58.移転
夜が開けた。太陽の光は今の俺には少し眩しすぎるな。
だがもっと眩しい存在が、草原の奥からドンドン俺に向かって近づいてくるのが見えた。
そしてその眩しい存在は、俺に向かって開口一番こう言い放つ。
「な、何をしているんだベネット!?死にたいのか!?」
そう叫んだのは紛れもない俺の妻、ナツキさんだった。
その俺を見つめる顔は相当に焦っている様子であり、同時にドン引きもしている様子だ。
「何をしてるって………小屋の物を運んでますけど」
「運んでますけど……じゃないだろう!?なぜそんなボロボロの体で早朝から引越し作業をしているのだと聞いているんだ!あぁ、出血してるじゃないか。ベネット、悪い事は言わない、今すぐに寝てくれ。君は疲れすぎて頭が壊れているようだ。元々壊れ気味だったのがいけなかったのかな……」
「めちゃくちゃ言いますね。大丈夫ですよ、俺風邪とか引いた事ないんで」
「そういう問題じゃないだろう、信じられないよ……」
そう言いながら心配そうに俺を気遣うナツキさんは、俺が背中一杯に背負っていた刀の素材や加工道具の数々を奪い取っていた。
一応抵抗する素振りをしてみたが、ナツキさんの腕力に勝てるとは思っていない。もちろん本人には絶対言えないけど……。
「君は数時間前まで死にかけていたんだぞ?体を休めるのも戦士の仕事だ、早くカルマルに戻って宿を取ってこい!」
「えぇ、嫌ですよ。ナツキさんの大切な小屋から全てを運び終えるまでは休めません。時間が経てば小屋の残骸も思い出も、全て雪に埋もれてしまうかもしれないですし」
「………その気持ちは素直に嬉しいよベネット。だが物事には順序がある。少なくとも今の君がやるべき事は、チーリン山脈の中腹にある私たちの元自宅から荷物を運ぶ事ではないのは確かだ」
「そう……ですかね?」
正直言って、俺は本当に自然と引っ越し作業を始めていた。
考えるよりも先に体が勝手に小屋の方へと向かっていたのだ。
あのアテラのブレス・閃煌によって破壊された無惨な小屋である。
「安心しろ、本当に必要な道具には特別な魔力がこもっている。例え雪に埋もれようが探し出す事は可能だ。それに小屋で過ごしてきた師匠と君との思い出だって………私のこの大きな胸に詰まっているさ」
「ナツキさんの下ネタなんて、始めて聞きました……!」
「う、うるさい馬鹿者!いいから早く荷物を全て私に渡せっ!!」
少しだけ顔を赤くしたナツキさんは、結局俺の体に掴みかかって無理やり荷物を引き剥がそうとしてきた。
だがそこで俺はグワンと揺れる視界と共に、体のバランスを崩す。
もはやどの方向が地面かわからなくなるほどに、俺の視界は揺れていたのだ。
「ベ、ベネット!?大丈夫かベネット!!」
「あ~~……。ちょっとこれは立てないかもっす」
結果的にナツキさんの心配した通りだった。
俺の体はとうの昔に限界を迎えていたのだ。
結局その後に意識が持つことはなく、気付けばゆっくりと瞼を落としているのだった。
◇
「お前か、我が親友の息子は。思っていたより大きいな。そんな目になってしまうほどに長い間待たせてしまい済まなかった。母親の方はどうやら手遅れになってしまったようだな。
……せめてもの詫びだ、お前の記憶と感情から【哀】を出来るだけ取り除くようにしておこう。少し記憶力に障害が出るやもしれんが、お前の好きに生きてみろ。偉大な刀鍛治の息子として、また儂の前に戻ってくる日を楽しみにしている。
父親がお前に与えた名は・・・サン。
サン・ベネットだ。
強く生きろサン。きっとお前が…………」
◇
「目が覚めましたか、師匠!!」
重たい瞼を上げると、そこにはカルマルの町で弟子(仮)にした少年・ネスタが立っていた。
どうやら俺は白いベットで横になっているようだ。
ネスタといえば、俺がブラックウルブから命を守った事が記憶に新しい。
「………ネスタ、俺はどのくらい眠っていた?」
「はい?うーーんと…」
するとネスタは腕を組んで斜め上を見上げていた。
そして5秒ほど思考した後に、元気な声で日数を告げる。
「5日ですっ!!師匠は5日間ずっと眠っていました!!」
「5日か。少し寝過ぎだな」
そして俺は右側にあった窓の外を眺め、少し明るすぎる空に目を細める。
5日ぶりの空はとても晴天だった。時間の流れが悠久に感じられるほどに、果てしなく青かった。
すると俺が起きた事を察してか、部屋の扉がキィ……と音を立てて開く。
俺はこの瞬間にここが病室だと気付いた。
なにせ部屋の入り口には消毒魔法が施されていたのだ。
そして同時に、俺の全身には清潔に手入れされた包帯が巻き付けられている事にも気付く。
とても動きにくく、不快な拘束感だ。
「起きたかベネット、具合はどうだ?」
扉から入ってきたのはナツキさんだった。
相変わらず美しい立ち姿の彼女は、室内にいるにも関わらず晴天の空と同等に輝かしく見える。
「俺、5日も寝てたって聞きました。確か引越しの作業をしてたような……」
「あぁ、アンデッド族と見間違えるほどに真っ白な顔で荷物を運んでいたよ。お医者様いわく貧血と疲労だそうだ。まぁ当然の結果だな」
そして少し呆れたように笑ったナツキさんは、チョコンとイスに座るネスタに何かを手渡す。
「ネスタ、ベネットを見ていてくれてありがとう。約束の報酬だ」
「や、やったぁ!!冒険者カードコレクション・夏衣装パックだ!!ありがとう赤髪のお姉ちゃん!!」
そして嬉しそうに飛び上がったネスタは、まるで俺の事など完全に忘れたかのように病室から飛び出していった。
全く、元気な子供は見ていて飽きないな。
「ありがとうございますナツキさん。今の様子から察するに、色々と僕の世話をしてくれてたみたいですね」
「まぁ、仮にも妻だからな。多少は世話をしてあげないと」
「多少ですか、フフ……」
俺は再び戻ってきた日常に喜びを感じていた。
軽口を叩きあえる、しかし確かな愛情のこもった2人だけのやり取りだ。
だが喜びも束の間、俺は頭の中に強く残った”先程の夢”の話を始めていた。
「ねぇナツキさん。眠っている間に夢を見ました。遠い遠い昔の記憶です」
「昔の記憶?」
「はい。しかも今まで思い出せなかった事が信じられないほどの、大事な記憶です」
そして俺は薄らと残る夢のイメージを思い出しつつ、そこに映った人物の特徴を語っていた。
「その人は俺に向かって、父親の親友だと言っていました。俺が顔も名前も知らない父親の親友だと。その人は刀を持っていて、そして赤い髪を後ろで結んだ男性でした」
「……何者なんだ?」
「分かりません、なにせその一場面を断片的に覚えているだけなんで。今でも1秒経つごとに記憶が薄れていっています。だけど、だけどその男を見た瞬間に、なぜか俺はナツキさんの事を思い出してしまいました」
「髪の色が同じだっただけだろう?」
「そうです。何ででしょうね。俺にも分かりません」
そして俺は不思議そうな顔をするナツキさんの顔を見つめて、少しだけ息を整える。
きっとこの夢は数時間後には完全に忘れているだろう。
だけどきっと、あの瞬間が俺の人生の始まりだったように思えてしょうがないのだ。
「だ、大丈夫かベネット?もう少し休んだ方が……」
「いえ、多分大丈夫です。きっと死にかけた影響ですよコレは。とりあえず今はナツキさんのキレイな顔を見てニヤニヤしてしまうので、俺の脳みそはいつも通り正常なのは間違いないです」
「早くそれも異常だという事に気付いて欲しいものだな」
「確かに、ナツキさんの美しさは異常です」
さてさて、気をとりなおすか。
改めてここから、俺たちの新生活が始まるのだから。