事故の原因だからさ」
彼は静かに語り始めた。メリーゴーランドの事故のこと。設計ミスが原因で、回転中に木馬の一頭が外れ、乗っていた子どもが重傷を負った。その子こそがカナだった。
「私のミスだった」田村の声が震えた。「コストカットの圧力があって、強度計算を少し妥協してしまった。まさか本当に壊れるとは…」
その後も似たような事故が続き、遊園地は評判を落とし、最終的に閉鎖された。
「カナちゃんはどうなったんですか?」ルカが静かに尋ねた。
「二度と歩けなくなった。彼女の夢は、バレリーナになることだったのに」
田村の声が震えた。星模様の木馬の目が、再び光ったように見えた。その光に、ルカは見覚えがあった。声の欠片と同じ、淡い青の光。チヨの記憶の色だった。
「私の責任だ。だから、毎月ここに来て、メンテナンスをしている。特にこの子には」
田村は木馬の耳元で何かを囁いた。それは謝罪の言葉だったのだろうか。彼の優しい視線は、まるで生きた存在に対するもののようだった。
「贖罪…なんですね」
田村は静かに頷いた。夕日が完全に沈み、月の光だけがメリーゴーランドを照らし出していた。木馬たちの影が、月光の中でゆっくりと動いているように見えた。
「彼らはまだ、ここにいるんだ。事故に遭った子どもたちがね。特に月の夜は」
彼の目に悲しみと共に、どこか温かいものが灯っていた。
「カナちゃんは許してくれたよ。私の方が自分を許せないんだ」




