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90.離婚の危機

 それにしても、ナツキさんが帰ってこない。

 外の空気を吸いにいくと言ってから、既に一時間弱は経とうとしている。


 ちなみにそんな妻の帰りを待っている俺だが、相変わらずシージェン最高級の旅館のベッドに寝転がって、特に何かをする訳でもなくゴロゴロとしている。

 最近は連戦続きだったからな、こういう時間は久しぶりだ。


 ………え?妻が心配じゃないのかって?

 大好きな妻が襲われてたら、どうするんだって?


 おいおい、単純に考えて、あの人は俺の80倍ぐらい強いんだよ?

 仮にナツキさんがピンチになっていたとしたら、このシージェンの街の半分が炎の海になっているはずだ。


 だから俺の予想としては、おそらく今のナツキさんは道に迷っている!

 大方そんな所だろう。


 とりあえず、あと10分経っても近くに魔力を感じなかったら、部屋の外にでも探しにいく事にしよう。

 きっと彼女は、道に迷った事を認めないだろう。頑固だからね。

 でもその頑固さも魅力的だ。


 ふぅ、それではあと10分だけ目を閉じてゆっくりと………。



 ん?太ももが温かい?

 いや、温かいどころか、なんかマッサージされてる?


 あぁ、どうやら俺は眠ってしまっていたようだ。

 まさかナツキさんの”積極的なアプローチ”によって目が覚めるとは。


 それにしても、いきなり太もものマッサージで俺を目覚めさせるなんて、ナツキさんはどれだけ欲求不満な、、、



「……………え、え?」



 俺はそっと目を開いたと同時に、絶句した。


 俺の太ももをマッサージしている温かい手。

 てっきり俺が寝ている間に帰ってきたナツキさんが、俺の体を触っているモノだと勘違いしていた。


 だけど冷静に考えれば、ナツキさんは突然そんな事をするような女性ではない。

 俺の知っているナツキさんは、そんな痴女まがいな事をしない。



「あら、目が覚めたの?じゃあもっと”激しい事”、しちゃう?」

「……………いや誰ぇ!?!?」



 思わず俺は声を荒げていた。

 だって知らない女が勝手に部屋に入って、勝手に俺の太ももをマッサージしていたんだよ!?

 こんなの、叫ばずにはいられないでしょ!?


 ましてや、こんな場面をナツキさんに見られてしまったら、いよいよ俺の人生の全てが終わる!

 ヤバいヤバいヤバい………!死にたくないッッ!!



「は、離れてくださいっ!こんなサービス、頼んでないんですけど!?」

「あら、釣れないのね。こんな美女が、タダで気持ちいい事をしてあげるっていうのに」

「や、やめてくれ……ッ!!心が揺れる……ッ!!」



 いや、揺れちゃダメだろ。死にたいのか俺?

 冷静になれ。俺の妻を超える女性なんて存在しない。

 そうだ、その通りだ!俺は精神が強いぞサン・ベネット!



 ………でも確かにこの女性、とんでもなく美人だ。

 ていうか頭から二本のツノが生えてるし、完全に龍族のようだな。


 髪は鮮やかな紫色で、ヒザまで届きそうなほどの長髪。

 まるで髪の毛一本一本が生きているかのように、強く生き生きと輝いている。


 そして黒いノースリーブのタートルネックの上には、着崩した着物。

 その着物は、肩どころか太ももまで丸見えの、おそらく着付師が見たら気を失うほどの斬新な着こなしだった。


 まさに”色欲”が擬人化したかのような、(あで)やかな女性。

 正直、俺が独身だったら危なかっただろう。

 いや、そう考えてる時点で大分危ないか………。


 少なくとも、ナツキさんとは違った、全く別の色気を感じさせる佇まいだった。



「ほら、せっかくアタシが癒してあげるんだ。そのまま寝てなさい、スグに終わるよ」

「ナニがですか!?ナニを終わらせるんですかッッ!?」

「そんなの決まってるじゃないか。アンタが気持ちよくなって、スッッキリする事だよ」

「ダダ、ダメですダメですっ!!俺には一生を捧げると決めた大事な妻が………」



 だがこの女性、見た目の細さとは裏腹に、かなり腕の力が強かった。

 なにせ俺が本気で逃げようとしても、それを片手で掴んで押さえてくるのだ。


 あぁ、そうか。そりゃそうだ。

 この人は頭からツノが生えている、すなわち龍族の血筋なのだ。

 腕力が強いのなんて、当たり前すぎる話だったのだ。


 ヤバい、本当にヤバい。

 俺の意志とは全く関係なく、股間が結婚後最大の危機を迎えようとしている!

 マジで本格的に魔力による肉体強化をしないと、色々と終わるかもしれない。


 そもそも何で頼んでもないのに、こんな最高級の女性を用意したんだ穿天の野郎!!

 俺が妻と一緒にいる事なんて、分かってたはずだろ!?



「さぁぁ~!!お姉さんがスンゴイ気持ちいい体験をさせてあげるからねぇ?ほら、早く力を抜いて、全てを抜いちゃって!」

「やめ、や、やめ、ちょ、ホントに………誰か助けてぇぇええ!!」



 とうとう俺は、子供のような情けない声で助けを求めていた。

 だが紫髪の女性は、相変わらず途轍もない腕力で俺を押さえつける。

 そして何の躊躇も無く、とうとう俺の服を………。



「どうしたサンッ、敵襲かっっ!?」



 突如”バタンッ”と開いた部屋の扉の先にいたのは、紛れもないナツキさんだった。

 額には汗が滲んでおり、俺の危機を察知して飛んできてくれたらしい。


 だが残念ながら今の俺は、”誤解しか生まない状況”に巻き込まれている。

 なにせ背の高い妖艶な女性に、ベッドの上で服を脱がされそうになっているのだから。



「あっ、ナイスタイミングですナツキさん!この人が勝手に………」

「邪魔して済まなかったなサン。遺言を考えながら楽しむといい」



 そう言い残したナツキさんは、開いたばかりのドアを勢いよく閉めていた。

 それはもう、躊躇なく閉めていた。


 その閉まった時の大きなドアの音は、その後も5年ほど耳に残るようなトラウマになると、その時の俺はまだ知らない。



「完全に誤解です!!た、たた………助けてナツキさぁああああん!!!!」



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