第4話 現像室と魂の残響
「デジタル? そんなわけないよね。魂は乾板かフィルムにしか映らないよ」
彼女はレンズを覗き、試しにシャッターを切る。カシャリ。空のフィルムに、霧の気配が写りそうな気がした。視界の端に、青白い光が漂う。
「…は、ないよね。自分で言ってて恥ずかしいな」
小さな笑みが漏れる。
現像室の空気が重くなる。ルカはフィルムを現像液に浸す。橋爪家秘伝の「霧露液」は、記憶を定着させる不思議な匂いだ。
「この匂い、嫌いじゃないけど…頭痛がくるんだよね。でも…この匂い……昔もどこかで……いや、思い出せない」
彼女は額を押さえる。液に記憶が溶けるたび、ほんの少し、ルカの心も削れる。感情を抑えるのは、それを防ぐ術だ。現像時の霧露液の匂いは、魂の感情を増幅させ、過度な感情は結晶を曇らせる。それが彼女の感情抑制癖を強化していた。写祓の代償から自らを守る防壁。
液面に目をやると、異変に気づいた。現像液の表面に青い結晶のようなものが映っている。「魂の欠片」の痕跡だ。手を伸ばすと、液面が波打ち、結晶は消えた。
「なに…これ?」
町の噂が耳に蘇る—「影写りの巫女が欠片を封じた」「黒い狐が記憶を盗む」。ルカは首を振り、考えを振り払った。
「感じすぎると、写せない。冷静に、ちゃんと写さなきゃ。それが私の仕事」
鏡が微かに震え、チクワが窓際で唸り声を上げた。猫の背中の毛が逆立ち、金色の瞳が闇を見通すように輝いている。それは鏡の一つを指すように爪を立てた。まるで何かの気配を追うように、鏡の前に立ち止まった。チクワは写し世の使者として、鏡や魂写機の揺らぎを感知していた。
「チクワ、なんか見てるよね? 教えてよ、ほんと頼むよ」
鏡を見ると、一瞬、誰かの姿が映った気がした。白い小袖に緋の袴を着た少女。だが目を瞬くと、鏡には自分の姿しか映っていなかった。
「気のせい…」
チクワは静かに瞬きし、もう一度鏡を見つめる。その金色の瞳が神秘的な青さで光った。
写祓——魂の記憶を浄化する儀式。今夜の魂は穏やかだ。ルカは35mmカメラを構え、老人ホームの依頼を思い出す。
「囁き声が聞こえる、って。怖がってるみたい。…落ち着いてほしいな」
彼女は小さく息を吸う。
「怖いのは、私の方かもしれないけど」
写祓に失敗すれば、囁き声が増殖し、現世に漏れ出す。居住者の恐怖が現実となる。それは絶対に避けねばならない。