第10話 忘れられた真実
少年の感情が高まるにつれ、現像液が沸騰し始めた。青みを帯びた泡が立ち上り、部屋に異様な香りが広がる。湿板のコロジオンが少年の強い感情を吸収し、硝酸銀の滴りが写し世の境界を不安定にする。チクワは低く唸り、毛を逆立てた。猫は何かを感じ取っているようだ。
「名前を教えて」
ルカは冷静さを保ちながら、少年に向き合った。写祓の途中で止めることは危険だと、本能が告げていた。湿板の15分制約が迫る中、彼女の集中力が途切れそうになる。
少年の口が開く。「忘れられた...」かすかな声が聞こえた。それは水中からの声のように、遠く歪んでいた。
「みんなが忘れるなら、私も忘れたい!」
少年の感情の爆発と共に、鏡の一つが軋む音を立てて割れた。ガラスの破片が床に落ち、チクワが鋭く鳴いた。写祓が危険な方向に進んでいる。このまま少年の怒りが溢れれば、写し世の亀裂から現世へと漏れ出し、河内家に災いをもたらすだろう。ルカは動じずに、三枚目の湿板をセットした。時間が迫る。冷静さを保つことが、すべての鍵だ。
「あなたの痛みを感じる。私も…誰かを忘れた気がするから」
彼女の言葉に、少年の怒りが一瞬和らいだ。遠く、時間の軋む音が響いた。
カシャリ。
光が閃き、少年の存在がより濃密になる。彼の周りの空気が震え、色彩が戻りつつある。瞳に感情が宿り、肌に血の気が戻ってきた。
「河内...佐」
ルカは眉を寄せた。少年の声は断片的で、苦しげだ。まるで重い水の底から言葉を押し上げようとしているかのよう。
「河内佐? 河内佐...助?」
少年の目に光が宿った。「佐助...そう、僕は佐助」