第16話 巫女の言葉
「橋爪の娘か。来るのが遅いね」
ルカは息を飲んだ。まるで自分の訪問を予測していたかのような口調だ。
「私を…ご存知ですか?」
「当然だよ。お前は夢写師の17代目」
老婆は茶を淹れながら、ルカを観察するように見つめた。彼女の手は年齢を感じさせるほど皺だらけだが、茶碗を扱う所作には厳格な美しさがあった。
「それに…」
静江は言葉を切り、じっとルカを見つめた。
「お前の姉も知っている」
姉——その言葉が空気を震わせた。ルカの頭に鈍い痛みが走り、呼吸が乱れる。クロの言葉が脳裏に浮かぶ。
「私には姉がいません」
言い切る声は、自分でも不自然に聞こえた。心臓が痛いほど早く打ち、掌に汗が滲む。何かが思い出されそうで、思い出せない感覚に襲われた。
静江は小さくため息をついた。
「座りなさい。お茶を飲みながら話そう」
老婆は茶を注いだ。香ばしい香りが立ち上る。ルカは震える手で茶碗を受け取った。熱さが指先に伝わり、わずかに現実感を取り戻す。
「あの男が来たんだね。黒い狐の面の」
ルカは驚いて顔を上げた。
「クロのことを知っているんですか?」
「ああ、知っているさ」
静江は窓の外を見つめ、懐かしむように目を細めた。
「十年前から、あの姿でここに何度も来ていた。お前の姉のことを、ずっと探していたんだよ」
ルカの手が震え、茶碗を取り落としそうになる。体の奥で何かが揺れ動く感覚。知らない記憶の断片が、強引に意識の表面へと押し上げられようとしていた。
「繰り返しますが」ルカは平静を装った。「私には姉はいません。両親も…」
「両親は早くに亡くなった。それは本当だ」
静江の声は柔らかくなった。
「だが姉は、確かにいた」
老婆は立ち上がり、古い桐箱を取り出した。埃を払い、床に座ったルカを前に、慎重に蓋を開ける。中には古い写真が一枚。
「これを見なさい」
写真には二人の少女が写っていた。十二、三歳のルカと、その横に立つ十七、八歳の少女。黒い髪に穏やかな笑顔。巫女装束を着ている。
ルカの指が写真に触れた瞬間、鼓動が跳ねた。頭に鋭い痛みが走る。夏の祭りの太鼓の音。扉の外、風の気配とともに風鈴が「チリン…」とひと鳴り。だがその音には、不思議と風の動きがなかった。そして「大丈夫、私がついてるよ」という優しい声。遠い川のせせらぎと、子どもたちの笑い声。見覚えのある顔。いや、見覚えがあるはずなのに、はっきりと思い出せない。
「これは…」
言葉が詰まる。ルカの視界が歪み、写真の中の少女の顔が霞んだり鮮明になったりを繰り返す。老婆の声が遠くなる。
「橋爪チヨ。お前の姉だ」