第九話 疲労
私は彼女の言葉に何と返せばいいのか分からなかった。ただ、胸の奥に何かが引っかかる感覚だけが残っていた。しかし、次の瞬間、彼女の身体がふらりと傾いた。
「……っ!」
私は慌てて手を伸ばし、彼女を支えた。肩にかかる重みが異常に感じられる。顔を覗き込むと、彼女は青白い顔をしており、呼吸も荒い。
「おい、大丈夫か?」
ホオズキが近づいてきて、彼女の額に手を当てた。
「熱い……随分無理してたみたい」
リムも心配そうに眉を寄せた。
「ここで休ませるのは危険です。精霊がいるとはいえ、長居はできません。どこか安全な場所を探しましょう」
「そうだな……」
私は彼女を背負うことにした。彼女の身体は思ったよりも軽く、力が抜けているのが分かった。いったい、どれだけの時間をここで過ごしていたのか。
「ホオズキ、近くに休める場所は?」
「うーん……ちょっと歩くけど、小さな廃屋があるよ。そこなら風をしのげるかも」
「よし、そこに向かおう」
私たちは森の奥へと足を進めた。霧が少しずつ晴れ、古びた木造の建物が姿を現した。屋根は崩れかけていたが、壁はしっかりしている。とりあえず雨風はしのげそうだった。中に入ると、埃っぽい空気が鼻をついた。しかし、今は贅沢を言っている場合ではない。私はそっと彼女を床に寝かせ、ホオズキが持っていた水筒を差し出した。
「とりあえず水を……」
彼女は微かに目を開き、私の顔を見つめた。そして、かすれた声でつぶやいた。
「……心也……」
私は言葉を失った。このまま、彼女の話を聞くべきなのか。それとも、まずは彼女の体力を回復させることを優先すべきなのか。
「とにかく今は休んでくれ」
彼女の手をそっと握ると、微かに頷いた。そして、そのまま静かな寝息を立て始めた。私はふぅと息を吐き、リムとホオズキに視線を向けた。
「さて……彼女が回復するまで、俺たちも何かしないとな」
ホオズキが腕を組み、考え込む。
「この小屋の周り、少し探索してみないか? 何か役に立つものがあるかもしれない」
「そうだね、食料や薪があれば助かる」
「では、私は何か役に立つものを探してきます。彼女の熱を下げるものがあればいいのですが」
リムが森へと向かうのを見送り、私とホオズキは小屋の周囲を調べ始めた。小屋の周囲は思ったよりも静かで、風が木々を揺らす音だけが響いていた。私は周りを見渡しながら、何か使えそうなものがないか探した。ホオズキは小屋の裏手へと回り込み、薪になりそうな枝を拾っている。
「おい、こっちに少し乾いた木がある」
ホオズキの声に振り向くと、彼女の足元には何本かの木の枝が転がっていた。私はそれを拾い上げ、手で折ってみる。確かに、乾燥していて薪として使えそうだった。
「助かる。これなら火を起こせるかもしれないな」
「問題は、火種があるかどうかだけど……」
ホオズキは懐から火打ち石を取り出し、軽く指で弾いた。
「ま、何とかなるでしょ」
私は小屋へ戻り、薪を床に置いた。リムがまだ戻ってこないが、彼が見つけたもの次第では、彼女の回復を早められるかもしれない。
「心也……」
ふいに、小さな声が聞こえた。寝かせていた少女が、薄く目を開けて私を見ていた。顔色はまだ悪いが、少し意識がはっきりしてきたようだ。
「お前……少しは楽になったか?」
「……うん……」
彼女は微かに微笑んだが、その瞳にはまだ疲労の色が残っている。私は水筒を手に取り、彼女の口元にそっと当てた。
「少しでも飲んでおけ。楽になるはずだ」
彼女はゆっくりと頷き、一口飲み込む。喉が渇いていたのか、すぐにもう一口欲しそうにした。
「ありがとう……」
その言葉に、胸が少しだけ温かくなった。彼女が何者なのか、なぜ私を「心也」と呼ぶのか、まだ分からないことばかりだ。しかし、今はそれを問い詰める時ではない。
「今はゆっくり休め。お前が元気になるまで、俺たちが何とかする」
彼女は静かに目を閉じた。私は彼女の寝息を確認すると、ホオズキと顔を見合わせた。
「夜になる前に、火を起こしておかないとな」
「そうだな。ここは思ったよりも冷えるし、あいつのためにも暖かくしてやらないと」
私たちは薪を組み、ホオズキの火打ち石で火をつける準備を始めた。やがて、リムが森の奥から戻ってきた。その手には、大きな葉と小さな果実がいくつか握られていた。
「熱を下げる効果のある薬草が見つかりました。これを煎じて飲ませれば、少しは回復が早くなるかもしれません」
「助かった、ありがとう」
私は受け取った薬草を見つめ、彼女のために何ができるかを改めて考えた。この夜が明けたら、きっと彼女はもう少し話せるようになるだろう。その時、すべてを聞くことができるだろうか。