101.平和の神子
得体の知れない少女の声が脳内に響く。
こんな丸腰の状態で襲われてしまえば、相手によっては手も足も出ないだろう。
「マズいな………。ダオタオ、親父さんをスグに動かす準備だけはしておいてくれ。俺が様子を見てくる」
「だ、大丈夫なんですか?」
「ナメるなよ、こう見えて俺も元Sランク冒険者。逃げ足だって世界最高クラスなんだよ」
そう言い残した俺は、ゆっくりと歩き出す。
周りをキョロキョロと警戒しながら、いつ敵の姿が見えてもいいように腰を低く構えるのだ。
さぁ、どっからでもかかって来い。スグに逃げてやる!
(何を警戒しておるんじゃ人間。そのまま真っ直ぐ歩いて来い。別に襲い掛かったりせんわ)
まただ!またこの声だ!
どうする、従うべきか?
だけど直接脳内に語りかけて来るようなレベルの敵だぞ?
安易に言う事を聞いたら、取り返しのつかない事になるんじゃないのか?
………だけどなぜか俺の足は止まらなかった。
危険だと分かっていながら、足を止めなかったのだ。
俺もその理由には薄々気付いている。
なぜなら、この先に何があるのか知りたいという欲が、今まさに俺の脳みそを埋め尽くしていたからなのだ!
やはり俺も根っこは冒険者、こういう面白そうな事には首を突っ込みたくなってしまう。
(そうじゃ、そのまま前進前進!)
少女の声に急かされて、俺の歩くスピードも上がっていく。
ダメだ、もしかしたらこれは幻術にかけられているのかもしれない。
事実、目の前はドンドンと濃い霧に覆われ始めていく。
さっきまで数百メートル先の崖まで視認できていたのに、気付けば前方1m先すら見えなくなっている。
「おい、出て来るならサッサと出て来い!このまま崖に落とす気か??」
(うるさいのぉ~。そんなに怒らんでも良いじゃろ。ホレ、もう見えてきたんじゃないか?)
すると辺り一体を覆っていた霧が、徐々に薄くなり始めている事に気が付いた。
歩みを進めると共に、ドンドンと前方の景色がハッキリと見え始めていたのだ。
………だがそこに映ったのは、先ほどまでとは違う景色。
なにも無い殺風景な地表だったはずの場所に、突如として小さな民家が現れたのだ。
地上ではあまり見た事のない、前世で言う所の”洋風”な民家。
カフェでも経営していそうな、優しい白を基調としている。
「あれ、いつの間にあんな建物が………」
だがそう呟いたと同時に気付いた。
その民家の前で、背もたれのあるイスにゆったりと座っている”誰か”がいる事に。
その”誰か”は白いワンピースを着ており、イスをゆらゆらと揺らしながら、顔を完全に覆い隠すほどに大きな本を読んでいた。
身長からしても、完全に子供のようだ。
「ずっと話しかけていたのは………”君”か?」
敵意は見えない少女に向かって、俺は質問を投げかける。
彼女の腕や足は白く細く、いかにも”戦闘タイプ”という感じではない。
だが敵意は無いとはいえ、こんな特殊な場所に現れた少女だ。
只者ではないのは間違いないし、警戒だけは怠らないようにしなければ。
だが彼女はとうとう読んでいた本をゆっくりとヒザに下ろし、俺の質問に答え始める。
初めて見えた彼女の顔は小さく、色白で、この世のものとは思えない程に儚く美しかった。
「お主のような子供に、”君”呼ばわりされるなんてのぉ。まぁよい。話しかけていたのはワシで間違いないぞ」
「子供って、君の方が………」
「こう見えてワシは数万年近く生きておる。お主なんぞ赤ん坊のようなモノじゃよ」
「………冗談が好きなんだな」
「信じないならそれでよい、サン・ベネットよ」
「!?!?」
コイツ、なんで俺の名前を知っているんだ!?
名乗った覚えはないぞ?
「驚いておるようじゃな。じゃがワシは全て見ておったぞ。お主が産まれた時も、冒険者になった時も、ケンプトンでナツキ・リードにプロポーズした時も……………カルマルで剣竜アテラを殺した時も」
「………マジかよ」
おいおい、待ってくれよ。これは夢か?
なんで俺やナツキさんしか知らないような事を、この少女は知っているんだ!?
ヤバい、コイツは本当にヤバい。
しかも俺の左目にあるスキル”魔力感知眼”も、ずっと彼女の魔力を感知できない。
どちらかといえば神力に近い感覚なのだ。
「おいおい、別に怖がらせるつもりはないぞ。ホレ、こっちに来い。そして望みを言ってみろ」
そして彼女は、俺に向かって手招きをする。
相変わらず敵意はない。だが素直に従える程の安心感もない。
一体どうするのが正解なんだ?
「アンタ一体、何者なんだ!?」
「なにぃ?まだ警戒なんぞしておるのかサン・ベネット?いいからこっちに来いと………言っておるだろう!」
すると彼女がそう強く言い放った、その直後だった。
【グウォンッ!!】
なんと突然俺の体が、彼女の座る場所に向けて引っ張られ始めたのだ!!
なんだこの力は!?全く抵抗できない!?
まるで強い重力に引き寄せられるような、そんな感覚だ。
そしてとうとう俺の体は、彼女との距離約1mの所でビタッと静止する。
近くで見る彼女の肌は、透明なのかと勘違いしてしまうほどに透き通る白色だった。
「まったく、そんな警戒するな。こんな可愛らしい女を怖がっておったら、妻に笑われてしまうぞ?」
「くっ………。な、なんでナツキさんの事も知っている?」
「なんでと言われてもなぁ。ワシは約2000年もの間、この”天空展地”からこの世界の全てを見守っておる。お主の事も、ナツキの事も、今日生まれた赤ん坊のことも、全てじゃ」
そして彼女は不敵な笑みを俺に見せた後に、堂々と俺に向かって言い放つ。
「ワシは平和の神子。”この世界”が出来た時からこの場所にいる、いわば管理人のような者じゃよ」
こうして簡単な自己紹介を終えた彼女は、早速眼帯をしている俺の右目に向かって自身の右手の指を突き刺してくるのだった………。