第十話 相応しくない
リムに教えられた通り、私は薬草を丁寧に煮出し、簡易的な薬湯を作った。小さな鍋の中で湯がぐつぐつと煮立ち、苦い香りが小屋の中に満ちていく。
「できたぞ。少し冷ましてから飲ませる」
リムが布を使って薬湯を濾し、小さな器に注ぐ。湯気がゆらゆらと立ち昇り、その匂いを嗅いだホオズキが鼻をひくつかせた。
「うわ〜、苦そ。でも効きそうだね」
私は彼女の傍に座り、器を持ち上げる。
「飲めるか?」
彼女は薄く目を開け、かすかに私を見つめたあと、ゆっくりと頷いた。そっと背中に手を添え、上体を起こす。彼女の身体はまだ熱を帯びていた。
「少しずつでいいからな」
器を唇に当て、慎重に薬湯を流し込む。彼女は顔をしかめながらも、ゆっくりと飲み込んだ。
「……苦い……」
「我慢しな」
ホオズキが横から言うと、彼女は小さく頷き、そのまま私に寄りかかる。私はそっと彼女の額に手を当てた。さっきよりも熱は少し引いているようだ。
「このまま休めば、明日には良くなるでしょ」
ホオズキが薪をくべながら、ちらりと私を見た。
「それにしても、不思議だな。なんでこいつに名前を呼ばれてたんだ?」
「……それは、俺にも分からない」
彼女が私のことを「心也」と呼んだ理由。それが単なる人違いなのか、それとも別の意味があるのか。どちらにせよ、今は彼女が回復するのを待つしかない。リムが静かに息を吐いた。
「明日になれば、彼女も少し話せるかもしれません。その時に真実が分かるでしょう」
「……そうだな」
私は彼女の寝顔を見つめ、小さく頷いた。夜が更けるにつれ、小屋の中は静寂に包まれる。薪が燃える音だけが時折パチパチと響き、温かな光が壁に影を揺らしていた。彼女は深い眠りについたのか、規則正しい寝息を立てている。
「さて、私たちも少し休んだほうがいいね」
ホオズキが大きく伸びをしながら、隅に腰を下ろす。リムも頷きながら、余った薬草を慎重に布に包み、荷物の中へしまった。
「私が先に見張りをします。交代で休みましょう」
「悪いな、頼む」
私は背中を壁に預け、ゆっくりと目を閉じた。火の暖かさが全身を包み込み、次第に意識が遠のいていく。
――どれほど眠っていただろうか。
微かな気配に目を覚ますと、隣で眠っていたはずの彼女が、いなかった。私は弾かれたように立ち上がる。
「ホオズキ、リム!彼女がいない!」
私の声に、ホオズキとリムもすぐに目を覚まし、警戒しながら辺りを見回した。
「は? 外に行ったの?」
「待ってください、足跡があります……あっちです」
リムが床の上の小さな足跡を指さす。彼女は確かに小屋の外へと出て行ったようだ。私は急いで扉を開け、冷たい夜の空気の中に飛び出した。月明かりに照らされた森の中、微かな気配が感じられる。まるで森そのものが彼女を導くように、木々が揺れ、ささやくような音を立てていた。私は直感に従い、森の奥へと足を進める。ホオズキとリムも無言でついてきた。やがて、木々の隙間からほのかな光が見え始める。そこには、大きな木がそびえ立っていた。
あの時の木。その根元に、彼女がいた。
「……?」
彼女は静かに木に触れていた。月光に照らされたその姿は、まるで森と一体になったかのように見えた。
「トレエ……」
彼女のかすかな声が、夜の静寂に溶け込む。私はそっと彼女に近づいた。彼女の指先が大樹の幹に触れた瞬間、木全体が淡い緑色の光を放ち始める。
「……トレエ?」
彼女が囁くようにその名を口にすると、その光は風となり、私たちの方へ向かってきた。
「はぁ?!」
「っ!心也!」
彼女が私に向かって伸ばした手を、咄嗟に掴もうとする。だが、その手を掴んだのは、あの時とは違う、酷く冷たい目をした木の精霊だった。
「お前のような者は、この子に相応しくない」
次の瞬間、吹き荒れる風が全身を叩きつけるように襲いかかった。木々が軋む音と共に、空気が渦を巻き、私たちを押しのけるように包み込む。
「くそ、なんでこうなったんだ……!」
ホオズキが腕で顔を覆いながら叫ぶ。リムは必死に足を踏ん張るが、強風に煽られ、ぐらりと体勢を崩した。木の精霊が冷ややかに目を細める。
「この子は私が預かる。お前が全てを思い出す、その時まで」
その言葉と共に、風がさらに勢いを増した。
「っ……春日!」
彼女は驚いたような顔で私を見た。しかし、次の瞬間――
ドンッ!
強烈な突風が身体を弾き飛ばす。
「ぐっ……!」
視界が歪み、地面が遠ざかる。私はまるで紙切れのように空中を舞い、木々の間を突き抜け――そして、森の外へと叩き出された。
「……っ!?」
背中から地面に叩きつけられた衝撃で、肺の空気が押し出される。
「……ホオズキ!リム!」
必死に声を上げるが、二人の姿は見えなかった。風の音が止み、森は静寂に包まれる。私はふらつきながら立ち上がる。だが、森の奥へと続いていたはずの道は、そこにはなかった。
「……嘘だろ……?」
春日がいた場所だけが、すっぽりと消え失せていた。私は力なく膝をつく。まるで、最初から春日などいなかったかのように、ただ静かな森が広がるばかりだった。