二話 罪なき自首
李翆の不吉な予告が的中?中華風宮廷ミステリー「いねむり官吏の推理指南」第二作!
翌日も李翠は書庫でいねむりをしていた。しかし俊英は構わず叫ぶ。
「翠殿!」
ううんとばかりに伸びをした李翠はあの瑪瑙色の瞳で俊英をにらむ。
「翠と呼べ、と言っただろうが」
それどころではないとばかりに、俊英は声をはりあげる。
「わかった。翠、昨日の武官が亡くなった。あの後、家で嘔吐を繰り返してな。意識がなくなりまもなく亡くなったそうだ」
「やはりか」
翠が小さくため息をつく。その様子に俊英は憤る。
「気づいていたのになぜ止めなかった!」
「止められるはずがない。あの状態では」
悲しげに目を伏せる翠に俊英はやっと我に返る。だがまだ納得がいかない。
「だが死因があの麺とは」
「どういうことだ?」
翠の問いに俊英は答えた。
「噂を聞いた麺屋のあるじが自首してきたのだ。ニラと水仙を間違えたかもしれないと」
翠が驚いたように立ち上がる。
「たしかにこの時期、水仙を自生するニラと誤って採取するものがいる。しかし水仙の毒はさほど強くないし、嘔吐しても死に至ることはまれ。何より死んだ武官はほとんど口にしていないぞ!」
「ああ。だが俺は下位文官の上、なじみの客だから信用してくれぬ。何より自首してきたとあってはな」
そういった途端、翠が身支度をし、書庫を出ていこうとする。
「証人として刑部に来てくれるのか?」
「いや。死んだ武官の家へ行く」
思いがけない翠の言葉に俊英はおどろき尋ねる。
「だが、まだ遺体の検分も終わっておらぬ」
俊英をふりかえると翠はにやりと笑った。
「いや遺体はもう家に戻っているはずよ」
*
翠は既にあの武官の家を調べていた。名は凌裕、さほど大きな家ではない。そこにひとが多く集まっているのは葬式の準備が始まっている証拠だ。俊英は憤る。
「まだ検死が……」
そう言いかけた俊英の口を翠がその細い指で押さえる。そのまま、泣いているものたちの中心にいる壮年の女に近づき、丁寧に礼をする。
「わたくし宮廷から参りました李翠と申します。このたびは本当に……」
そういうと翠は袖でその大きな瑪瑙色の瞳を覆う。これだけで壮年の女はぼろぼろと泣き崩れた。
「お母さま、お気を確かに」
女はうんうんとうなずく。的確に母親をあてるだけでなく、その背を丁寧にさすってやる翠に、俊英は呆れながらも黙って付き添う。母親が落ち着いたところで、翠があの澄んだ声でおだやかに問う。
「ご子息は、嘔吐を繰り返したうえ亡くなったのに事件性はないと返されたとか?」
翠の澄んだおだやかな声にうながされ凌裕の母親が答える。
「その通りでございます。自首したものがいるという噂ですのに、刑部を名乗る方に息子をつき返されまして」
「まさか!そいつは……」
刑部ではないと言いそうになり、またもや俊英は目で制される。翠はにっこりと母親に微笑む。
「それは宮廷としても悲しいこと。わたくしにも医学の知識が多少なりとはございます。もしよろしければご子息のご遺体を拝見しても」
とたんに母親が声をはりあげる。
「もちろんです!それで本当のことがわかるなら」
「そうだ!そうだ!こんなのはおかしい!」
これに母親だけでなく親族も声をあげ、翠を棺へと連れていく。不安になる俊英をよそに、翠は驚くほど手際よく遺体をあらためていく。すぐに翠が声をあげた。
「これは……!」
ある程度予想していたのだろう。見れば背の上部にはっきりと太い縦のあざがある。翠は近くにいた俊英へと目線を移す。
「この位置にあざがあるということは」
翠の問いに俊英も翠にあわせて答える。
「柱にぶつかったあとだな。この位置ならば頭も強く打ったであろう。すぐ処置をしておけば……」
俊英の答えに周りがざわめいた。しかし言っていることは芝居ではない。この男が兵部なら訓練などで頭を打つことはある。
だが麺の味がわからないほどの味覚障害、嘔吐、意識混濁からの死……
兵部ならわかるだろう。頭を打った後は安静にし状態を観察しなければならない。後からこのような症状が出ることもあるからだ。
それを隠しておきたいのは……
俊英が唇をかみしめたその時だった。表から大きな声がかかる。
「おまえたち、何をしている!」
*
声の主は兵部の最上官、兵部尚書だった。後ろには医官らしき男が従っている。翠が丁寧に手を組み礼をする。
「兵部尚書ともおあろうお方にわざわざご足労いただけるとは」
「部下の死を悲しまぬものなどいないだろう」
「事件性はないとのことですが、医官が遺体をあらためたのでしょうか」
翠に突然話を振られ、医官らしき男が口ごもる。俊英は我慢できずに叫んだ。
「刑部は遺体をあらためる暇もなかったぞ!」
途端に小さな家が大きくざわめいた。刑部の人間がつき返してきたのに、遺体をみていないとはどういうことか。兵部で何があったのか。兵部尚書が真っ赤になって叫ぶ。
「兵部のことは兵部で始末するだけ!何より刑部に我を裁く権利などない!」
その答えに、翠がにっこりと笑った。
「ですが、そうでない方もここに来ているようですよ」
気がつけば家は兵に取り囲まれていた。そのままじりじりと兵部尚書を取り囲む。最上官の兵部尚書を裁けるのは大理寺。いったいいつ手配したのか。俊英が翠へと問う前に、まず医官の膝がくずれた。
次回は20:00更新!