第22話 姉の部屋へ
「二階に行きたい」
クロは顎をしゃくった。その声には、抑えた感情が混ざっているように聞こえた。表情は見えなくとも、彼の姿勢からは明らかな緊張が伝わってきた。
「そうだね。姉の部屋...行かなきゃ」
階段を上がる足取りは重かった。古い木製の階段が軋む音に、ルカはかつて姉と一緒に上り下りした記憶の断片を感じた。笑い声と足音が、遠い記憶の彼方から響いてくるような錯覚。父のカメラを持ち上げて、母に写真を撮られる二人の少女。明るい日差しの中の記憶が、幽霊のように意識の表面に浮かび上がる。
「階段の三段目が軋むのよね...いつも」
言いながら、ルカは自分の言葉に驚いた。なぜそんなことを知っているのか。クロが立ち止まり、彼女を見つめる気配がした。
「記憶は戻りつつある。でも、まだ全てではない」
ルカは二階の廊下の突き当たりに立ち、深く息を吸った。そこには古い障子があり、ルカは日頃、その前を素早く通り過ぎていた。特に意識したことはなかったが、今考えると不自然だった。写真館の二階なのに、一度も開けたことのない部屋があるなんて。
「ここ...」
ルカの手が震えた。鼓動が早まり、胸が締め付けられる感覚。クロは静かに言った。
「その扉の向こうだ。お前が忘れていた記憶の一部が」
クロの声には奇妙な震えがあった。彼自身も、この瞬間に何かを恐れているように聞こえた。写し世の影響なのか、彼のコートの輪郭が一瞬揺らぎ、透明になったように見えた。彼の存在が現世と写し世の間で揺れ動いているかのよう。
「あなたはチヨと...何か関係があったの?」
突然の質問に、クロは明らかに動揺した。右目の紋様が不安定に明滅し、彼は顔を背けた。
「俺はチヨの...いや、今はその時じゃない。まずは記憶を」
その反応に、ルカは更なる疑問を覚えたが、それ以上は追求しなかった。記憶の扉を開ける前に、彼女は静江が渡した影写りの札を一枚取り出し、障子の隅に貼った。札が扉に触れた瞬間、薄く青い光が広がり、室内から漏れ出る写し世の気配が強まった。
ルカはゆっくりと障子に手をかけた。埃一つない戸だった。そう、自分は意識せず、この扉を何度も拭いていたのだ。部屋の存在は忘れていても、手入れだけは続けていた。まるで体が記憶していたかのように。




