一話 予告された死
李翆の不吉な予告が的中?中華風宮廷ミステリー「いねむり官吏の推理指南」第二作開始!
「うまいのお」
うまそうに大口を開けて麺をすする目の前の小柄な男を、俊英はあきれたように見つめた。
「お前は寝ているか、食べているかだな。それにそれだけ食べたものがお前の体のどこに行くのか」
俊英はついぼやく。俊英のなじみの麺屋の軒先で麺をすするのは、先日の幽霊騒ぎで知り合った李翆。女と見まごうばかりの色白な肌と細いとがった顎、大きな瑪瑙色の瞳を持つ礼部の仮書庫に努める官吏だ。普段はいねむりばかり、官職は忘れたと言い切る謎の男だが、付き合ううち、いねむりばかりだけでなく大食いであることもわかった。顔だけでなく体つきも五尺と少しほどと女のように小柄なのに、六尺以上はあるはずの大男俊英でも腹いっぱいになる盛りの麺を軽々と口にしている。それも二杯めだ。
俊英のあきれ声に翠は自らの頭をはじいてみせた。
「ここだ。ここを使うにも食が必要なのよ」
「ここ?」
俊英も頭をたたいてみせる。翠が務める礼部の仮書庫は、礼部のものだけでなく宮廷内のすべての書の写しが保管されているという噂がある。翠の仕事が書を移すだけとは思えない。俊英は我慢できずに尋ねる。
「大盛りの麺二杯分も頭を使うとは、いまは何の仕事をしているのだ?」
俊英の問いに翠が麺を口にしたまま答える。
「計算があわぬのだ」
「計算?」
「なんといえばいいのか。あるものが無くなるにはあるものが必要ということがあるだろう。だが……」
翠が言いにくそうに答えたときだった。
「お客さま、そんなに喜んでいただけるとは何よりです」
五十代ぐらいだろう、店のあるじがひとの良さそうな笑顔をさらにくずして翠に声をかけてきた。翠はすぐさま俊英との話を切り上げ、あるじへと顔を向ける。
「おお、あるじ、この麺のニラは少し違うな」
「よくお分かりで。これは遠くの農家から運んでくるようなものではないのです。自然に生えているものを毎朝摘んでくるんで」
「なるほど、だからこれだけ香りが良いのか」
翠がうんうんとうなずいている間に、あるじが俊英のほうを向く。
「俊様も新しいお客様を連れてきてくださり、ありがとうございます」
翠との話をそらされたような気もするが、いつもひとりで来ている店に気安く連れてこれる者ができたことの心地よさと、なじみの店のあるじに礼を言われたことのうれしさで俊英も微笑む。
「ここまで気に入ってもらえるとは俺もうれしいよ」
俊英が答えたその時だった。
ガタン!
いきなり背後から大きな音がした。振り向くと男が麺を椀ごと投げ出し叫ぶ。
「なんだ。この麺は味がせんぞ!」
そう叫ぶと男はあるじに詰め寄る。
「お前、嫌がらせに俺にだけ味のないものを出したな!」
腹の底から湧き上がるような怒号に俊英は思わず立ち上がった。あきらかに腕力のありそうな武官だ。だが俊英よりも先にあるじと武官の間に入ったのは翠だった。地面に転がった椀を拾いながら、あの大きな瑪瑙色の瞳で静かに武官を見据える。
「みれば麺、具、どちらも我々のものと変わらない。お前、何か味の強いものでも先に食べたか」
「何!俺が嘘を言っているというのか!」
そういった途端、武官は翠にこぶしを振り上げる。
「危ない!」
俊英は思わず叫んだ。しかし俊英が武官の腕を抑える前に、パシリと音がし、武官のこぶしが止まった。見れば翠は武官の腕を扇子だけで押さえており、武官もまた痛みで顔をゆがめている。だがその様子に翠は首をひねる。
「たいした力もないのにおかしいのお」
翠の疑問などかまわず武官は吠えるように叫ぶ。
「覚えていろ、また来るからな!」
武官は腕をおさえながら立ち去る。俊英は慌てて翠に尋ねる。
「だいじょうぶか?」
「大丈夫だ。それより」
翠は扇子をしまいながらつぶやいた。
「あやつの命のほうが危ういかもしれないのお」
「いったい何を……!」
翠のあまりにも危険な言葉に、俊英は声をあげた。しかし翠はただ静かに遠のく武官の背を見つめている。つられて俊英も離れていく武官を見た。何かわからぬが違和感がある。だが俊英がその違和感の意味に気づいたころには。
その武官の命はなかった。
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