真実宣言
「さ、さっきから何を言ってるの?」
僕の離婚宣言を受けてサーシャは声を震わせた。
「こんなときに冗談やめてよ」
「冗談? 僕が?」
「そうだよ。せっかくの結婚式なんだから、ちゃんとやろう」
「今までーー、君と僕が共に過ごした10年間のこれまでで僕が冗談を言ったことがあったかな?」
「そ、それは……、」
ない。
ないのだ。
僕はささやかな冗談すら言ったことがない。
ユーモアがないからね。
面白くもない、つまらない男だからね。
「つまり、冗談を言えない僕の台詞がどういう意味かわかるだろう?」
「わからないよっ」
ぶんぶん、とサーシャが頭を振った。
「どうして結婚式で離婚しようだなんていうの? 他の人に心変わりでもしたっ?」
そして、まるでヒステリめいた声音で捲し立てる。
「気が変わってたなら、初めから婚約なんて破棄にしてよっ!!!」
「うん。そうだね」
本来であればそうするべきだろう。
結婚する気もないーー愛することもできないーーならば、さっさと関係を清算するべきだろう。
けれど、今回は違うんだ。
「サーシャ、僕の離婚宣言の目的は君と別れて他の女の元へ行くためじゃないんだよ」
「じゃ、じゃあ何なの……?」
サーシャの顔が困惑の色を帯びる。
ふむ。その表情もなかなか良い。十分、辞書に掲載できる。
「全ては君の時間を奪うためだ」
「……は? 何?」
「僕と過ごした10年間全てを無に還すため。君の3650日の時間を徒労に貶めるため。そして、同時に君の未来を奪うため。たったこれだけのためだ」
僕の返答はサーシャにとって予想の範囲外からの主張だったのだろう。
サーシャは困惑の表情を浮かべたままで固まっている。
「……な、……」
それでもサーシャは固まった喉から声を絞り出す。
「なんで? 意味がわからないよ……?」
そりゃあそうだ。
君は意味がわからないだろう。
正直なところ、僕だって今の自分が取っている行動に意味があるのか理解していない。
もっと他にやり方はあったかもしれない。
が、貧相な僕の脳味噌ではこれが最適解だっただけだ。
「マリシア・ゲーゲンプレス」
ぽつり、と僕はある女の名前を口にした。
「覚えてるかな、学院時代の僕の友人なのだけれど」
「…………」
僕の問いかけにサーシャは再度固まる。
記憶を呼び起こしてマリシアの名を思い出そうとしているみたいだったが、結局サーシャの口から出てきたのは疑問符だった。
「さあ、誰かしら?」
ほら、これだ。
これだから悪党は許せない。
自分で何をして、自分が何をして、その結末がどうなったのかを記憶していない。
頭の中に残っていないということは、己の行為の意味を理解していないに等しい。
それはすなわち、無自覚の所業だったわけだ。
「本当に覚えてないのか?」
「うん全然。マリシア、マリシア、マリシア、ゲーゲンプレス……?」
「じゃあ教えてあげるよ」
すうっと僕は小さく呼吸をして、言う。
「マリシア・ゲーゲンプレス、彼女は君が殺した女の子だよ」
僕が言い終えた刹那、会場がどよめく。
あまりに刺激的な言葉だ。無理もない。
「はあ!? 待ってよ! あたしは人殺しなんてしたことないわっ!」
「いいや。間違いなく君はマリシアを殺した」
「やってない! そんな女知らないもの! みんなの前で変なことを言わないでっ!」
「まあ、確かに君は直接手を出してはいないから罪の自覚がないのかもね」
「な、何よ、それ……?」
「マリシアは学院時代の僕の友人。そして、君も僕らと同じ学院だった」
清フロントライン学院ーー、僕らの母校。
そこで惨劇は起きた。
「僕も当時は知らなかったのだけれど、当時、君は集団でマリシアを虐めていた」
「ーーっつ!?」
サーシャがはっとした顔をする。
どうやら思い当たる節があるみたいだ。
「サーシャ、今の君は清純で清楚でお淑やか女性だけれど、昔は違ったね?」
「…………」
「今の魅力は見る影もないくらいに、君は悪党だった」
表立って悪さは行わないものの、誰も知らない陰で気に入らない人間を徹底的に虐めまくるーー、それがサーシャの過去だった。
「一体何人の女の子を退学に追いやった? マリシアも学院から追い出すつもりだったんだろう?」
「…………」
サーシャは答えない。
宙に瞳を泳がせるばかりである。
「けれど、マリシアは繊細で脆かった。若かったせいもあるだろうけど」
彼女はーー、
マリシアはーー、
「マリシアは君たちからの虐めに耐えかねて、自殺してしまった」
「……あー、あー、そうそう、そうかあ…………、あのときの女か」
ぽつり、とサーシャが理解したように言った。
マリシアの自殺は学院中で騒ぎになった。
だって、マリシアは学院の正門で首を括って死んだのだから。
あの儚くも凄惨なマリシアの姿は最期のせめてもの物言わぬ抵抗だったのだろう。
なのに、目の前のこの女はそれを理解して記憶してすらいなかった。
「で、あの女がなんだっていうの? あんたと何の関係があるわけ?」
サーシャに悪党の気配が宿る。
本性が滲み始めたみたいだ。
「関係あるさ。彼女は僕が愛した女性なのだから」
そう。僕が本当に愛したのはマリシア。
目の前のこの悪党ではない。
「はっ。じゃあ、あの女の仇のあたしとどうして付き合って、恋をして、婚約して、結婚式まで開いたの? 愛した女の仇をよく抱けたわね。キスできたわね」
「全ては偽りさ。心を殺した復讐のための演技だよ」
「はーん。ご苦労なことね。意図は理解できないけど」
「そうかな? 僕は偽りの愛を楔に君と10年を過ごし、君から10年の時間を奪った」
「何? どういう意味?」
「そうこうしている内に君は30歳になったんだよ。島流しの対象さ」
この国には独裁者によって定められた『結婚不適合者処分法』という法律が存在する。
この法律では30歳を迎えるまでに結婚できなかった男女を無差別に絶海の孤島へ島流しに処することが定められている。
「……嗚呼、なるほど。それが狙いか」
サーシャの反応に今度は僕が動揺した。
予想ではサーシャが酷く狼狽すると踏んでいたのに、至って冷静だった。
「島流しがあたしへの復讐ってわけね」
「理解が早いね」
サーシャの虐めとマリシアの自殺は、結局のところ、因果関係を認められなかった。それどころか、サーシャが学院時代に行った数多の悪行すべてが不問だった。
ーー、証拠が認められない。
理由は単純だけれど、強固であった。
だから、法で裁けないサーシャを僕が代わりに裁くーー、それが今回の復讐だった。
「いいわよ、島流しくらい。この世界にも飽きてきたとこだったしね」
強がりなのか、サーシャは不遜な態度である。
「ねえ。でも、30歳になったのは貴方も同じよ?」
「だから?」
自分の言い分が妙案だと閃いたのか、サーシャは嬉しそうだった。
「島流しになるのは貴方も同じじゃない!」
純白のドレスをはためかせ、サーシャは叫んだ。
「じゃあ、結婚式の続きは絶海の孤島でやりましょう!」
ーー、…………。
「大丈夫、復讐されてもあたし、貴方を愛してあげるわ」
ーー、…………。
「あたしと貴方の2人だけの島。悪くない。むしろ、あたしは歓迎だわ、旦那様♪」
あまりの現実に狂ったのか、元からこんな女だったのか、サーシャは瞳孔を開いてそう言い放った。
嗚呼ーー、
でも、ごめんね、悪党。
僕にはちゃんと愛し合っている人がいるんだよ。
「は? 心変わりはないって言ったじゃないっ!」
サーシャが声荒く叫んだ。
「僕は初めから君と恋をしていない。愛してもいない。偽りだって言っただろう? これのどこが心変わりだっていうんだい?」
「ど、どこのどいつよ、その女……」
「ユリシア・ゲーゲンプレス、マリシアの妹だよ」
「ーーーー、っつ!!!!!」
そして、サーシャは僕の頬を全力で平手打ちした。
「満足かな? 僕はもう満足だけど」
復讐は済んだ。
あとはマリシアが島流しにされる日に船の出港を見守るだけ。
「はっ、勝手にすれば」
サーシャは舌打ちをすると足早に式場を去っていく。
これから逃亡か、当局の人間がやってくるまでに新しい結婚相手を探すか、その準備をするのかもしれない。
「マリシア、これで良かったのかな」
ステンドグラスから差し込む日差しに向かって僕は呟いた。
「優しい君は『やめなさい』って言ったかもしれないけど」
復讐は当人のためではなく、残された者自身のためでしかない。
なるほど。
気分は最高に悪いけれど、脳味噌は最低に良好である。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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