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第一話 人で無き者の寄り場

黒髪の少女の背中を追いながら、ひび割れた大地を踏みしめる。荒涼とした風景の中、空気は冷たく乾ききっていた。この場所には生命の気配どころか、温かさの欠片も感じられない。


「ねぇ、あんた、何か覚えてることないの?」


歩きながら、少女が振り返って問いかける。その軽い口調とは裏腹に、視線には鋭さがあった。


「…何も。自分の名前すら思い出せない。ただ、気がついたら暗闇の中にいて…それだけだ」


虚ろな声でそう答えると、少女は「ふーん」と呟き、ふと足を止めた。そして、こちらを見上げるようにして静かに口を開く。


「そう。まぁ、だいたいそんなもんだよね。でもさ、先に教えとくね」


一瞬、何を言われるのか身構えると、少女は軽く笑みを浮かべながら言った。


「私の名前はホオズキ。この国で私の名前を知らないのはちょっと不便だからさ、覚えておいて」


「ホオズキ…」


その名前を繰り返すと、彼女は満足げに頷いた。


「変な名前でしょ。でも、意外と悪くないと思わない?」


彼女の言葉の裏に何か意図が隠されているのか気になりつつも、それを問いただす余裕はなかった。ホオズキは再び歩き出し、私も自然とその背中を追った。


どれほど歩いただろうか。目の前に現れたのは、朽ち果てた駅の建物だった。壁には無数のひび割れが走り、屋根は崩れ落ちかけている。それでも、どこかから微かな人の気配が漂ってくる。


「ここは『きさらぎ』。迷い込んだ奴や、この国で行き場を失った奴らが集まる場所だよ」


「きさらぎ…って、あの“きさらぎ駅”のことか?」


驚きと不安が混じった声で問い返すが、ホオズキは答えず、駅舎の扉を押し開けた。すると、中から視線が一斉にこちらを向く。


目を隠した男、火傷で顔が焼け爛れた女。そのどれもが、人間とも怪物ともつかない奇妙な姿をしていた。


「また新しいのを連れてきたの?」


「ほーちゃん、拾ってくるの好きだよね〜!」


彼らの会話が耳に届く。何を言われているのか完全には理解できないが、明らかに歓迎されているとは思えない。


「名前も記憶もないけど、少なくとも生きてるっぽいよ」


ホオズキは肩をすくめてそう言うと、周囲の視線はすぐに薄れ、それぞれが元の会話に戻っていった。


「なんだ、ここは…」


恐る恐る呟くと、ホオズキが振り返り、悪戯っぽく笑った。


「これが怪異の国での普通ってやつ。慣れれば居心地いいもんだよ」


その言葉を信じる気にはなれないが、彼女が向かう先へと歩みを進めるしかなかった。きさらぎ駅の奥に進むと、薄暗い待合室のような場所にたどり着いた。外の冷え切った空気とは違い、ここには微かだが人の温もりを感じる。とはいえ、目に映るのはどれも得体の知れない存在ばかりだった。


壁際では、水死体のような肌をした何かが静かに佇み、奥のベンチでは、額に二本の角を生やした女が壊れたラジオをいじっている。ホオズキは軽い足取りで部屋の中央に進むと、振り返りながら言った。


「ここがきさらぎの中心部。まぁ、あんたみたいな迷子が一旦落ち着ける場所ってとこかな」


「…落ち着けるのか」


皮肉を込めて呟いたが、ホオズキは気にする様子もなく笑みを浮かべた。


「そう。見た目はアレだけど、ここにいる奴らは基本、悪いことはしないよ。ただ…」


ホオズキの声が一瞬途切れる。彼女の表情が僅かに険しくなった。


「お互い干渉しすぎると、どうなるかは保証できない。だから、深入りしないのが基本。分かった?」


その言葉に、居場所のない異様な緊張感がこの場を支配しているのを感じた。


「…わかった」


私がそう答えると、ホオズキはうんうんと満足げに頷き、近くのテーブルを指差した。


「とりあえず、ここに座って。あんたのこと、少し話しておきたいから」


言われるがままに席につくと、ホオズキもその向かいに腰を下ろした。


「さて。記憶がないってことだけど、本当に何も思い出せないの?」


「…あぁ。名前も、生きてた頃の記憶も、何一つ。」


ホオズキは頷きながら、少し考え込むような仕草を見せた。そして、目を細めてこう言った。


「じゃあ、こうしよう。あんたがここにいる理由、少しずつ探してみよう。もしかしたらこの国にいる他の連中が何か知ってるかもしれないしね」


「理由…か」


その言葉に実感が湧かないまま、私は曖昧に頷いた。しかし、ホオズキの言葉には確信があるように思えた。


その時、待合室の奥から低い声が響いた。


「ホオズキ、今度は何を拾ってきた?」


声の主は、額に二本の角を生やした女だった。ホオズキは振り返り、その女に軽く手を振る。


「ただの迷子だよ。記憶も名前もない奴。まぁ、よくあるパターンだけどさ」


女は鼻で笑い、興味を失ったように肩をすくめると、再び壊れたラジオに視線を戻した。


「…ねぇ、ホオズキ。ここにいる奴らは、どうしてみんなこんな風に…」


思わず漏れた問いに、ホオズキは少しだけ目を細めた。


「それは、この国に来る理由があるからだよ。それぞれ何かを抱えて、ここに流れ着く。私だって例外じゃない」


「お前も?」


驚きに目を見開くと、ホオズキは少しだけ口元を緩めた。


「うん。けど、その話はまた今度にしよう。今は、あんたの方が優先だからね」


曖昧に笑う彼女の背中には、どこか哀しみを感じさせる影が揺れていた。

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