57.新しい風
カルマルの人々の宴は、夜が明けるまで続いていた。
さすがに100m級の竜に襲撃されて無事生き残れた喜びは相当に大きかったようだ。
そんな町を襲った張本人の竜、正確には”神の剣竜アテラ”と激闘を繰り広げた元冒険者の俺”サン・ベネット”は、少しだけ明るくなり始めた夜空を見上げて一息ついている。
さっきまでの激闘がウソのように、綺麗な空気と静かな風の音が俺の体を癒してくれているのだ。
………これで全身の痛みと貧血による眩暈さえなければ最高の時間なんだけどな。
「さて、そろそろ行くか」
俺は重たすぎる腰を上げ、酔い潰れて地面で眠っている町の住民達を乗り越えながら歩き始めていた。
一歩ごとに自分の体から血の匂いが溢れ出ているのが分かる。
一応はマグナクスタさんに持ってきてもらった服に着替えてはいたのだが、俺の肉体自体はそうそう簡単には治らない。
まさに剣竜の名を冠するアテラ、悪魔族に操られて本領を発揮できていなかったとはいえ凄まじい強さだった。
今までの戦いで1番死を感じた相手だったな。
きっとアレに勝る恐怖は、今後も出会う事はそうそう無いだろう。
「あっ…………」
そんな事を考えながら30秒ほど歩いていると、俺の視界には赤いバラのように美しい女性の姿が目に入った。
彼女はイスに座ったまま眠っており、その表情はとても穏やかで温かみのあるものだった。
そう、彼女こそ俺の妻になってくれた女性、”ナツキ・リード”。
俺が最初で最後と決めた、本当に心から愛する事を決めた年上の女性だ。
あんな可愛い顔をしながらヒザの上に町の子供を乗せて眠っている彼女だが、いざ戦場に立てば俺でも刃が立つか分からないほどの戦士へと変貌する。
アテラ戦の最後に彼女のサポートがなければ、今頃俺は天の遥か上からこの町を見下ろしていた事だろう。
【サラァ……】
俺は白い彼女のオデコに触れて、赤く長い前髪をゆっくりと耳にかける。
久しぶりに多くの酒を飲んで眠っている彼女の頬は少しだけ赤いようだ。
「ありがとうナツキさん」
先ほどまで感じていた体の痛みがスッと引いたような気がした。
もちろん”気”でしかないのだが、今の俺にとっては彼女の幸せそうな表情が1番の薬なのは間違い無さそうだ。
……さて、じゃあ俺はやるべき事をやるか。
────
「うわぁ、こりゃ凄いな……」
俺は目の前の光景に思わず声を漏らす。
なにせ眼前に広がるのは、先ほどまで俺たちを殺そうとしてきた剣竜アテラの死体なのだから。
首から上は燃えて無くなってしまっているが、やはり残った翼や胴体部分の大きさは相当なモノだった。
朝日に照らされて光る赤いウロコも、やはり神の眷属と呼ばれるだけあって綺麗だ。
このウロコ一枚だけでも相当な価値になるのだろう。下手すれば国1つを買えてしまうかもな。
「それだけ価値のある竜を、このまま放ったらかしなんてバチ当たりもいいところだ。少しだけ結界を張らせてもらいますよ」
俺は不得意な魔法を使って、アテラの全身を覆う簡易結界を張った。
この夜の間に回復した少しの魔力で、ギリギリ張れる範囲の結界だ。
こうしておけば、多少なりとも死体の腐敗を防ぐ事はできるし、他の魔獣が食い荒らすなんて事もなくなる。
とはいえCランク冒険者でも頑張れば破れる程度の結界だからな。目が覚め次第、若手冒険者のメイジーにでも強力な結界に張り替えてもらおう。
なにせメイジーは回復魔法も容易に扱えるレベルの魔道士だ、おそらく結界も張れるに違いない。
そして近いうちにクローブ王国領内に住む友人にでも、この死体の処理を任せよう。
俺は王都とは一切関われないからな、優秀で罪のない仲間に任せた方がアテラも喜ぶだろ。
「悪いな、きっと俺はアテラ教の信者達からすれば悪魔同然の存在だ。せめてアンタを心の底から弔ってくれる人達の元に戻ってくれ」
そして俺はアテラの死体に即席の花束を添えた後、ゆっくりとチーリン山脈の方へ歩き始めていた。
「昼までには終わらせたいな……」
そう、大変なのはここからだ。