第11話 黒い狐の介入
名前を呼ばれることで、少年の姿がより実体化していく。肩から上が写真から抜け出し、実物の少年のように動き始めた。魔方陣の光が強まり、写し世と現世の境界が薄れていく。これは危険な兆候だった。写し世の存在が強まりすぎると、現実に影響を及ぼす。魂の強い思いが実体化すれば、それは怨念となり、現世を歪める。
ルカは動じることなく、四枚目の湿板をセットした。時間切れが迫っている。最初の湿板をセットしてから既に10分が経過していた。彼女の表情は冷静そのものだが、内側では様々な感情が渦巻いていた。哀しみ、共感、そして不思議な既視感。佐助の喪失が、彼女自身の中の穴と重なって見える。
「河内佐助。あなたはなぜ忘れられたの?」
「事故...川で...みんな見ていたのに」
少年の声はかすれていたが、次第に言葉になっていく。悲しみが滲む。
「僕が溺れたとき、誰も助けてくれなかった。怖くて...みんな目を背けた」
現像室の鏡が震え始めた。あらゆる方向から少年の姿が映り込む。悲しみと怒りが交錯する表情。溺れる瞬間、恐怖で固まる友人たち、そして彼の姿が水中に消える様子。記憶が鏡の上で再生されている。
「それで家族はあなたを...忘れることを選んだの?」
「違う!」
少年の声が突然大きくなった。空気が振動し、湿板が揺れる。硝酸銀の滴りが床に落ち、青緑の煙を発した。チクワが低く唸り、鏡の一つに向かって威嚇するように背を丸めた。
「違うんだ! みんなが忘れたんじゃない。あの人が...」
「あの人?」
ルカの心臓が早鐘を打ち始めた。何かが近づいている—彼女の理解を超えた存在が。未知の力の予感に、指先が震える。湿板の使用時間制限がもうすぐ。失敗すれば、河内家だけでなく、ルカ自身の記憶も危険にさらされる。ルカは集中力を絞り、感情の波を抑えた。
ルカは最後の湿板をセットした。「誰があなたを忘れさせたの?」
少年は口を開きかけたが、その瞬間、現像室の月見窓から異様な風が吹き込んだ。青緑色を帯びた風が渦を巻き、部屋の気温が一気に下がる。湿板コロジオンの不安定性が写し世の境界を揺るがせていた。チクワが激しく鳴き、体中の毛を逆立てた。少年の姿が波打ち始め、輪郭がぼやける。
「黒い...狐...」