それぞれの秘密と思惑と
「わぁ!! ここに繋がっていたなんて!! エレン王子はここがどこなのか分かりますか?」
少しだけ自慢気に私は尋ねた。
だってターミナルに入ったことがある人なんて、ボールドウィン侯爵家の人以外いないはずだから。
「……ターミナル」
「えっ、正解です! すぐに分かるなんてさすがエレン王子ですね!」
「ああ、幼い頃にちょっと……」
ターミナルは不可侵の領域。王族という立場の人でさえも、この場所に足を踏み入れる機会はないはずなのに、エレン王子はこの場所を知っているようだった。
正解したはずのエレン王子の表情が全く嬉しくなさそうで、その手はぎゅっと拳を握りしめていて、明らかに様子がおかしかった。
エレン王子の過去に全く興味がないわけではない。けれど興味本位ではなく、もしも過去に何らかのトラウマがあるのなら、少しでもいいから癒してあげたい。
柄にもなくそう思ってーーそれはきっと最後だからでーー思い切ってその過去の出来事に踏み込もうとした。
「ここで何かあったん……」
ーーアンッ!!
「えっ?」
私の言葉を掻き消すように、大きな声で誰かの名を呼ぶ声がした。
アン? って誰? と思いつつもその声の方向に顔を向けると、非常に珍しい光景が飛び込んできた。
「あ! セレスティア様!!」
セレスティア様が走ってこちらへ向かってくるではないか。
セレスティア様が走っている姿なんて珍しすぎる。淑女は走らない。これ常識。……のはずなのに。
「リリー、様?」
一瞬立ち止まり、私を見てきょとんとするセレスティア様。その表情がとても残念そうに見えるのは気のせいだと思いたい。
「良かった、無事だったのね……」
でもすぐに駆け寄って、ぎゅーっと私に抱きついてくれる。うん、気のせいだったに違いない。
「セレスティア様、私はやればできる子なんですよ! ほら、エレン王子も助け出してきました!!」
セレスティア様の視線を促すと、ゆっくりと顔を上げたセレスティア様は一気に私から離れた。残念。
「セレスティア嬢……」
「お久しぶりです。エレン王子」
そこで私は気付いてしまった。
この二人、あの婚約破棄騒動の後、初めて会うんだよね? と。
しかも、元婚約者同士(今も?)と逃げ出した浮気相手が揃ってしまったこの状況は、間違いなく地獄絵図だよね? と。
気付いてしまったら一気にそわそわしてしまい、居ても立っても居られなくなって、できることならここから逃げ出したくなった。
もちろん逃げることなんてできない。私に残された道は、誠心誠意、土下座して謝罪するしかない。
それなのに先に謝罪を始めたのはエレン王子で。
「……本当に申し訳ないことをした。あの場でのあの振る舞いは、君を傷付けたに違いない。本当にすまなかった」
まずい、先を越された。しかもエレン王子は冤罪だ。
「違うんです! エレン王子は悪くありません!! 全て私のせいなんです。土下座でも何でもしますんで!!」
今まさにジャンピング土下座をしようと思ったその瞬間、セレスティア様にピシャリと嗜められる。
「土下座はいりませんから」
「えっ、でも……」
私、土下座だけは得意なんです。その言葉さえも言わせてもらえない雰囲気で。重ね重ね残念すぎる。
「確かに学園のパーティーの最中に婚約破棄をされるとは思ってもいませんでしたけれど、遅かれ早かれそうなるとは思っていましたから」
にこりと笑いながら告げるセレスティア様に、ぎゅっと胸が締め付けられた。
婚約破棄されると思わせていたなんて、どれだけ深く傷付けてしまっていたのだろうか?
それなのに、エレン王子とセレスティア様の婚約破棄が成立しているだろうことにホッとしてしまった私は、本当に最低だと思う。
「せめてもう少し場所を選べれば良かったんだけど……」
場所を選ぶも何も、あの時のエレン王子は魅了の魔法にかかっていた。
しかも、パーティーをエレン王子と一緒に過ごせると浮かれきっていた私は、魔力増幅薬もエレン王子への思いも、いつもよりも増し増しだった。
結果、エレン王子とずっと一緒にいたいという思いが強すぎて、それが婚約破棄宣言をさせることになってしまったのだと思う。
「いえ、お気になさらないでください。そんなことよりも、エレン王子もすでにお気付きだと思われますが、ここは神聖国の教会の裏側にあるターミナルと呼ばれる場所になります。エレン王子がここで過ごせるように許可は得ていますので、王家側と私の父がうまく話を纏めるまで、ここで過ごしていただけますか?」
「それはできない。だってターミナルには……」
ターミナルに着いた時と同じ、今にも倒れそうなくらい青褪めた表情を浮かべ、懸命に歯を食いしばっている。
けれど、続く言葉は出てこなくて。しかも、どうしてか私を見て言葉を止めたようにさえ感じてしまった。
「その心配は無用です。……それに、万が一があったとしても、今のエレン王子には効きませんよね?」
「……そうだね。正直言ってしまうと、僕もこれからのことをもう一度ゆっくり考え直したいから、お言葉に甘えてここで過ごさせていただくよ。……でも、ひとつだけ答えて欲しい」
「私に答えられることなら」
全く表情を変えないセレスティア様に、突如怒りを含んだ声色でエレン王子が詰め寄る。
「どうしてリリー嬢を巻き込んだ?」
「へ? 私?」
あまりに想定外の質問に、目をぱちくりさせてしまうほど驚いて、思わず聞き返してしまった。
私を巻き込む? いや、むしろ私が元凶だから巻き込まれたのはお二人のはずですが!?
それなのに、エレン王子は婚約破棄宣言のあの時のように、今もセレスティア様を睨んでいる。
そんなセレスティア様は、今も全く表情を変えることなく、それどころか、質問に答えると言ったはずなのに、話を逸らすという暴挙に出た。
「あら、私ったらすっかり忘れていたわ。リリー様といえば、施設長がリリー様を探していましたよ。明日のことを確認したいとか言ってらっしゃったわよ」
もちろん話を振られた私は焦る。セレスティア様の暴挙がエレン王子に不敬だから、ではない。
エレン王子がその話に興味を示してしまったから。しかも私の両肩を掴みながら真剣に私を問い詰めるほど。
「施設長がリリー嬢を? どうして?」
「えっと、……きっと明日のおやつのことですね。いやだなぁ、施設長ったら、私が食いしん坊みたいじゃないですか〜」
「ふふ、早く行った方がいいわよ」
「はい! 行ってきます!! お二人はごゆっくり。でも穏便にお願いしますね!!」
私は必死ではぐらかした。そして逃げるように施設長の元へと走った。
だって、“明日のこと”を、エレン王子にだけはまだ知って欲しくなかったから。
******
リリーの姿が見えなくなった頃、セレスティアはようやくエレンに話しかけた。
「あの話は、リリー様の前でする話ではないでしょう?」
「……確かにそうだね。でも、巻き込んだことは認めるんだね?」
「ええ。嘘を吐いても仕方がないわ」
リリーはそれぞれの思惑が交錯したこの一連の計画に巻き込まれただけ。それにリリーは気付いていない。
全て自分が悪いと思っている。全ての罪を被ろうとさえ思っている。自分はヒドインだから、ざまぁされるのは自分だけでいいと。
「それで、リリー嬢がいなくなった今なら、君の本当の目的を話してくれるのか?」
その問いにセレスティアは笑みを浮かべる。幾度となく作ってきた完璧な笑みを。そして明確な答えではなく、あろうことか質問で返す。
「エレン王子、あなたもそれを望んでいたのでしょう?」
二人はある意味共犯者だ。お互いの目的を果たすために、お互いの愚行を咎めることなく目を瞑ってきた。共謀することはなかったけれど、お互いの行動の意図を察してそれぞれの思惑に乗った。
「やっぱり君には隠せないね。いつから気付いていたの? 入学当初からあからさまに僕たちとの距離を置いていたのは知ってるけど?」
「ふふ、だって私がいたら邪魔でしょう? 私だってそんな野暮じゃないわ。そうねぇ、“あの時”にはもう気付いていたわ」
「あの時、って、まさか!? そんな前から気付いてるなんて嘘だろ? 僕だって自覚したのは最近なのに……」
「女の勘、かしら?」
女の勘。それ以外答えようがなかった。
王子と侯爵家の娘。現在は婚約破棄騒動の渦中にいる二人だが、幼い頃からお互いのことを知っていて、それなりに気心の知れた仲だった。
そんな幼馴染でもある彼が、見たことのない表情で彼女を見つめ、嬉しそうに笑う姿を見てしまったら、それは疑う余地もなかった。
「それなら、あの時は僕のためにあんな嘘を? さすがにそれだけってことはないよね?」
「それもあるけど、大部分は私自身のため。もちろんリリー様? のためでもあるわ。どうしても秘密にしておきたかったみたいだから」
一世一代の嘘をセレスティアは吐いた。それは賭けだった。そして見事に賭けに勝った。
たった一人を除いて、その嘘に気付く者はいなかったから。
唯一、その嘘に気付いてしまったその人も、自ら口を噤んでくれた。……彼女のために。
「自身のためって、もしかして、あの時からすでに今回の計画を?」
肯定の意味を含めてセレスティアは微笑んだ。
彼女に出会ったのは本当に偶然で。でも、偶然だからこそ、これを逃してはいけないとの衝動に駆られた。
彼女を使えば全てがうまくいく。望み通りの物語を描くことができる、と。
「彼が今神聖国にいるのは……あなたの身代わりになったからよね?」
「ッ……」
「別にあなたを責めているわけではないわ。悪いのはお父様だもの。あの時、アリシア様がいらっしゃらなかったらどうなっていたことか」
謀反だと国を追われていたわ、とセレスティアは自嘲する。
「でも、神聖国に行ってしまったらもう二度とこの国には戻れない。でも私は彼と約束したから。そのためだったら私は何でもするわ。彼が戻れるように手を尽くすし、彼の戻る場所は私が用意する。それなのに……」
「……だから、僕とリリー嬢の仲を後押ししてくれたのか。僕がリリー嬢と仲良くすればするほど、婚約解消の理由が立つからね」
セレスティアは、どれだけエレンとリリーが仲良くしていても咎めなかったし、二人の視界にさえ入らないようにしていた。
「あなたには恨まれても仕方がないと思っているわ。結局、リリー様との仲を引き裂いてしまうのだから」
「やっぱりリリー嬢は……」
「ええそうよ。だからあなたには私を恨む権利があるわ」
「いや、セレスティア嬢は悪くない。好きな人くらい守れない僕が悪いんだ。全て僕が浅はかだったせいだよ。……でも僕はリリー嬢と一緒にいられるだけで幸せだったし、僕が愚者になればなるほど彼が名乗り出やすいと思ったんだ」
「あなたは優しすぎるのよ」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「……私にもひとつ質問をさせて欲しいわ」
「ああ、僕が答えられることなら。でもお手柔らかにね」
「あなたの選択に本当に後悔はないの?」
「ああ、後悔はないよ」
間髪入れずに答えたその言葉は、少しの揺るぎもなかった。そして告白する。
「君の思惑通り、僕はリリー嬢が魅了の魔法を使っていることに気付いた。……気付いたからこそ、このピアスを外したんだから」
害意ある魔法、魅了の魔法をも無力化できる魔法石のついたピアス。それを、エレンは己の意思で外していた。