第20話 旅立ちの決意
「それと…この欠片を」
クロは小さな袋を差し出した。中には青く光る小さな結晶。触れると微かに震える。欠片からは冷たさと同時に、不思議な温かさが伝わってきた。まるで生きているかのように。
「最初の欠片だ。『声の欠片』と呼ばれている。使えば、チヨの声を少しだけ思い出せるだろう」
ルカは欠片を受け取った。掌の上で結晶が脈打つように光る。
「代償は?」
「大切な人との『最後の会話』の記憶」
ルカは躊躇した。欠片を使えば姉の声を思い出せる。しかし何かを忘れる。この選択が、今後の旅の象徴なのだろう。代償を払ってでも、姉の存在を取り戻す価値があるのか。それとも、安全な無知のままでいるべきか。
「考えておきます」
クロは無言で頷いた。右目の紋様が微かに光を失い、彼の肩から緊張が抜けていくのが見えた。
「俺たちの旅は五つの廃墟を巡ることになる」彼は静かに告げた。「各地に眠る能動的欠片を集め、真実に近づく。そして最終的には…」
「姉を取り戻せますか?」
クロの狐面の下で、表情が揺れたようだった。彼は言葉を選ぶように間を置いた。青緑の霧が彼の周囲で渦を巻き、影が九つの尾のように揺れる。
「それはお前次第だ。記憶か、現実か」
「記憶を守るか、姉を救うかということ?」
クロは小さく頷いた。
「選択は、必ず訪れる」
「記憶が戻るたびに、新たな欠片の在処も見えてくる。写し世と現世が交差する場所——廃墟こそが、記憶と欠片が宿る場所だ」
ルカは空を見上げた。雲間から差し込む光が、わずかに霧を払っていた。懐中時計を取り出し、七時四十二分を指す針を見つめる。針が微かに震え、金属が脈打つのを感じた。
「写真館に戻りましょう」彼女は決意を固めるように言った。「まずは…姉の部屋を見たい」
胸の中でかすかに暖かいものが灯る。感情を抑えることに慣れたルカの中に、小さな希望が芽生えていた。遠くから時間の反響音が聞こえ、過去の約束が風に乗って囁かれるように感じた。
「これからの道は危険だ。写し世の記憶に触れるということは、自らの記憶も危機にさらすということだ。それでも...」
「行くわ」
ルカの瞳に決意の光が宿る。感情を抑えることに慣れた彼女が、初めて自分の意志を明確に示した瞬間だった。たとえ記憶の一部を失っても、姉を思い出すことは、彼女自身を取り戻すことでもあった。
クロは静かに頷き、ルカの横に並んだ。二人は霧の中を歩き始めた。過去へ、そして未知の未来へ向かって。
霧の先に見えない明かりを求めて。




