前世の記憶は突然に
久しぶりの投稿で緊張しています。不定期投稿になりますが、楽しんでいただけたら嬉しいです。
「セレスティア・ボールドウィン! 俺は貴様との婚約を破棄する。貴様が俺の愛しのリリーにした悪行の数々は、決して許されるものではない。そのことについては追って沙汰する!!」
煌びやかなパーティーは一転して、重苦しい空気を漂わせた。我が国の王子エレン・ガルシアによる婚約破棄宣言が唐突に行われたからだ。
そして、会場内は一気に響めき立つ。瞬間、私は全てを思い出してしまった。
----断罪イベント
雷に打たれたような衝撃が全身に走った。青天の霹靂とはまさにこのこと。ありえない。
奇しくもこの状況に覚えがあった。王子による一方的な婚約破棄宣言と言ったら、前世の私が好んで読んでいた小説の王道展開だったから。
婚約破棄を宣言する王子の隣には、婚約者でもないのにぴたりと寄り添う可愛らしい少女がいて。
その二人と相対するように立っているのは、王子の婚約者の由緒正しい家柄のお嬢様で。
そしてどうしたわけか、それが行われるのは卒業パーティーや夜会などの公衆の面前で。
そんなふざけた王道展開が大好きだった前世の私は、胸が苦しくて踠いていたところで、プツリと記憶が途絶えている。
そして今、前世の記憶を思い出したと思ったら、その王道展開真っ最中だということに気付いてしまったわけで。
だからと言って、どうして前世の記憶を思い出したのが今なのだろうか。
現在、公衆の面前での婚約破棄宣言という断罪イベントが目の前で繰り広げられている。……というか、当事者なのだけれど。
だから、会場中の人という人の視線が、私たち三人に集中している。
その三人の中の一人がセレスティア・ボールドウィンだ。もちろんこの名前にも覚えがある。“あの小説”の中の悪役令嬢に違いない。
セレスティアは、容姿端麗で特別な外交をも担う由緒正しいボールドウィン侯爵家の娘で、エレン王子の婚約者という立場でありながら、同じ学園の生徒に対して、いじめや嫌がらせを繰り返してきた悪女という設定のお嬢様だ。
その同じ学園の生徒とは、エレン王子とセレスティアの同級生で、貧乏な平民の娘リリー。
ふわりと咲いた桜の花に似た淡いピンク色の髪とぱっちりとした愛らしい瞳。庇護欲を擽る子うさぎのように守ってあげたくなる雰囲気の、見た目だけは王道ヒロイン。
そして肝心のエレン王子は、私好みの超絶イケメンだ。あの小説の挿絵もそして現実も。
ここまで前世の私が知っている小説の登場人物が一堂に会していては、もはや間違いようがないと思う。
よりによって、ここがあの小説の世界だなんて、本当に絶望でしかない。
だってあの小説は、幸せになる登場人物は誰一人としていないという、最低最悪の物語だったから。
だから今、必死で「ざまぁ」回避の道を模索する。きっと今ならばどうにかできるはずだ。
あの小説では、エレン王子とセレスティアが婚約を破棄してしまうとすぐに取り返しのつかないことが起こり、物語は大きく動き出していく。
ということは、二人が婚約を破棄しなければ、物語は進まないとも言える。
今すぐに余興だとか何とか上手いこと誤魔化して、この婚約破棄宣言をどうにかうまく収めればいい、と閃いた私は天才かもしれない。
ちなみにあの小説だと、セレスティアはエレン王子の婚約破棄宣言を素直に受け入れてしまう。
「分かりました。婚約破棄を受け入れます」
そう、こんな風に素直に……こんな風に?
「……えっ?」
一瞬、私の頭の中が真っ白になる。婚約破棄を受け入れます、その言葉が頭の中を反芻する。そして、
「えぇええぇぇぇ!?」
思わず大声を上げて叫んでしまった。
だって、どう考えても誤魔化しようがなくなってしまったし、このまま婚約を破棄してしまったら物語は動き出してしまうのだから。
これから起こり得る“取り返しのつかないこと”が頭を過り、一瞬にして血の気が引いた。そして最終的には、
ざまぁ街道一直線。
無理。そんなのは絶対に嫌だから、必死の形相で私は抗う。
「だめ、だめだめだめだめっ!! 絶対にだめだからっっっ!!」
「リリー!? いきなりどうしたんだ?」
先ほどまで威勢の良かったエレン王子が、私の突然の豹変ぶりに少しだけ驚き怯んでいる。いや、引いているというべきか。
私の今までの苦労--守ってあげたくなるような可愛いご令嬢計画が水の泡だ。無念。でも、背に腹は変えられない。
だって、小説の中のセレスティアは、全てが身に覚えのない事実だと証明するためにも、この後すぐに幽閉されてしまうのだから。
聡明なセレスティアのことだから、勝算はあったのだろう。けれど、それでもだめなのだ。だめなものは絶対にだめ。
だからこそ、なりふりなんて構わなかった。すごい勢いで首をぶんぶんと横に振っていた。
そんな私に目を向けたセレスティア様もさすがに驚いたのか、猫のような大きな瞳を微かに見開いていて。
眩しいほどに美しすぎるそのご尊顔は、控えめに言っても女神のような美しさだ。眼福。
けれど、暢気にセレスティア様を眺めてはいられない。私に残された道はただひとつ。
エレン王子にぴたりと寄り添っていた身体を離すと、一気に行動を起こした。
「えっ、本当に突然どうしたんだい? リリーっ、リリーっ!?」
私を引き止めようと伸ばしたエレン王子の手をひらりと交わして、私は急いでセレスティア様に駆け寄った。
「リリー様?」
首をこてりと傾げながらも戸惑いを隠せないセレスティア様のご尊顔。実はこれ、かなり貴重。
淑女教育のせいなのか、セレスティア様が表情を見せることはほとんどなかったから。
というか、泥棒猫の私に対して、セレスティア様は笑いかけることも怒ることもなく、いつでも無表情だったから。
だからなのか、少しだけキュンとしてしまう。けれど、悠長にセレスティア様を眺めてはいられない。
「説明は後でしますからっ! 一緒に来てください!!」
セレスティア様の手をしっかりと掴んだ私は、周りの響めや静止を振り切って、パーティー会場から外へと飛び出していた。
私に残された道、それは……逃げる!! ただそれだけだった。
すでにお察しだと思うけれど、私は異世界転生系の小説の王道である「みんなから愛されて幸せ間違いなしのヒロイン」ではない。
最近よく見る「前世の知識を思い出したことで、更生して幸せを切り開いていく悪役令嬢」でもない。
あろうことか、私という存在は「癒しの力が使えることを良いことに、婚約者がいることを知りながら、王子に色目と姑息な戦法を使って成り上がりを企んだ“ヒドイン”」だったのだから。
これまた王道で、あの小説のヒドインの行く末は、見事なまでの「ざまぁ」だというのだから、私の人生は詰んだと同じだ。
もっと早くに前世の記憶を思い出していれば、いくらでも違う道を選ぶことができたかもしれないのに。
成り上がりなんて考えない。命より大切なものなんてないに等しい。
だからこそ、その時はエレン王子のことは完全無視して、学園生活をひっそりと送っていただろう。……たぶん。
「……様! リリー様っ!!」
「えっ、あ、ごめんなさい!!」
少しだけ息を切らせていたセレスティア様の声に、トリップしていた私の思考は現実に引き戻され、ようやく足を止める。
無我夢中で走った私は、セレスティア様の手をしっかりと掴んだまま、パーティー会場から庭園の方へと来てしまっていた。
「……えっと、どうしましょうか?」
ぶっちゃけ、あの場所から逃げることしか考えていなかった私はノープラン。
それなのに、キョトンとするセレスティア様が目に入ったものだから、あまりの可愛さに悶絶しそうになる。
そんな私に罵倒することなく、セレスティア様はにこりと微笑んでくれた。天使か!
「ふふ、言いたいことも聞きたいこともたくさんあるので、私の屋敷に移動しませんか? 馬車も向こうで待っているはずですから」
繋いでいた手を両手でぎゅっと握りしめられ、もはやノーとは言えない雰囲気で。
知らぬ間に、私はこくりと頷いていた。