表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/119

第15話 影向稲荷への道

記憶に形があるとしたら、それは風に舞うフィルムのようだった。手に取れば、きっと破れてしまう。でも、目を逸らしたら、すべてが失われる。


影向稲荷への道は霧に埋もれていた。石段は苔むし、朱色の鳥居は痛んでいる。橋爪ルカは足を止め、呼吸を整えた。黒いコートの下で、心臓が早鐘を打っている。


「昔から来てたはずなのに…なんだか怖い」


ルカは小さく呟き、見上げた鳥居に手を伸ばす。指先が触れた瞬間、霧が揺らめき、色彩が反転した—鳥居の朱色が青緑に、自分の黒いコートが白く見える。一瞬の現象に、彼女は息を飲んだ。写し世の法則が、この場所でも作用している。特に古い神社では、現世と写し世の境界が薄く、時に色彩や音が反転することがある。何世代もの祈りと信仰が、場所そのものに記憶を刻み込んでいる。


霧の中から参道が現れた。かつて何度となく歩いたはずの道が、今日はどこか別の世界へと続いているようだ。ルカは掌に汗を握り、自らの意志を確かめるように前に踏み出した。静けさの中に、かすかな金属音が混じる。時間の軋みとも、遠い記憶の反響とも言えない音が、空気を震わせていた。


石段を上り切ると、境内が広がる。朝の霧で参拝客はまばらだ。手水舎で手を清め、本殿へと向かう。鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。これまで何百回と繰り返してきた動作なのに、今日は手が震える。


時計が七時四十二分を指す感覚—それは実在する記憶なのか、想像なのか。ルカは混乱していた。チヨの笑顔が頭をよぎり、胸が締め付けられた。


「橋爪さん、珍しいねぇ」


背後から声がした。振り返ると、神社の定例清掃をしていた年配の女性たちがいた。いつも写真館に立ち寄る常連だ。


「おはようございます。その…静江さんはいらっしゃいますか?」


女性たちは顔を見合わせた。


「静江ばあさんなら、奥の社務所にいるよ。体の具合が悪いの?」


「いえ、ちょっと…聞きたいことがあって」


ルカは曖昧に答え、社務所へと足を向けた。社務所は本殿の裏手、杉林に囲まれた小さな建物だ。ドアを叩くと、かすれた老婆の声が応えた。


「入りなさい」


室内は薄暗く、古い巻物や文書が積み上げられていた。年季の入った机の前に、銀色の髪を厳しく結い上げた老婆が座っている。静江は九十歳を超えているはずだが、背筋は真っ直ぐで、目には鋭い光が宿っていた。周囲の空気は不思議と静まり返り、外の世界の音が遮断されたように感じられた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ