ep1-9
「間堂さんて、本当に不器用ね。…………愛おしいぐらいに」
「!…………」
「でもそれじゃ、生きぐるしいでしょ。とても」
「やめ、て……」
私の足が、無意識に後ろに退く。自分では見えないけれど、表情が震えている気がした。頬を、取られる――
「怖い? 私のこと。誰かわからない?」
整った顔が、そこにある。大人っぽい端正な顔が、力を抜いた優しげな表情が、そこにある。
私は力の限り頭を左右に振る。言葉か何かを発すればいいのに、まるで幼い子供ように。
ただひたすら、それを否定したい、だけの。
そんな私の歪に震える頬に添えられた手が、そっとあごにずれる。(あ……)「え?!」
ぐいっと持ち上げられ、瞳がのぞきこまれ――(ち、近い!近い!)至近距離に、彼女が――
(き、キスされ……)
「……ん?」
ぎゅっと目を瞑った瞬間、大きな鐘の音と小さな呟きが聞こえる。始業のベルだった。
「あ、…………」
もうこんな時間なんだ……。ほっとして息をつく。目の前の人は……つまらなそうに廊下の向こうを見ていた。
「ったく、無粋ね……」
「……ぁ」
その瞬間、遠くで彼女の声が聞こえた。目の前にいるはずなのに。……頭が、痛い。くらくらする……。
再び襲いだした頭痛に重たい頭を抱えれば、やたらと耳に響く戸を開く音がしてそちらに目を向け――
「あっ……、……」
今さっき、の……。
今さっき見た、二人。ついさっき(随分前の事に感じられるけど)私がすれ違った二人。暗室に、消えていった二人……――
体が、冷たい……。血の気が、引いていく。
「…………変なとこ真面目よねー。ちょっと間抜けじゃない? …………ちょっと」
「あ……ぅ…」
「あなた……、…………あっ!」
委員長が私を見ていた。私はこみあげてくる吐き気に口元を押さえていた。頭は蒼白で、冷たくて。体は重く、目の前は歪んで見えた。
耐えきれず、私はそのまま駆け出す。生徒が全く消えてなくなった廊下をただ走り抜けた。
「ちょ、こら! 待ちなさいよ! 操!」
「牧瀬さん?!」
「あ、…………先生、おはようございます」
「おはよう。一体どうしたんですか。 今もう一人廊下を走っていった気がしますけど」
「すみません。彼女同じクラスなんですけど、どうも具合が悪いみたいで。私が保健室につれていきますので担任によろしくお伝えくださいませんでしょうか」
「え、えぇ。わかりました。ではよろしくお願いしますよ」
「はい」
何の疑いも持たず、隣のクラスの教師は彼女を信じる。こんな時、日頃の行いが物を言うものだ。
真面目一辺倒の面をかぶりつつ彼女は胸中で冷静にそう呟く。
さて。タイミングがいいんだが悪いんだか。教師への伝言のせいでちょっと距離ができてしまった。彼女はどこへいったかな。
でも案外平気なもの。
始業のベルが鳴った後の校内では、ほらこうして耳を澄ましてみれば…………わかるもの。
頭上のかなた向こうから、トントントンと微かな地面を蹴る音が響いてくる。
「屋上か」
さぁ彼女を追いかけよう。一体彼女は何をするつもりなのかな――