69.”ベネット”とは
「何を驚いている。フレアのフルネームは ”フレア・ベネット” だぞ」
「いやまさか、そんな…………!」
◇
柳さんの言葉に衝撃を受けているのは、俺よりもナツキさんの方だった。
なにせ幼少期を共にした”フレア師匠”が、その後に出会う将来の夫・サン・ベネットと同じファミリーネームだったというのだから。
「なんだ?その反応を見る限り、ナツキとやらはフレアのフルネームは聞かされていなかったのか?」
「は、はい……、今初めて知りました。師匠は自分のことを多く語るような性格ではないし、私もあれこれ聞きたがるような子ではなかったので…………」
そしてナツキさんは、一瞬にして魂の抜けたような態度に変わっていた。正直俺だってビックリしている。だが彼女のリアクションには遠く及ばない。
とりあえず今ある可能性をハッキリさせておかなければ。
「ベ、ベネットというファミリーネームは俺以外にもいるはずです!だから一概にフレアさんと俺が直接的な血縁関係にあるとは限らないですよね、柳さん?」
「あ、あぁ……。それはその通りだが。確か息子に付ける予定だった名前を当時聞いたような気がするんだが……。すまんな、私も老いぼれだ、そこまでは思い出せん。だからあくまでもフレアとお主は”家族かもしれない”以上の確証はないな」
これを聞いた俺は、少しだけ息を整えることができた。
いや、仮にフレアさんが俺の父親だったとしてもダメって事はないんだけどね?
ただ俺にとっての父親は、顔も見た事のない上に、俺と母親を見捨てたクズ野郎という認識以外はほとんどない。
ただそれがナツキさんの慕う”優しい師匠”だったとしたら少しだけ気持ちが複雑だって話だ。
俺も当時の記憶がかなり曖昧だから、思い出そうとしてもモヤがかかったように景色が見えなくなるからな。
おそらくこれ以上の情報は出てこないような気はしている。
「ナツキさん、ここは気持ちを切り替えましょう。答えの分からない事を追っても時間がムダになっちゃいます。あくまでも本来の目的だけに集中した方が良さそうです」
「そ、そうだなサン。少し動揺してしまった………」
「いえ、僕も同じです。これは時間をかけて証明していきましょう」
そして俺は気を取り直し、改めて柳さんへと向き直る事にした。
「えーっと、それで……確か雷光龍の素材は全て使ったって言ってましたよね?じゃあ製法だけでも教えてもらう事は出来ますか?実現が出来る出来ないは置いておいて、ナツキさんに製法だけでも伝えてくれると助かるんですけど……」
「あの刀の製法か……」
すると柳さんは再び難しい表情を浮かべた後に、少し痰が絡んだような声で再び話し始める。
「製法を教えるだけなら出来る。だがそれだけでは何も進まないんだ。なにせフレアの製法には必須の鉱石があった。その鉱石はここのテザール鉱山でしか取れない、世界で最も希少なレベルの鉱石だ」
「最も希少……!なんていう鉱石ですか?」
「おそらく一般人では聞いた事もないだろうな。その名も”ロードアギト”と”アイデンクロース”の2種だ。この2つがなければ、フレアの製法を知ったとしても成功する確率はゼロだろうな………」
「なるほど、じゃあそれを手に入れるのが最優先事項って事か。ちなみにそれってどこで売ってるんですか?」
俺はこの流れにおいて当然の質問を投げかける。だがそれを聞いた柳の様子は少しおかしかった。
なぜなら俺の発言に対して、彼は少し馬鹿にしたように鼻で笑っていたのだから。
「何がおかしいんですか?」
「いや、単純な話さ。その2つは市場には出回っていない。なにせ希少ではあるが、使い道が全くと言っていいほど知られていないのだよ。だから手に入れるにはテザール鉱山に行って直接取るしかない」
「あー、そういう………」
この瞬間、俺の頭にはスペアリブの店のおばちゃんの声が蘇る。
”あの鉱山には魔王軍の残党がいる”と教えてくれた、あの優しい声だ。
「だが、あそこには何年も前に魔王軍の元幹部が住み込み、何百という冒険者と騎士団をあの世に送った。残念ではあるが、君たちがフレアの製法を知ったところでスタート地点にすら立てないという事だよ…………。
どうだ、少しは老人の抱える絶望の一端を味わう事ができたんじゃないか?」
そう言って柳さんは、現状から目を背けるように乾いた笑い声をあげていた。
きっと彼が欲しいのは同情だ。既に状況は詰んでいるという事に対して、同じように絶望してくれる仲間を心の底で求めているのだ。
だがそう言い放った柳さんの期待とは裏腹に、俺とナツキさんの心には共通の意志が芽生え始めている。
絶望とは相容れない、ギラっと燃える赤黒い意志だ。
「じゃあソイツを倒せば万事解決って事っすねナツキさん」
「あぁ、そのようだ。今日中に終わらせよう」
「…………!?!?」
それを聞いた柳さんは、初めて人間らしい生きた表情を浮かべながら目を見開いていた。
俺はその目の奥底に微かな”希望の灯”を見たような気がしている。