105.お迎え
「さて、お主らも地上に帰りたくなってきた頃じゃろ。帰る準備をしておくと良い」
◇
ダオタオの親父さんを生き返らせた”平和の神子”は、奇跡の余韻に浸るような事はしなかった。なにせ彼女にとってこの奇跡は普通のこと、もはや奇跡ですらないのだ。
「神子様、色々とありがとうございました」
「おぉサン、久しぶりに楽しい時間じゃったぞ。ワシが地上に行く時は、キャラメルをたんと用意しておくのじゃ」
「え?キャラメルだけでいいんですか?もっと美味しい料理の数々を用意できますけど」
「なんと………!?なら地上の料理とやらを全て用意しておいてもらおうか」
「さっきから極端すぎませんか???………まぁ出来るだけ準備はしますよ」
「うむっ!!」
そう言って神子様は、細く白い腕を腰に当てながらフンッと鼻息を荒くしていた。ここだけ見れば、やっぱりただの幼い少女にしか見えないな。
そして神子様は続ける。
「あ!最後にもう一つだけよいか?伝えておきたい事があるのじゃ」
「え、えぇ。なんでしょうか?」
するとなぜか神子様は改まった態度で、俺たちに対して”ある忠告”を始める。先ほどまでとは違う、かなり真剣な表情だ。
「ワシはこの世界の開闢から、ずっとこの天空展地におった。なぜならワシは平和の神子、何も無い場所でこそワシの真価が発揮されるからじゃ」
「は、はい………」
「しかし、ワシとは正反対の神子もおる。文字通り”争いの神子”じゃ。ヤツは今でも地上で暮らし、事あるごとに争いを起こすキッカケを作っておる」
なんだその危なっかしい神子は!?そんなヤツが地上にいたらダメだろ………。
「よいか?ヤツが地上におる以上、必ず戦争は無くならない。時間がかかってでも、必ずヤツを引き金に争いが起こるように世界が出来ておるのじゃ。ワシの予想では、既に今の地上にも争いの火種は撒かれている。お主ら人間にとっては遠くない未来に、きっと争いは起こるぞ」
「………そ、それはどんな争いですか?」
「そこまでは分からん。そもそもワシは、争うという行動原理を理解できん存在じゃからな」
そう言って神子様は少し目を細める。彼女は見た目こそ人間だが、中身は全くの別物だ。おそらく俺たち人間には理解できない領域の話なのだろう。
するとここまで話を聞くだけだったダオタオが、意を決して神子様に問いかける。
「へ、平和の神子様が争いを鎮めるって事は出来ないのですか………!?」
確かに、彼の言う通りだ。争いの神子を治める為に平和の神子がいる、そういうありきたりな構造を期待してしまう人間は多くいるはずだからな。
しかし彼女から返ってきた答えは、俺たちの期待を裏切るモノだった。
「残念ながら無理じゃな。確かにワシは争いの神子に対抗する手段を持っておる。だがワシが地上に長く滞在すれば、それこそ地上はこの天空展地のような更地に変わってしまうじゃろうな」
そう言って神子様は少し寂しそうな表情を見せていた。ある意味”人智を超えた存在”であるが故の、強すぎる副作用のようなモノなのだろうか?俺たちは到底理解できない領域だ。
「じゃからワシが地上に行くとすれば、争いの神子本体が暴れ始めた瞬間、あとはサンの料理とやらを食べに行く時だけじゃ」
「ちょっと待って下さい。俺の料理を食べにきたせいで、地上がまっさらな大地に変わったりしないですよね!?」
「安心せいサン。一日以上滞在しなければ、そこまで被害は出ん」
「そこまで、ですか?怖いなぁ………」
この神子様の時間感覚や倫理観は、俺たち人間とはかなりズレている。もし地上に神子様が来た時は、サッサと料理を食べさせて、サッサと帰らせた方が良さそうだ。
「よし、これで伝えたい事は全部じゃ。じゃあそろそろ帰るかの?どうやら良いタイミングで迎えも来たようじゃしのぉ」
「迎え………?」
突然訳の分からない事を言い出した神子様。だって、この天空展地は特別な理由がなければ来られないような場所なんだろ?なのにわざわざピンポイントで俺たちを迎えに来れるような人なんて、果たしているだろうか?
「迎えにって、一体誰が来たんですか?」
「それはお主ら自身の目で見た方が早いじゃろう。ホレ、後ろの雲を見てみぃ」
そう言われた俺とダオタオは、彼女の指差す背後に視線を移す。するとそこに映ったのは、これまでと変わらない白い雲と青い空。少し雲の影が濃いような気もするが、特段変わった様子は………、
いや、違う。
あれは雲の影じゃない
雲の奥にいる”とてつもない大きさの何か”が、透けて映っていたのだ。
ありえない、信じられない。入道雲のように高くタテ方向に伸びる雲でも隠しきれないほどに、何かがウネウネと動いているのだ。
「ば、化け物だ………!」
あまりの大きさと迫力に対し、その場で腰を抜かすダオタオ。だが俺も腰を抜かすまではいかなかったが、あまりに強大すぎる魔力を感知して震えが止まらなかった。
だが同時に俺は、危険を感じている訳ではなかった。なぜならその魔力には過去に覚えがあったからだ。
ナツキさんのような、壁のように厚くキレのある魔力とは違う。
リィベイのようにザラザラとして、殺意に満ちた魔力とも違う。
そう、それはまさにスザク大陸の始まりから存在した最古にして最強の龍。
「りゅ、龍神王の穿天様!?!?」
俺は思わず叫んでいた。どうやら空を覆い尽くせるほどに巨大な影の正体は、地上でも会話をした龍神王・穿天様だったのだ!戦艦・龍宮ノ遣が墜落した時に見せたリィベイの真の姿同様、穿天様も真の龍の姿へと変わっていたようだ。
「穿天のあの姿を見たのは久しぶりじゃな。相変わらずおっきいのぉ~」
するとまるで敬礼のようなポーズをしながら、遠くの穿天様を見つめている神子様。俺たちのリアクションとは正反対に、なんとも落ち着いた様子だ。
そして俺たち三人に気付いた穿天様も、ようやくその巨大な姿徐々に露わにする。一つ一つの白いウロコは俺の身長の倍ほどの大きさがあり、ただ吐く息すらも大地を焦がしてしまうような濃い魔力が混じっていた。
そして鋭く巨大な牙と、ギョロッと動く眼光鋭い大きな眼。もはや現実に存在しているとは思えないほどに、全てのスケールが桁違いの迫力だ。
そんな今の俺の心に渦巻くのは、恐怖のさらに先にある感情。あぁ、これは”崇拝”に近いような気がする。戦ってみようなんて気は一ミリたりとも湧いてこない、もはや神様を見た感覚に近かった。
そしてゆっっくりと息を吸った穿天様は、俺たちを完全に認識したのち、ゆっっっくりと語り出す。
「久しぶりだなぁ、平和の神子ぉぉ。世界の始まり以来かぁ?そしてサン・ベネット、迎えに来たぞぉ。さっさと背中に乗れ!下に帰るぞぉ?あぁあん!?」
その低く野太い穿天様の声は、天空天地の殺風景な地面を激しく揺らしていた。