第3話 開かれぬ扉の気配
「いつか…開けるときが来るのかな」
ルカは自室に入り、着替え始める。
「さて、着替えないと。仕事の時間だ」
タートルネックを脱ぎ、戸棚から巫女装束を取り出す。白の小袖と緋の袴、丁寧に畳まれた布が月光に映える。布から桜の香りがする気がした。
「この服、ちょっと窮屈だけど…気持ちが引き締まるんだよね」
ルカは髪を整え、袴の紐を結ぶ。鏡に映る自分に小さく頷く。
「よし、夢写師の顔。ちゃんとできてるかな」
微笑みが一瞬、浮かんで消える。一瞬、鏡の中に、巫女装束の誰かが立っていたように見えた。笑顔の少女。短い黒髪。目を瞬くと、そこにはもう誰もいなかった。
心臓が早鐘を打ち、胸の内から抑えきれない感情が溢れそうになる。何かを忘れている—そんな感覚に襲われた。記憶の欠片が迫り来る危険。ルカは深く息を吸い、感情を押し込んだ。
「気のせいよ…」
現像室へ降りる。土蔵を改造した「くらやみ」は、彼女だけの聖域だ。円形の部屋、壁の八つの鏡が月光を反射する。それぞれの鏡は写し世への門。天井の月見窓から銀の光が差し、床の魔方陣が浮かぶ。
扉を開けた瞬間、空気が変わった。重く、濃密になる。最初に聴覚がおかしくなる—自分の足音が遠く、多重に反響し、過去の誰かの足音と混ざり合う。これは時間の波紋、写し世の影響だ。続いて視界が歪む—鏡に映る自分の白い小袖が黒に、チクワの毛が青に変色する。写し世の色彩反転の法則。暖色(感情)は暗く、寒色(真実)は明るく映る。
「ちゃんと現像液を測って」「もう少し明るく撮りたいね」写し世の記憶が、音となって空間に滲み、それらの声の中に姉らしき柔らかな話し方が混ざっているようだった。
「ここ、なんだか別世界。霧が濃い夜は、いつもドキドキするんだよね」
ルカの呟きが、冷えた空気に響く。遠くで時間の軋むような低音が鳴り、彼女の耳を震わせた。今夜の依頼は病院からだ。老人ホームで囁く魂、穏やかな記憶の残響。
ルカは魂写機を棚から降ろさず、代わりに小型の35mm一眼レフを手に取った。穏やかな写祓なら、これで十分だった。強すぎる魂には大型カメラと湿板が必要だが、これは危険も伴う。失敗すれば自らの記憶が削れる。
「こういう時は、これで大丈夫。軽いから動きやすいし」
フィルムの巻き上げ音が響く。カチリ。