56.君の特別は、僕の特別だから
「なるほど、私のいない所でそんな話をしていたのか」
ナツキさんは納得した様子で頷いていた。
現在の俺達は、カルマルの中心にあるハイネの店で状況を整理している。
どうやらこの老婆ハイネは俺達よりもずっと長く、深く、剣竜アテラの事を知っていたようなのだ。
そして洗脳されていたアテラに"死という名の救済"を与えた俺たちに対して、感謝もしてくれている。
「あのアテラ様を洗脳できるクラスの魔者だったんじゃろ?むしろアテラ様に余計な殺生をさせなかったお主らは立派じゃ」
そう言ってハイネは優しい笑みを浮かべ、空の見えない天井を眺めているのだった。
「さて、老婆の話はこれでおしまいじゃ。お主らは街に出て、盛大に祝われてくると良い。カルマルの人間は宴が好きだからの、朝まで帰してはくれんぞ」
「はは、望む所だよ婆ちゃん。この街の食糧、全部食べ尽くしてやるからさっ!!」
「その小さい体に入り切るのかどうか、見ものだねぇ」
そしてハイネは木製のイスをゆっくりと揺らしながら、俺の後ろに立つナツキさんへと視線を向ける。
「どうしたんじゃ?浮かない顔をしておるの、”元赤竜の女王"や」
「…………!」
ハイネの言葉を聞いたナツキさんの身体がピクッと動く。
まぁ冷静に考えれば、ハイネもカルマルの人間だ。
ナツキさんに対する"赤竜の女王"という呼び方を知らない訳はなかった。
「私は街の人達を怖がらせたくない。不快な思いをさせたくない。だから……」
「安心せぇ若いの、お主は"怖がられている"と思っておるようじゃが、正確には怖がっとるのは歳食った大人達だけじゃ。少なくともこの街の子供達は、お主が悪い者ではないという事を見抜いとる。
じゃからいつも通りで良い。お主のような強く気高い人間であれば、きっと時間が解決してくれる」
「………私はそうは思わないな」
「ふん、そう考えるならそれで良い。ワシの考えを強要はせんよ」
そして2人は会話を終えていた。
正直少し気まずい空気になった事を否定はできないが、どちらかというと俺はハイネの意見に賛成だ。
なにせナツキさんは変な所で自信がない。
自分自身にどれだけの価値があるのかを分かっていない。
もし俺がナツキさんになったら、今スグに街へ飛び出してチヤホヤされにいくのにな。
………まぁ、だからこそ"ナツキ・リード"なのだろう。
唯一無二の存在、俺にとっての憧れでもある。
そんな所も含めて愛しているって言ったら、どんな反応をするんだろうな。
でも今はその興味をグッと胸の奥にしまい込む事にする。
◇
「さて、じゃあ行きましょうかナツキさん。俺は腹が減って仕方ないっすよ」
「私は………私は君の手料理が食べたいよ」
「そ、それは嬉しいですけど……!でも今は街の人達と交流するべきだと思います。大丈夫です、僕がいますから」
「ワシもおるぞ」
後ろからハイネの声が響く。
そしてその声に背中を押されるように、俺は自分の右手をナツキさんに差し伸べていた。
「さぁ行きましょう。アナタはこのままじゃいけない、ちゃんと正当な評価を受けてください」
だが俺の意見に対して、ナツキさんはそれ以上言葉を発する事は無かった。
でもギュッと握ってくれた俺の掌に伝わってきた彼女の手の震えを、俺は強く強く感じている。
ナツキさんの硬く、そして大きな掌。
きっとこれまでに何百万回も刀を振ってきた結果出来上がった、女性からすれば人に見せたくない掌なのかもしれない。
だけど俺に取っては何百万人もの命を救ってきた立派な掌だ。
これ以上無いほどに、愛おしい掌だ。
今はまだ冷たいけれど、俺はこの掌がずっと温かくいられるような日々を彼女に見せてあげたいと、心からそう思う。
【ガチャッ……】
そして俺はハイネの店の扉を開けて、いよいよ俺達を待つ夜のカルマルへと歩み始めるのだった。
────
「来た来た、ベネットさん!こっちこっち!!」
外に出てから数分歩くと、街の広場に机と料理を広げるマグナクスタさん達の姿が目に入った。
というのも、どうやらカルマルにある一部の地域はアテラの攻撃によって機能しなくなっていたようなのだ。
そこでまだ晩御飯を食べていなかった住民達の為に、各店の店主が大きな広場に集まって料理を振る舞う事に決めていたようだ。
ちなみにその広場には、マグナクスタさんだけではなく設営を手伝う3人の若い冒険者の姿も見える。
「ベネットさんナツキさん、こっちに座っててください!僕達が料理持って行きますのでっ!」
剣士のアクタは、変わらず元気そうだった。
なら俺達もお言葉に甘えてゆっくりと座って待つ事にしようかな?
果たしてどんな料理を食べ尽くせるのかな?ワクワク……!
「………………」
だが俺の隣に座ったナツキさんの様子は、相変わらず暗かった。
でもそれもそのはず、長年の勘違いが染み付いた近くの街の人たちは、疑惑の目でナツキさんの顔をチラチラと視ていたのだから。
よし、なら改めて俺が誤解を……。
「街のみんな、聞いてくれ!」
だが俺が声を出そうとした直前に、マグナクスタさんの方が大きな声で注目を集めていた。
その顔は覚悟が決まったようなな顔つきに変わっている。
…………ここは少し彼に委ねてみるか。
「今日は赤竜の襲撃を見事に乗り切ったお祝いの宴でもあるが、実は赤竜を討ち取った人物がこの場所に来てくれています!!」
【おぉぉおお!!!】
大きな歓声を上げる人々。
そして彼ら彼女らの視線は、間違いなく俺の方へと一斉に集まり始めていた。
「それではご紹介します………。長年我々の街で恐れられていた赤竜を討伐してくださった”サン・ベネット”さんですっ!!」
【いよぉ!!待ってましたカルマルの英雄!!】
「そして………」
この瞬間にマグナクスタさんは、俺の方をチラッと見ていた。
おそらくマグナクスタさんはナツキさんの名前を知らない、だからあとは”ベネット君に任せた”って事なのだろう。
だから俺は笑顔のまま立ち上がり、そして力強く街の住民達へと言い放つ事にした。
「それでは俺から紹介させていただきます。最後に赤竜を仕留めた真の英雄、”ナツキ・リード”さんですっ!!!」
【………………!?】
一瞬にして静まり返る広場の人々。
どうやら”赤竜の女王”が広場に来ている事に気付いていない人が多数だったようで、紹介されたナツキさんの顔を見た瞬間に彼らは"時が止まったように"動きを止めていたのだ。
マ、マズイな。思っている以上の静寂と冷たい視線に俺が動揺してしまった。
ナツキさんはこんな冷たい視線を、これまでずっっと浴び続けていたっていうのか!?
人間を見ているとは思えない、温度の一切感じないような視線……。
あぁクソ、とにかく次の言葉を……、クソ!早く次の言葉を出せっ!!
「あっ、えーっと彼女はですね……」
我ながら本当に情けない。
彼女の事を第一に考えているつもりだったが、彼女が受けてきた苦しみを芯から理解はできていなかったのだ。
なのに俺は無責任に彼女の手を引っ張って連れ出して、こんな視線の元に戻してしまったっていうのか……?
俺は背中がサァ……と冷たくなるような、そんな感覚にとうとう陥ってしまった、
────だがそんな時だった。
「ナ、ナツキさんは悪い人なんかじゃありませんッッ!!」
【…………!?!?】
突然広場に響いたのは、紛れもない若手冒険者・魔道士のメイジーの声だった。
そして手をプルプルと震わせながら彼女は続ける。
「みみ、みなさんがナツキさんの事を怖がっているのは、避難指示を出している時にお聞きしました。
でも!!でもナツキさんは、会ったばかりの私達に優しく話しかけてくれましたし…………あ、あとはベネットさんに沢山食べさせてもらった後に、私達の体調を気にかけてくれたり………、だからその、えぇっと……」
普段から口下手なメイジーは、沢山の視線を集めてしまった事によって言葉に詰まっていた。
だがそれでも彼女はナツキさんへの”誤解”を解こうと、必死に言葉を紡ぎ出そうとしている。
すると……。
「そうです!ナツキさんは悪い人なんかじゃありません!みなさん、何か誤解されてますよ!?」
「その通りです。憶測だけで判断するのは危険です」
同じく若手冒険者・剣士のアクタと盾士のリジェも、メイジーに続いてナツキさんを庇う発言をしてくれたのだ!
彼らと過ごした時間は短い。
だがそれでも彼らはナツキさんに対する誤解に関して、疑問を持ってくれていたようだった。
さらには……。
「ワシが昔から言うておったのに、お主らが聞く耳を持たんかったからじゃ。改めて言うぞ、彼女は”赤竜”などでは無い。正真正銘、普通の人間じゃ。………まぁ普通と呼ぶには異常にステータスが高すぎるがな」
俺達が歩いてきた道からやって来たのは、先ほどまで一緒にいた老婆ハイネだった。
どうやら宣言通り、ナツキさんの事を助けに来てくれたようだ!
「みんな……!」
俺は感激のあまり声を漏らす。
だけど別に俺のために言ってくれている訳じゃない。
ここで答えるべき人はナツキさんだ。
「ほれ、何か言いたい事があるなら言うてみい、”元”赤竜の女王や」
まるで母親のように優しく問いかけるハイネ。
するとナツキさんもハイネの言葉に対して、辺りをグルッと見渡してからゆっくりと呼吸を整え始めていた。
さきほどまでは”畏怖”だった街の人達の静寂は、今ではナツキさんの言葉を待つ”期待”へと変わっている。
「わ、私は……」
言葉に詰まったナツキさんだったが、乾いたノドを水で潤し、再び口を開く。
「私は……赤竜などでは無い。普通の人間だ。ずっとみんなを怖がらせてしまって、本当に申し訳ないと思っている。だから……だから皆にはもっと私の事を知って欲しい。私は……私は……」
そしてナツキさんは自分を見つめている街の人達を再び見渡し、これまで蓄えていた本心を吐き出すのだった。
「私はこの街が………好きなんだ!この街の風景、食べ物、空気、全てが好きだ。
だから、だから……この街の人達も好きになりたい。いつでも来たくなるような、そんな居場所がココに欲しかったんだと思う」
そんなナツキさんの本心には、俺も薄々気付いてはいた。
なにぜ”赤竜の女王”と呼ばれる程にこの街に通い続けていたという事実があったからだ。
なんなら剣竜アテラ達と戦う前に、若い冒険者3人に加えてナツキさんとも一緒にこの街を歩いて食事をした。
その時にカルマルの夜の繁華街を眺めるナツキさんの表情は、まるで子供のようにキラキラと輝いていたのだ。
その見た事のないような幼い表情は、布を被っていたにも関わらずハッキリと分かる程だった。
そう、つまり彼女はこの街がずっと好きだったのだ。
だからこそ街の人に怖がられる事が、ヒドく辛かったのだ。
【……………】
だが街の人達は、少しザワつくだけで大きな反応はない。
まぁ仕方ないよな。だってこれまで恐れていた存在が、いきなり自分達の暮らす街の事が好きだと言い出したのだから。
”でもハイネさんや街を守ってくれた冒険者達が言っている事を信じない理由も無いよな……”という気持ちが有るのか、ナツキさんに対して文句を言いたそうな人も見当たらなかった。
まさに”困惑”という2文字がピッタリな空気感とでも言おうか?
長年の蓄積が邪魔をする、そんな独特の空気が辺りを包んでいた。
…………しかしこの沈黙を破るのが、あまりにも意外な人物になるとは。
◇
「おねーちゃん、登ってもいい?」
「な、え…………?のぼ……えぇ?」
突如足元から聞こえたのは、幼い少女の声だった。
その声に警戒心などは微塵もなく、ただ純粋にナツキさんを見上げながら言っているだけだった。
だが俺はその少女の姿を見た瞬間、数時間前の記憶がバァッと蘇る。
(この子は確か、俺がアテラの攻撃から守った少女じゃないか!?)
そう、アテラがカルマルの街中で閃煌を放った際、俺の後ろで逃げ遅れていた少女だったのだ!!
なんとか俺が身を挺して守ったおかげか、今の彼女は何事もなかったように立っている。
その瞬間、俺の心は謎の安心感と充実感に包まれていた。
「おねーちゃん、登っちゃダメ?」
「あ、え、あ……登る、とは、あ、えー……」
あ、マズイ!ナツキさんが「あ、え、」しか話せない人見知りモンスターになってしまってる!?
さすがにフォローしてあげないと……。
「ナツキさん!多分肩車してほしいとか、そういう類の要望だと思いますよ?」
「か、肩車!?な、なぜ私に……?」
突然の事に困惑するナツキさんだったが、その瞬間に彼女は気付く。
周りにいる街の大人達が、ナツキさんの行動を一挙手一投足見逃さないようにしている事に!
………さすがにこの視線を前にして、彼女は断る事ができなかったようだ。
「じゃ、じゃあ持ち上げるぞ?」
「わーーい、やったぁああ!!」
ナツキさんが少女を小石のようにヒョイと持ち上げると、少女はまるで自由に空を飛んでいるかのように楽しそうな声をあげ、ナツキさんの胸に顔を埋めていた。
羨ましい、その場所変わって欲しい(心の声)
「ハッハッハッハ!!やはり子供には勝てんのぉ!人間の本質を見抜くプロは、お主の”心”をちゃんと見ておったようじゃの」
俺の切実で邪な心の声を遮るように、ハイネは大きな声で笑っていた。
するとそれを合図にしたかのように、続々と”本質を見抜くプロ達”がナツキさんの元へと駆け寄ってくる。
「ねーねー、俺も登っていい!!?」
「アタシも背中のぼりたーい!!」
「デッケー!!何食べたらそんなにデカくなれるのっ!?」
「この刀ってホンモノー?おねえさん刀使えんの?」
ここからは、ただただナツキさんが子供達に好き勝手に遊ばれるだけの幸せな時間だった。
1人は背中に、1人は脚に、1人は頭の上にと、大きなナツキさんの体を存分に使って遊び始めていたのだ。
彼女は相当困惑している様子に見える。
だけど決して子供達を否定するような事はしない。
久しぶりに受けた”無垢な肌のぬくもり”は、きっと今の彼女にとって1番必要なモノだったのだろう。
ナツキさんの恥ずかしそうな顔の奥は、何物にも変え難いほど多幸感に包まれているように見えた。
「ハッハッハ、もう大丈夫そうじゃな。ワシは店に戻るとするよ。また何かあればいつでも来なさいな」
すると全てを見届けたハルネは、相変わらずの曲がった腰でゆっくり来た道を戻り始めていた。
「あっっ!!」
俺は彼女に心からの感謝を伝えようとする。
だけどその瞬間、なぜかナツキさんの方が先に俺を呼び止めていた。
………まぁハルネには、後で落ち着いてからお土産でも持って行く事にするか。
「どうしましたナツキさん?ハハハッ!顔が子供に隠れて見えてませんよっ!」
「すまない、まぁこのまま聞いてくれ……」
そしてナツキさんは、今までとは違ったトーンで語り始めていた。
まるでそれは春の日差しのような、とても心地よい温かさを感じさせるような声だ。
「私はこの場所にいてもいいのだろうか?なぁベネット、教えてくれ」
「………そりゃいても良いでしょ。そのナツキさんの体に引っ付いてる小さいのが答えっすよ」
「そうか?そうであって欲しいな。私はこの街と、この街に住む人たちを守る事ができればいい。なぜならこの街は、私が子供の頃に小屋で師匠と暮らしていた時に、何度か来ていた街なんだ。
だから私にとっては、アテラに壊された小屋と同じぐらい大切なモノだ……」
「はい」
「だから小屋が直るまでは………街の人達に許してもらえるのなら………私はこの街で過ごしたいと、そんな事を考えてしまったんだ」
不器用に、だけど心からの思いを吐き出してくれたナツキさん。
そんなナツキさんの思いに対して、俺は素直に思った事を吐き出す。
「じゃあここに住めば良いじゃないっすか。これからずっと、俺と一緒にこの街で過ごしませんか?」
キョトンとするナツキさんに対して、俺はさらに続ける。
「ナツキさん、オムライスの店で言ってくれましたよね?”私の特別になって欲しい”って。
だったら俺も"ナツキさんにとっての特別”は大事にしたいです。この街がその特別なモノの内の1つなら、俺もこの街を大切にしますよ。
だから………、一緒に暮らしませんか?」
そう言って俺は、今の自分が出来る1番の笑顔をナツキさんに向けていた。
その時に見せてくれた彼女の表情がどんなモノだったのかは、俺だけの記憶にしまっておく事にする。
────
第2章【ルーツ】編へ続く