10月9日。またあの場所で
これは彼らの過去のお話
「彼は神隠しに遭った」
伊織心也が姿を消したあの日、大人たちはそう言った。
まるで、それが真実かのように。
——まるで、彼の存在を都合よく消し去るための言葉のように。
神隠しなんて、ただの幻想だ。本当はみんな知っている。彼はきっと死んだのだと——そう思っている。
けれど、僕は違う。彼は生きている。
あの夜、彼の隣にいたのは僕だから。誰よりも、僕が知っている。
彼はこの世界のどこかにいる。そう信じて、僕は探し続けた。
藍の夜。
あの夜は、ひどく静かだった。月が雲に隠れ、夜の闇がいっそう深まるなか、僕と彼は並んで歩いていた。
いつもの帰り道。
「なんだか、今日はやけに静かだな」
ふと彼が言った。その声がやけに遠く聞こえたのを覚えている。
何か言い返そうとした瞬間——
ひゅう、と風が吹いた。
冷たく、鋭い風だった。
気づけば、僕の隣にいたはずの彼がいなかった。
「心也?」
呼んでも、応えはなかった。
そこにいたはずなのに。さっきまで、確かに隣にいたのに。
彼は、まるで夜の闇に溶けるように消えた。
ーーー
「大丈夫。きっと見つけ出してみせるから」
そう言って、大人たちが建てた墓に語りかける。
彼とは似ても似つかない、無機質な石の墓。
けれど、その冷たさだけは、少し彼に似ていると思った。
——心也は、冷たい人間だったわけじゃない。ただ、少しだけ、人より静かで、口数が少なくて。
それでも、優しくて、誰よりも思いやりがあった。
だから僕は信じている。彼がどこかで生きていることを。
ーーー
眠って、起きて、探して、帰って、また眠る。
それが僕の日常になりつつあった。
大人たちは口を揃えて「学校へ行け」と言う。
だけど、そんな暇があるなら彼を探したい。
「死んだ人間は戻らない」
そう言われるたびに、喉の奥がぎゅっと締めつけられる。
彼は死んでなんかいない。
僕が信じる限り、彼はきっと、どこかにいる。
ーーー
久しぶりに、学校へ行ってみた。
一ヶ月ぶりの教室。
そこには、もう彼の痕跡すら残っていなかった。
彼の机も、椅子も、名前すらも、何もかもが消えていた。
まるで最初から存在しなかったみたいに。
僕の知っている心也が、まるで"いなかったこと"にされている。
「忘れるって、こんなに簡単なことなんだね」
教室の片隅で、ぽつりと呟く。
みんな、彼のことなんてもう忘れてしまったんだ。
だから、僕が探さなきゃいけない。
誰よりも優しかった彼を、僕だけは忘れたくない。
ーーー
冷たく沈黙を守る石の墓のそばに、彼が好きだった月下美人の花を三輪添える。
月下美人——夜にだけ咲く、儚い花。
彼が好きだった花。
「夜にしか咲かないなんて、まるで私みたいだな」
そう言って、心也は笑った。
彼は、ほんの一瞬しか咲かない花が好きだった。
だから僕は、今日もこの花を供える。
そして今日も彼を探し続ける。
寂しいけれど、大丈夫。
僕は君を見つけるまで、ずっと探し続けるから。
だって、君のことが好きだから。
いつか君を見つけた時は——
その時は、好きなんて言葉じゃなく、「大好き」を伝えたいな。
ーーー
……ごめんね。結局、見つけられなかったよ。
本当は、ただ信じたくなかっただけだったんだ。
彼がもう、この世界のどこにもいないということを。
ポケットの中の小瓶が、かすかに揺れる。
掌に載せると、月の光を浴びた透明な液体が、静かに光を反射した。
彼がいない世界に、もう僕がいる意味なんてない。
——あの夜の続きを、迎えに行こう。
「大丈夫。もうすぐ、そっちへ行くから——」
瓶の蓋を、そっと開けた。
夜風が、静かに頬を撫でる。
藍の夜は、相変わらずひどく静かだった。




