第十二話 仮の名
気がつけば、駅のホームにいた。
「……戻された?」
ホオズキは辺りを見渡しながら呟く。駅の古びた電光掲示板は点滅しており、電車が来る気配はない。リムも隣に立っていて、その後ろにはカダーヴェレの一人、シタキリが目を丸くしてこちらを見ている。
ーーだが、彼はいない。
森ではぐれ、どうにか元の場所に戻されたものの、肝心の彼の姿はどこにもなかった。
「探しに行かないと」
ホオズキが言うと、リムも頷いた。
「ねぇ、その彼って人!呼ぶときに名前がないと不便じゃない?」
シタキリがそう口にした瞬間、リムが「確かに」と頷く。
「ホオズキ、何か考えてる?」
「……クラーレとか」
「安直では?」
リムが苦笑する。
「いいと思うけどなー。私らなんか死因が名前になってるんだよ? それよりはマシでしょ〜」
シタキリが肩をすくめながら言った。
「それもそうだね……じゃあ、他に候補は?」
「エスト、とか」
「クスリ」
「却下」
リムとホオズキの声が同時に響き、クスリと提案したシタキリが「えー」と不満げに口を尖らせる。
「クラーレもいいけど、エストも悪くない」
リムが腕を組みながら言う。
「では、両方つけたらどうでしょう」
「エスト・クラーレ……?」
ホオズキが呟くと、リムが「響きはいいですね」と頷いた。
「決まり〜?」
「決まり」
こうして、彼の仮の名は エスト・クラーレ に決まった。
「さて、エストを探しに行こうか」
ホオズキは前を向く。彼がどこにいるのかは分からないが、迷っている時間はない。彼を見つけるために歩き出す。駅のホームを降り、周囲を見回す。薄暗い街灯がぼんやりと光を落とし、静寂が辺りを支配していた。
「どこから探しましょうか?」
後ろからひょこりと顔を出し、リムが問いかける。ホオズキは少し考え、視線を森の方角へ向けた。
「森にはもういないと思う。でも、あのままどこかへ放り出されたなら……この駅に近い場所にいる可能性が高い」
「うーん、駅の周りを探してみるのが手っ取り早そうだね」
シタキリがホームの端に歩み寄り、線路の向こう側を覗き込む。
「夜の駅って、不気味だよねぇ。幽霊とか出そう」
「それを言うなら、皆も似たようなものではないでしょうか?」
リムが冷静に指摘すると、シタキリは「まあ、そうなんだけどさ」と苦笑いを浮かべた。
(こいつ……いつの間にか着いてくることになってるな……)
ホオズキはシタキリを一瞥してひとつ息を吐き、足を踏み出した。
「とりあえず、改札の外に出てみよう。もしエストが近くにいるなら、何か手がかりがあるかもしれない」
三人は駅舎を出るべく歩き出す。夜の空気はひんやりとしていて、どこか静謐な雰囲気を漂わせていた。
「……!」
ホオズキの耳に、小さな音が届いた。何かが地面を引きずるような、湿った音。駅舎の影、暗がりの向こうから聞こえてくる。
「何かいる……!」
ホオズキが立ち止まり、緊張した面持ちで声を落とした。リムとシタキリも気付いたのか、慎重に身構える。やがて、闇の中からぬるりとした何かが姿を現した。
「……なんだ、これ」
薄暗がりの中、青く揺らめく炎のようなものが蠢く。人の形をしているが、異様に大きい何かを持ち、顔は朧げでよく見えない。
「……まさか、エスト?」
シタキリが呟いた瞬間、青い影が微かに揺れる。ぬるりと動いたかと思えば、何かを引きずるような音が響いた。
コン、コン。
それは以前、森の奥で聞いた音と同じだった。まるで、何かを叩くような音。ホオズキは反射的に身構え、影の主を見据える。闇の中から、少しずつ近づいてくる者がいた。そして、月明かりが、その姿を照らし出す。
「……やっぱり、お前か」
ホオズキの声が冷えた。現れたのは、一人の中性的な顔立ちをした何かだった。黒いパーカーを羽織り、顔の大半は影で隠されている。その手には長い鎌が握られ、地面の出っ張りにより鎌が床を突くたびに、あの音が鳴る。
コン、コン。
「……久しいなァ」
低く響く声。リムとシタキリが警戒し、身構える。
「……知り合いですか?」
リムが小声で尋ねるが、ホオズキは答えずに相手を睨みつけた。
「お前こそ、なぜここにいる?」
ホオズキの問いに、それは茶化すように静かに微笑んだ。
「さて、なーぜだ」
その答えに、ホオズキは無言で息を吐いた。これがただの通行人ではないことは分かっている。そして、ここに現れた理由も、単なる偶然ではないはずだ。
「まさか……エストと関係が?」
シタキリがぽつりと呟くと、それは少しだけ首を傾げた。
「エスト……? ああ、あの少年のことか!」
「知ってるのですか!」
リムが一歩前に出る。しかし、男は答えずにゆっくりと鎌を持ち上げた。そして、持ち手を下に向けコツンと地面に軽く叩きつける。その音が響いた瞬間。周囲の景色が、ほんのわずかに歪んだ気がした。まるで、何かが始まる前触れのように。