67.最高傑作が生んだ最低傑作
そしてゆっっくりと開いた木扉の隙間からこちらを覗いてきた白ヒゲの老人は、俺たちの顔をシッカリと確認した後に低い声で呟いた。
「…………入れ」
────
久しぶりに見た柳綱秀は、以前よりかなり痩せたように見える。白いヒゲは昔からあったはずだが、果たしてここまで白かっただろうか?
どうやら彼は、会っていない数年の間に随分と老けたように思う。とはいえ既に60歳は超えていたはずだし、むしろ若返っている方が不思議か。
ちなみに工房内は、ナツキさんの工房と同様に色んな試作品や失敗作が山のように積み重ねられていた。
そしてそれらと同様に工具等も机の上に無造作に並んでいる様子なのだが、しかしそのほとんどの工具の上にはホコリが乗っているように見える。
明らかに長期間使われていないのが、素人の俺にも分かるほどだったのだ。
「今のウチには客に出すようなモノはないぞ。要件だけ聞こうか?」
すると突然、柳の方から俺たちに語りかけていた。年季の入った木のイスに座る彼の声は低く、まるで夜の小雨のような妙な包容力を感じさせる。
だがそんなトーンの声とは対照的に、声自体に力はなかった。まるで世界に絶望したような弱々しく、今にも途切れてしまいそうな声だ。
俺は彼にそんな感想を抱きつつも、とりあえず返事だけはしておく。
「あ、大丈夫ですよ。僕らだってご馳走してもらう為に来たんじゃありません。要件はズバリ………雷光龍の素材が余っていないかの確認と、百雷鳴々の製法についてです」
「百雷……鳴々?」
「僕が以前作っていただいた刀です。俺の名前はサン・ベネット。覚えていませんか?」
「ベネットだと…………!?」
すると先ほどまで死んだような顔を浮かべていた柳さんは、突然顔をバッと上げて俺の顔を凝視し始めていた。
い、一体なんなんだ!?俺、以前来た時に失礼な事をしちゃったかなぁ!?
「サン、少し下がっていろ。私が話す」
すると動揺した俺に気付いてくれたのか、後ろに立っていたナツキさんがスグに助け舟を出してくれていた。そして俺の前に立つようにして、改めて自己紹介を始める。
「お久しぶりです柳先生。数十年前に私の師匠、フレア先生と共にここへ見学に来させていただいた特級鍛冶のナツキ・リードです。その節はお世話になりました。そしてサンは私の夫です」
ナツキさんは軽く頭を下げ、目線を床にやっている。だがその瞬間、俺は"ある事"を見逃さなかった。それはナツキさんが”フレア先生”という名を口にした途端、柳さんの体内魔力が異常な程に高まり始めた事である。
もちろんナツキさんもそれに気付いたようだ。
「…………どうされましたか柳先生?何か失礼な事をしてしまいましたか?」
「いや、そうでは無い。あぁそうか、フレアの弟子とベネットの名を持つ者が同時に来るとは…………。ハ、ハハ。フレアよ、人生とは何と奇妙なモノなのだろうな」
そして柳さんは空の見えない天井へと視線を移し、なにか遠くを見つめるようにしてイスを揺らし始めるのだった。
あー、もうハッキリ言ってしまおう。このジイさんずっと変だ!
まさかここまで話が成立しないタイプの人間になってしまったとは。先が思いやられる…………。
「それで柳先生、改めて本題なのですが……」
だがナツキさんは臆する事なく話を続けようとしていた。まずは俺が背負って来た百雷鳴々の残骸を、柳さんに見せてみようという指示をくれたのだ。
【ガラァ……】
「柳先生、これが折れてしまった百雷鳴々です。だが折れた断面を見る限り、私の知らない製法の可能性が高いと感じたので今日はここに来させて頂いたのです」
すると砕けた百雷鳴々を見た柳は、再び魔力を不自然に高めたと同時にフッと不気味な笑みを浮かべていた。それは喜びの笑顔でもなければ、怒りの笑顔でも無い。
俺にはソレが、まるで全てを諦めた時の絶望の表情のように見えていた。
そして彼はボソボソと語り始める。
「やはり帰ってきてしまったか。やはりコイツを作った時点で、私はこの刀に呪われていたのだろうな。私の全てを狂わせた刀、百雷鳴々に」
「………全てを狂わせただと?」
俺は思わず声を漏らしていた。なにせ何年間も共に戦ってきた愛刀の百雷鳴々を、まるで悪者かのように柳は言い放ったのだ。
正直イラ立ってしまうのも無理はなかったと思う。
だが柳は俺の様子を気にするような素振りは全く見せずに、まるで遥か遠くの記憶をなぞるように語り続ける。
「あぁ、狂わされたよ。その百雷鳴々は、フレアが私の目の前で完成させた"世界最高傑作の刀"を真似して作った”失敗作”だからな。私の全てを懸けて作ったその百雷鳴々は、フレアの最高傑作の足元にすら及ばなかった。
私の刀鍛冶としての終わりを見せてくれた、最後の一刀だよ」
そして柳は天井に向けていた視線をユラァ……と動かし、俺の目にピントを合わせる。気付けば彼の右目からは、まるで赤子のように純粋で綺麗な涙が一筋流れているのだった。