婚約破棄を目論む王子とその従者の前夜の話
「ククク、遂に時は満ちた。いよいよだ……!」
満月の下、王都の中心にそびえ立つ王城。
その内の一室で、窓から差し込む月光を灯り代わりに、テーブルに座る金髪の貴公子は紅茶を一息に飲み干した。
「レンよ。準備はできているな?」
「もちろんでございます殿下」
殿下と呼ばれた貴公子は隣に佇む長い銀髪を後ろに一房に結んだ片眼鏡の執事に目をやる。
「今回の情報収集に証拠集め、此度はご苦労であったなレンよ」
「もったいなきお言葉です」
労われ、レンと呼ばれた執事は改めてかしこまる。
「ジェリカめ。見ているがいい……。明日こそが貴様の最後だ」
ここにはいない婚約者として定められた女の名前を、殿下と呼ばれた貴公子は憎々し気に呟きながら紅茶を一息に飲み干した。
彼の名はグロウデン王国の第三王子ローガン・グロウデン。
彼は明日のパーティーで婚約者である公爵令嬢ジェリカ・ギアソードとの婚約を破棄し、代わりに学園で密かに交際していた恋人である平民出の特待生ジェシーと婚約発表をしようと目論んでいた。
「事ある毎にジェシーに嫌がらせを続けた悪女め。貴様のせいで彼女はここ数日ずっと部屋に引き籠ってしまったのだ。毎回身に覚えが無いとしらばっくれおって……。今度こそ引導を渡してくれるっ! そしてジェシー待っていてくれ。もう少しの辛抱だ」
愛と正義を胸にグッと拳を握るローガン。
彼はその後に来るであろう彼女との素晴らしい未来へと想いを馳せる。
「まあ。本当にそれをやると公爵家との関係に亀裂が入って最悪内乱。少なくとも我々は陛下への不敬という形で罰されるんですけどね」
「……、……、……へ?」
そこへ突然のレンからローガンへ冷や水を浴びせかけられた。
「ですが、ご安心ください。既に私は殿下と一蓮托生の身でございます。地獄の果てまでお供しましょう」
「いや。待て待て待て……ちょっ、ど、どゆこと? ねえ、どゆこと!?」
突然に後ろから味方に刺された気分であるローガンは、半分パニックになりながらも、レンから詳しい話を問いただそうとする。
「ゴ、ゴホン! 待ってくれレンよ……。何だその話、私それ聞いてないぞ?」
「おや、ご存じなかったのですか?」
「知らない知らないご存じない!」
ブンブンとすごい勢いで首を横に振るローガン。
さっきまでの余裕と威厳に満ちた態度などもう欠片もなく、涙目で狼狽するその姿は滑稽であった。
仕方がない、と言わんばかりにレンは一から説明することにした。
「ジェリカ嬢の生家であるギアソード公爵家は代々優秀な文官や騎士を輩出し、この国を支えてきた名門です。当然王家との繋がりも強く、王妹や王弟を妻や夫に迎えるなどして王族とも血の交わりが深い者たち。そんな影響力は計り知れない家のご息女を一方的な言いがかりで婚約破棄しては他所と角が立つ所の話ではありません。というか、まず普通に受け入れられませんし、国王陛下もブチギレですね。説教だけで済めばいいですが。まあ最悪廃嫡からの辺境への左遷。最悪の最悪は罪人として処刑でしょうかねえ」
「……へ、へえええええええ。そ、そうなんだあ……」
堰を切ったようにまくし立てるレンの説明を、黙って聞き終えたローガンは蒼白になった顔面からすごい量の脂汗を滲ませながら、ガタガタと震わせる唇でかろうじて返した。
「最後に問いますが本当に覚悟はできているのですね?」
「え? あ、ああ! も、もちろんだとも!」
念を押すようなレンの問いに、ローガンはいまだに震えが抜けきらない状態でイエスと答えた。
「レ、レンよ。私はとうに覚悟はできているのだ。いざとなれば私はジェシーと平民に身をやつすのも覚悟の上だ。私と彼女は永遠の愛を誓い合っているのだから!」
覚悟はできているというか、今できた感じである。
なんにせよ頑張って持ち直してきたにしても、どうやら本気ではあるようだ。
レンも彼のその根性だけは認める。
ほとんど虚勢である上に、そもそもベクトルが大いに間違っているし、それをもっと別の所で生かしてほしいと思うのだが。
「わかりました。もう何も申しません。私も全力で根回しして、せめて辺境への左遷ぐらいで許してもらえるようにしましょう。私やジェシー嬢、そして彼女が殿下の他に三股かけていた浮気相手たち、及び今まで彼女が関係を持った不特定多数の男連中と共に新天地でやり直そうではありませんか」
「……うむ。ありがとうレン。そうだな。お前とジェシー、そして彼女が今まで関係を持った男たちと共に……へ?」
レンの忠義に熱い涙を流しかけるも、再びローガンの時が止まった。
……というか、凍りついた。
「サ、サンマタ? ……そんな魚がいた気がするな」
「それはサンマです。塩焼きにすると美味しいですね。……話が逸れました。知りませんでしたか? 彼女はどうやら殿下以外の男性にもコナをかけていたようです」
言って、レンはどこからか幾枚もの報告書の紙束を取り出した。
「ほら見てください。騎士団長の息子であるブルガスと宮廷魔導師の孫であるジカード。宮廷音楽家見習のマイクもいますね。他にも貴族の庶子を数名……よくもまあ、これだけたらしこんだものです。呆れを通り越して感心してしまいました」
「う、嘘だ。彼女が私を騙しているなんてありえない!」
「そうですか。ならば証拠をお見せしましょう」
駄目押しとばかりに、レンが次に取り出したのは両手に収まるサイズの水晶玉であった。
それは光魔法による映像記録マジックアイテムだ。
水晶玉は光り輝くと、ローガンが愛してやまないジェシー。そして向かいの席にもう一人、黒ずくめの男がテーブルで座っている姿が映し出された。
『ようやく婚約者の座を手に入れる事ができましたわ。ホント苦労しましたよ』
『うむ。ご苦労だったな。貴様の働きは本国にしっかり報告しておこう』
『お願いします。これで私は未来の王妃、地位も安泰ですね。最下層暮らしからここまで這い上がるまで……感慨深いわ』
『正直、貴様がここまでの働きを見せるとは思わなんだ。これからも我が国への情報提供を頼むぞ。あのバカ王子の誘導もな。上手くいけばこの国の掌握も夢ではない』
『うふふ。もちろんでございますわ』
そう言って、謎の男と酒を酌み交わすジェシーを見て、ローガンは絶句していた。
「いかがですか?」
「……うそだぁ」
レンの問いに対して、憔悴しきったローガンはそれだけ絞り出すので精一杯だった。
「他にもまだまだ証拠は用意してありますが。どうします? 全部見ます?」
「いい……女怖い……」
最後にそれだけ言うと、ローガンは力なく肩を落とす。
流れる気まずい沈黙。
しばらくして、やがて彼はレンに一つ尋ねる。
「……レン、なんでもっと早く言ってくれなかったのだ?」
「それとなく言いましたよ。でも王子、今日まで完全に舞い上がってて、聞く耳持たなかったじゃないですか。これはもう無理かなって」
「諦めるなよ……。お前の真剣な話ならちゃんと聞いたよ……」
「そうですか」
ローガンの言葉にレンもなにやら神妙な顔をする。
お互い黙り込む二人。
再び気まずい沈黙が場を支配した。
「――では明日の計画は中止ということでいいですね?」
「うん。疲れたからもう寝る」
すっかり心が折れてしまったローガンは意気消沈した様子でベッドへと身を投げ出す。
レンは彼がすうすうと寝息を立て始めたのを見届けると、『おやすみなさいませ』と一礼して部屋を後にする。
そうしてレンはそのまま真っ直ぐに己の部屋へと歩いていく。
「ただいま。……そして待たせたな」
「ど、どうもおかえりなさいませ……」
レン自身以外誰一人いないはずの自室で、レンに応える者がいた。
件の大元であるジェシーであった。
ついさっき、レンの水晶玉に映っていた女子生徒……ジェシーは現在、椅子に座らせられた状態で、縄で縛られ拘束されていた。
「あ、あはは……」
ジェシーは冷や汗まみれになりながらも、頑張って愛想笑いを浮かべていた。
そんな彼女を冷たい目で見据えていたレンだが、やがて懐から空の小瓶を取り出すと、今度はそちらを忌々しそうに睨みつける。
「魅了の香水か。こんなもので殿下や他の貴族たちを誘惑するとはやってくれたな……!」
「ひっ!」
ローガン王子も未熟ではあるし、向こう見ずな所もあるが、全くの能無しではない。
他になにかしらのカラクリがあると、レンはずっと調べていたが案の定であった。
ちなみに、この魅了の効果は一週間に一回ほど定期的に嗅がせないといけないらしい。
だから、レンは彼女を一週間以上、こうして自室に拘束していた。
「――とはいえ、殿下は根が単純だからな。魅了の効果が切れても、ずっと本気の恋慕だと勘違いしてしまっていた。目を覚まさせるのは骨が折れたよ」
魅了の追加効果を無くした上で、目を覚ます程のショックを与える。
それが婚約破棄を計画する前夜……つまり今夜であった。
「最悪、ぶん殴ってでも止める覚悟であったが、どうにか間に合ったな」
「あ、あの……と、ところで、わ……私はどうなるんでしょうか?」
身動きの取れないジェシーはおそるおそる問いかけるも、再びレンから鋭い視線を向けられ、すぐに押し黙った。
(ああ、失敗した……)
ジェシーはこの王国の情報とコネクションを一つでも多く得ようと、手当たり次第にコナをかけ続けた。故に王子の腰巾着である目の前の人物にも目をつけた。
上役の男から渡された惚れ薬の効果に有頂天になっていたというのもあったのだろう。
――その結果がこれである。
どういうわけかレンには魅了の効果が無く、逆に捕えられた彼女はこうして尋問を受けている。
「どうなるだと? 決まっているだろう。王族や貴族をいかがわしい魔法薬で篭絡しての他国との内通。国家転覆罪で死罪は確定だな」
「……ですよねえ」
軽口を叩きつつも、既にジェシーも覚悟はできていた。
どちらにせよ、自分もあのスラムでの暮らしを続けていれば、いずれ野垂れ死んでいただろう。
場末の娼婦に産み落とされ、その母親も自分が物心ついてすぐに病死した。
幼い頃より、ゴミ箱を漁り、盗みも働き、生きるためなら何でもやってきた。
ある日、露店の盗みに失敗して、店主にボコられたばかりのジェシーは壁に貼られた働き手の募集という広告を見つけた。
それが野良犬のような暮らしを送ってきた自分の人生の転機だった。
記されていた場所にいたのは一台の馬車と、自分と同じような行く当てもない者たちだった。
彼らと共に乗せられた馬車に幾日も揺らされたジェシーたちは屋敷に連れて行かれた。
そこで様々な技術を仕込まれた。
戦闘訓練に相応の知識と話術――どれもこれも厳しかったが、今までの暮らしを思えば、寝床と食事を提供させてもらえるだけ天国であった。
『お前たちがあんな暮らしを送ってきたのも全てあの王国が悪いのだ。王国を恨め』
教官の男が定期的に思想を吹き込んでくるのは鬱陶しかったが、まあこの程度はご愛敬だろう。
さらに数年後、それなりに使えるぐらいには成長した自分に任務はが与えられる。
それは王立学園の潜入と貴族の子息たちの篭絡だった。
なんでも、自分の顔立ちは男好きのするそれなりに良い方だから適任なのだとか。
こうして始まったジェシーの学園生活。
ジェシーはありとあらゆる手練手管を使って、男たちを落としていった。
渡された魅了の香水の力もあって任務は順調。
特に第三王子を篭絡できたのが大きかった。
打ち捨てられた野良犬のような人間だった自分を、裕福な環境でぬくぬく過ごしてきたボンボン連中が求め、自分のためなら何でもしてくれる。
その様にジェシーは暗い愉悦を覚え始めていた。
だから調子に乗った。落とせない男はいないと思った。
その結果がこれである。
(振り返って見れば、よく生き延びた方よね。うん、頑張ったわ私)
ジェシーは内心で自分を賞賛しながら、大人しく裁定の時を待つ。
後は、せめてできる限り苦しまない方法で処刑してもらうことを願うのみである。
「……だが、私はもう一つの道を提示しよう」
「はい?」
レンからの意外な言葉と共にジェシーを縛っていた縄が切られた。突然の解放に思わずジェシーは顔を上げる。
そんな彼女をよそに、レンは相変わらずの鉄面皮で言葉を続けた。
「この学院に曲がりなりにも努力して入学を果たした能力、さらには魅了にも頼っていたとはいえ、数多の貴族の子弟たちを篭絡したその話術と胆力……忌々しいが、それなりに有能な女だと私は思う」
「お、お褒めに与り光栄です」
なんか、いきなり褒めてきた。気持ち悪い。
ジェシーは嫌な感じを受けながらも、どうにかして目の前の執事を狙いを読み取ろうとする。
「――貴様が作り上げた貴族たちとの繋がりと得てきた情報は全て有用なものだ。このまま無駄にするのは惜しい」
――ああ、なるほど。
そこでジェシーは合点がいった。
ジェシーは彼らを篭絡するだけでなく、それぞれの貴族の家が持つ弱みを数多手に入れていた。
当然、その中には王家へと敵対する家も含まれている。
この執事はそれが欲しいのだろう。
「無論、お前の上役――帝国とのパイプもな」
「ですが、私が捕らえられた事は既に向こうも知っているのでは……」
「だが、連絡手段はまだ残っているだろう?」
「いえいえ、私ほぼ使い捨てのハニトラ要因だし、もう用済みで切り捨てられてもおかしくないかと」
「安心しろ。それぐらいはフォローしてやる。それに向こうにとっても相応のメリットを用意した」
レンが独自に調べた所、婚約者ジェリカは帝国の皇太子と秘密裏に想い合っていた。
といっても不貞を働いているわけではない。いわゆる両片思いというやつだ。
しかし、二人は別の国の王家の末席と大貴族の令嬢。
所詮は報われぬ恋だとジェリカは諦めていた。
……だが、向こうの皇太子の方はそこまで諦めが良くなかった。
彼はツテを使い、スパイであるジェシーに独断で別の命令を送った。
その内容はローガンとジェリカを不仲に陥らせるというものだった。
「ああ。なんか今までの仕事と毛色が違うなーと思ったんですよねえ」
「全く色恋にうつつを抜かすとロクなことにならんな……」
レンは呆れたように呟いた。
だが、これは好機でもあった。
仲が危うい隣国の皇太子と公爵令嬢。
どうせならば、こちらの二人を国交のためにくっつけてしまった方が後々、この国のためになるとレンは王国の上層部に意見を申し出た。
ジェリカは才女ではあるが、絶対に王妃として欲しい人材ではない。
むしろ、その有用性は他国との繋がりを作るのにも充分に価値を発揮できる。
例の皇太子とも貸しを作ることもできるし万々歳だ。
「――そういうわけで、ジェリカ嬢とは遠からず穏便な形で婚約を白紙に戻す手筈となっている。そして、お前は今後は私の下で隠密、表向きは後輩メイドとして働いてもらう」
「えっ。わっ、ちょっ……!」
説明を終えたレンはジェシーに近付き、彼女の髪や顔を片手で弄り回す。
髪型を変えて、そばかすをつける、それだけで印象が随分と変わるのだから不思議なものである。
「よし。これで髪の色も変えて、眼鏡でもかけてれば完璧だな。面影は残るかもしれんが、まあ殿下は馬……単純だからな。いくらでも誤魔化せる」
あれだけその殿下のために奔走しておいて、酷い言い草であった。
いや、だからこそか。
「言っておくが、どちらにせよお前には選択肢はないぞ。このまま死罪となるか、用済みで口封じされるか、私に馬車馬の如くコキ使われるかのどれかだ」
悔しいが、目の前の執事の言う通りであった。既にジェシーにはこれしか道が無い。
だが、それでも一つ疑問に思う所があった。
「……あの一つ質問してもよろしいでしょうか?」
「なんだ」
「どうしてあの王子のためにそこまでなさるのですか? あなたならもっと素晴らしい主君に仕えられますでしょうに」
今まで見てきた限り、あの王子はお世辞にも有能とは言い難い。
悪人か善人かで言えば善人だろうが、政を担う人間としてはいささか不適格だろう。
現にこうして自分に良いように操られていたのだから。
「あの方の尻拭いは昔から慣れている」
ジェシーを窘めながら、レンは幼い頃を思い出す。
妾腹の子として生まれた自分は貴族である父に引き取られるも、そこで正妻や腹違いの兄弟から酷い扱いを受けていた。
そしてある日の貴族が集まるパーティー。
そこで大人たちの目を盗み、兄弟たちやその取り巻きたちにいつものようにイジメられていた所、彼は突然現れた。
『何をしている貴様ら、弱い者いじめは許さんぞ!』
颯爽と現れ、自分の目の前に立つ彼の姿はその時のレンの目にはヒーローのように映った。
一方で曲がりなりにも貴族の庶子であった彼らは目の前の少年が一国の王子だと知って退散していく。
『フン。口ほどにもない奴等だ。おい貴様、怪我はないか?』
尊大な調子で尋ねるその男の子とレンはこうして出会い、友達となった。
男の子はレンの屋敷に何度も押しかけ、一緒に遊んだ。
そしてある日、共に庭園を散歩しながら話をしていた時の事だ。
『なんだ。お前、家に居場所が無いのか。よし! ならば私の下へ来い! この私の側近になれば、あのような連中ももう余計なちょっかいはかけてくるまい!』
レンの事情を知った男の子はこうして強引にレンを己の側仕えとして召し抱えた。
その後は、ジェシーも察する通りだ。
レンはあの愚かな王子の我儘には散々付き合わされてきた。
だが、後悔なんてなかった。
「おかげで随分と情が移ってしまった。今さら見捨てるなんてのも無理な話だろう」
「ああ、馬鹿な子ほど可愛いという奴ですね」
「お前、不敬罪だぞ。……確かにあの方は馬鹿で傲慢だが良い所はあるのだ。馬鹿で傲慢だが」
「二回言いましたね」
「大切な事だからな」
ようやく色々と謎が解けたジェシーは改めて目の前の“男装の麗人”を見る。
その整った横顔に、切れ長のまつげ、桃色の唇。
道理で魅了が効かないわけだ。
それなりの装いをすれば、誰もが振り返る美姫となれるだろうに。
「なんだ、その目は……」
値踏みと好奇心を込めた目でこちらを見るジェシーにレンはうすら寒いものを覚えた。
「レン様。私、殿方の喜ばせ方も熟知しています。良ければご教授してもよろしいですよ?」
「……極刑を回避できたと知ったらこれか。お前、思っていた以上に図太い女だな」
「ふふふ。なんなら実は私、女性もいけますし、今夜直接ベッドでどう……イダダダァ! じょ、冗談です。これは私なりの恋愛相談で……!」
「今日はさっさと家に帰って寝ろ。詳しい話は後日手紙を送る」
男装の麗人はジェシーの頭を鷲掴み、ミシミシと音を鳴らして無理矢理黙らせると、そのままポイッと部屋の外へと追い出した。
ドアを閉めて、レンは大きく息を吐くと、改めて己の胸元を見る。
「チッ。力を入れるとすぐこれだ。サラシもキツくなってきたな。これ以上は……いやしかし……」
日に日に成長していく胸の膨らみに、レンは思わず溜息をついた。
これを見る度に、レンはいまだに彼への未練を捨てきれない自分を突きつけられている気分になった。彼を支えると決めた時、女など捨てたはずなのに。
いっそ自分もメイドにでもなれば幾分かマシになるかもしれない。しかし……。
――女の分際で……どうせその身体で殿下をたらし込んだのだろうがっ!
昔、再会した兄弟たちに妬みから言われた心無い言葉、それはいまだに自分の身を縛っている。
その言葉を否定するために始めた男装は、ある意味自身を守る鎧とも言えた。
『ふむ、流石だなレンよ。なかなか様になっているではないか。……しかしアレだな。私よりも格好良いのはなんか腹が立つなっ!』
プンスカと理不尽な文句を言いつつも、主である彼は受け入れてくれた。
しかし、その一方で自身はこうも思った。
自分が女の格好……姫君のような着飾った姿となったら、彼は何と言ってくれただろうか。
彼は自分が女だと知っている。
そもそも最初に出会った時が令嬢の服だったのだから。
もしも、あの頃に戻れるなら――。
「っとダメだダメだ。……まったく本当に色恋にうつつを抜かすとロクなことにならないな」
今度こそ一人だけになったその部屋で、誰にも届かぬ言葉を彼女は呟いた。
まるで自分に言い聞かせるように。