第13話 夜の邂逅
その夜、写真館に帰宅途中の河内俊介は、街灯の下で不思議な光景を目にした。青緑色の狐の面をつけた長身の男が、彼の方をじっと見つめていたのだ。男は風のように静かに立ち、その目は河内の内側まで覗き込んでいるようだった。右目の紋様が硝酸銀の光を映して青く輝いていた。
「お前は...記憶を取り戻したな」
耳元で囁かれたような声。河内が息を呑むと、男は小さく頷いた。その仕草には、どこか悲しげな優雅さがあった。
「もう、忘れることはない」
男の面の下から、かすかに声が漏れた。「彼女は、俺と同じだな。失った記憶を...」その一言に、どこか深い孤独と共感が混じっていた。男の右目の紋様が再び輝き、河内の記憶に佐助の姿をさらに深く刻み込む。
一瞬の出来事で、目を擦ると男の姿は既になかった。残されたのは、心の奥に刻まれた不思議な安堵感だけ。河内は急いで帰路を急いだ。明日、写真館を訪れよう—忘れられていた叔父の姿を確かめるために。
翌朝、ルカは完成したティンタイプを封筒に入れながら、不思議な違和感を覚えていた。写祓は成功したはずだが、何か重要なものを見落としているような感覚。黒塗りの金属板に直接定着された佐助の姿は、鮮明でありながらどこか儚げだった。これが彼の「最後の肖像」となる。写祓の代償として、彼女自身のどこかの記憶が少し薄れたようにも感じた。それが写し世と向き合う者の宿命。写せば写すほど、自分が写し世に浸食される危険性が高まる。
窓の外は霧に包まれ、世界の輪郭がぼやけている。今にも雨が降りそうな灰色の空が、ルカの心模様を映している。
チクワは落ち着きなく窓辺を行ったり来たりしている。金色の瞳が何かを追い、時折低い唸り声を上げる。猫は突然、二階への階段を見上げ、けたたましく鳴いた。
「何?あそこに何かいるの?」
ルカが立ち上がると、チクワは階段を駆け上がり、廊下の突き当たりにある閉じられた部屋の前で鳴き始めた。
「何か来るね...」
そう呟いた瞬間、写真館の玄関で風鈴が鳴った。澄んだ音色が、静寂を破る。訪問者を告げる音。しかし予約の客は今日はいないはずだった。
ルカが正面玄関に向かうと、そこには長身の青年が立っていた。茶色のコートに身を包み、青緑色の狐の面を被っている。まるで昨夜の夢から歩み出てきたような存在感。彼の周りの空気が歪み、写し世との境界が揺らいでいるのが分かった。遠く、時間の軋む音が彼の周りで共鳴するように響いていた。
「橋爪ルカか。お前に用がある」
その声には、懐かしさとも嫌悪ともつかぬ微妙な揺らぎがあった。
落ち着いた声だったが、どこか二重に聞こえるような不思議な響きがあった。男女の声が混じり合ったような、この世のものとは思えない声色。その声に混じる微かな懐かしさに、ルカは思わず耳を澄ませた。