65.酔っぱらい
「はいお待ち、特製スペアリブだよ!サンゴウと一緒に食べると美味しいよ!」
ウェイトレスが運んできたスペアリブ。その上にはサンゴウが適度に乗せられており、前世で言うニンニクのような食欲をそそる香りを漂わせていた。
なによりこの肉汁ッ!皿に溜まっているソースと混じったこの肉汁は、おそらく何にかけても美味しくなってしまうほどに悪魔的な味がするのだろう。
見ているだけでヨダレがじゅるりとこぼれそうになる。
「じゃあ冷める前に頂いちゃいましょうか、ナツキさん!!」
俺はナツキさんに確認をとったのだが、残念ながら返答はない。
なんかこの状況、過去にもあった気がする。
「あぁダメだ、もう肉に意識が吸い込まれて俺の声が聞こえていないッッ!?」
そう、空腹のナツキさんは肉を目の前にすると声が聞こえなくなる。前に洋館の魔物狩りの帰りに、ヤクーの肉を焼いた時も同じような事が起こったのを鮮明に思い出した。
まぁいいや、とにかく早く食べたそうだから”アレ”を言うか……。
「よし、じゃあ言いますよ?”いただきます”!」
「い、いただきます」
そして彼女は上品なナイフとフォークの使い方でスペアリブを骨から剥がし、そして丁寧に口元へと運んでいくのだった。
そのキラキラと光る肉の表面の赤茶色は、まさにこの世に存在する宝石の一つと思えるほどに美しかった。
「う、美味いぞサンッ!これは美味だ、とても奥深い味がするぞ!」
「ナツキさんの”美味いぞ!”、いただきました。それにしてもスペアリブを綺麗にフォークで食べる元冒険者なんて初めてみましたよ。貴族みたいですね」
「ハハ、そうか?まぁ正確には”元”貴族だがな」
「…………はい?」
「うん、サンゴウ独特の風味も相まって、いくらでも食べられてしまうな」
あれ、ナツキさんは今サラッと重要な事言ったよね?元貴族?ナツキさんが?だとしたら今まで品を感じていた食事の所作にも納得がいくけど…………。
「き、貴族って、どこの貴族なんですか?」
「…………別に大した家ではない。魔王の進行によって壊滅状態にまで追い込まれたセイリュウ大陸の貴族だよ。争いに乗じて家を出た私には関係のない話だよ」
「そ、そうですか?」
「あぁ、そんなくだらない事よりも今は料理を楽しめベネット!スペアリブが冷めてしまうぞ?」
するとここでタイミング良くビアーも運ばれて来る。
黄金色のビアーの上に程よく乗る泡を見るだけで、さらに食欲が掻き立てられるような気がした。
もうダメだ、さすがに我慢できない。もう欲望にひたすら飲まれるだけの夜にしよう。
「そ、そうっすね!さぁスペアリブでも何でも食い尽くしますよぉお!!!」
こうしてテザールで2人揃って初めての食事は、しばらく忘れられないほどに魅力的な柔らかいスペアリブと、濃いソースやサンゴウの香りに酔いしれる時間となっていくのだった。
…………ナツキさんが酒に酔うまでは。
────
「ありがとねアンタたち!アンタ達のおかげで久しぶりに良い売り上げだったよ!またいつでも来な、待ってるよ!」
そう言ってウェイトレスに見送られた俺とナツキさんは、特に寄り道をする事なくゆっくり宿へと歩きだしていた。
本当はもう一軒ぐらい行っても良さそうなものだが、残念ながらナツキさんの様子を見るに厳しそうだ。
「いやー、最高に美味しい料理でしたね。帰る時にもう一度食べに行ってもいいかもしれないっすねナツキさん?」
「う、うん…………」
「う、うん?」
いつもとは違う相槌を打ったナツキさん。まるで子供のような相槌だ。
「あの~、店にいる時から怪しかったですけど…………もしかしてナツキさん、お酒弱いです?」
「そんな事は~、ないけどさぁ~」
まるで別人のような話し方でフラフラと歩くナツキさん。千鳥足まではいかないが、それでも真っ直ぐ歩く事はかなり難しそうな足取りだ。
「ま、まさかビアー1杯でここまで人格が変わるとは。お酒弱いのは先に言っといてくださいよ!」
「私は弱くなんか、無い!私は魔王を倒したナツキ・リードだぞ!おぇっ」
「そっちの弱いじゃないですよ、もぅ~」
あぁあぁ、とうとうナツキさんはヒザに手をついて止まっちゃったよ。吐くならせめて宿まで耐えてほしい………。
「誰も私のことなんて認めてくれないさ、どうせそうなのさ。結局サンも私を見捨てて1人にするのさ。分かっているよ、もう私は天涯孤独のまま死ぬ運命なんだって」
「うわ、酔い方ダル……」
俺はギリギリ聞こえない声量で呟く。
今まで色んな酔っ払いを介抱してきたが、ネガティブ系に走る酔い方をする人の話は聞いている方がしんどくなって来るパターンが多いのだ。
しかしナツキさんに対しては感想が違う。
「うぅ、誰でもいいから私の側にずっといてくれてもいいだろう、なぁそう思わないか?」
「俺がいるじゃないですか?一応結婚を了承しあった仲じゃないですの」
「いーや、君は私のことなんて面倒臭い女としか思ってないね!君みたいな色んなことが出来る優秀な人間は、きっと私より魅力的な女にスグ乗り換えるのさ…………」
そしてとうとうナツキさんは涙を流し始めていた。それも地面にヘタリと座りだすオマケつきだ。
一粒一粒がシッカリ目視できるほどに大粒の涙は、彼女の目からポロポロと落ちていく。
「あぁあぁあぁ、もう綺麗な顔がグチャグチャになっちゃいますよ。ほら涙拭きますから、目つむってください」
「うぅ、うぅ……。どうしてそんなに優しくするんだ。私なんか置いて、もっと幸せな場所に行けばいいのに…………」
「だったら、今この場所にいるのが答えですよ。俺はナツキさんを捨てたりなんかしません。そんな軽い気持ちだと思われていたのがショックなぐらいです」
「そんな、事は、うぅごめんなさいぃ……サン、私は君がいないと何も出来ないんだぁ……だから見捨てないでぇ…………」
【ズキュゥン】
心臓を誰かにつかまれたような感覚。
それと同時に襲ってきたのは、今までの人生で感じた事のないような幸せの息苦しさだった。
「ちょ、ちょっと待ってください。それは破壊力が強すぎます。うぅ、心臓が痛い。泣き上戸ナツキさんが可愛すぎて心臓が痛い。死因が”妻が可愛すぎて心臓発作”はさすがに恥ずかしいから、耐えてくれ俺の心臓…………!」
こうして俺は生命の危機に瀕しつつも、歩けなくなったナツキさんを背中に抱えながら宿へとゆっくり歩き出すのだった。
だがコレはある意味幸せな時間ではある。2人が老人になった時、きっとこの瞬間を思いだして笑い合ったりするのだろう。
これを幸せと感じられる人間で良かったと心から思う。
────宿に着く直前でゲロ吐かれるまではね。
もう今後はナツキさんに酒を飲ませるのは極力やめておこう…………。