5:白米
夕食中の彼らめがけて忍び寄る影、足音からかなりの大物と分かるその接近者がどこから姿を現しても良いように、互いに背中を合わせ臨戦態勢を取る三人であったが、木が密集する森のなかで唯一使える攻撃手段を持っているのはアレスただ一人である。幸運にもアレスの目の前に現れたそれの影が、焚き火に照らされてうっすらと浮かび上がると同時に、アレスは剣を振り下ろしていた。
「待ってアレス!そいつ熊じゃない、人間よ!」
「えっ・・・!」
剣を止めようとするがもう間に合わない。アレスがそう悟った刹那、その剣はその人間の体に当たる前に何かに遮られ、金属どうしがぶつかり合う甲高い音が辺りに鳴り響いた。それは熊に間違われたその男が自らの盾でアレスの剣をすんでのところで防いだからである。
「あ~、ビックリした~。」
「何が『あ~、ビックリした~』よ。あんたが悪いんでしょうがこの馬鹿!」
「怪我もしてないんだからそんなに怒んなくても良いじゃんか~。そんな顔してたらミリアたんの可愛いお顔が台無しだよ~。」
「ミリアたん言うな!」
その男の後ろからやって来たミリアと呼ばれる女の子に自分の行動を咎められるも、その男からは反省している様子は微塵も感じられないでいた。
「確認もせずに勝手に熊だと思って斬りかかりました。すいませんでした。」
「君が謝る必要はないのよ。悪いのは全部あの馬鹿なんだから。暗闇の中からあのタンク巨体がいきなり現れたら誰だって防衛本能働くわ。だから謝るのはタンクの方よ。」
「まぁ、声も出さずに近づいたのは悪かったよ。だけど、こんなに香ばしい肉の香りが漂ってたら、つい食べたくなって。」
「呆れたわ、わざわざ肉のためだけに、あんたは私を連れて山を越えてきたって言うの。」
「試しに一口だけでも食わせて貰えば。そしたら俺っちのこと許せるはずだから。」
初対面の人の前でもお構い無しで言い合いをしている二人の様子に、緊張がほどけるユーリがいた。
「別に君たちがこの肉を食べたいんなら食べても良いけど、その前にきみたちは者なんだい?」
「すいませ。お見苦しい所をお見せしてしまい。私はミリアです。怪しいものではありませんよ。」
「で、俺っちはタンク、樵をやっている。ミリアたんと俺っちは山向こうの村に住んでんのさ。」
もし彼らが本当に丘を越えてきたって言うのなら、アレスたちはようやく他の人里の手がかりを見付けたのかもしれない。
「何で樵が金属の盾なんか身に付けてんだよ。」
「山に入ると獣が多いから、いくら俺っちがでかくても猪の突進を生身で受けたら危険だからな。それにしてもこの食感、ただの肉じゃないな。」
「そうね。タンクが食べたくなるのも頷けるわ。」
それはアレス厳選した牛の魔獣の肉なのだから、普通の家畜の牛と比べてもらっては困る。
「見たところあなた方は旅人のようだけれど、どうやったらこんなに美味しく肉が保存できるの?」
「保存も何も、この肉は狩り立て新鮮魔獣のお肉だよ。この骨が証拠よ。」
半信半疑だった二人だが、アテナが取り出した牛の魔獣の骨を見て目を丸くした。
「今までにも何回か旅人に会ったことがある俺っちけど、たった三人だけでこのサイズの大物を仕留めたやつに会うのは初めてだよ。」
「普通なら戦わずに逃げる相手よね。なのにそれを三人でなんて凄いよ。」
それを聞いたアテナは自分の策が決まって、牛の魔獣を倒せたことが出来たことを思い出したのか、顔がにやついていた。
「なぁ、タンクたちの村には旅人が来るほど村の外と交流が盛んなのか?」
「最近は村に戻ってないからよく分かんないけど、この辺じゃノースランド教会の宣教師とその護衛の聖騎士の一行の話は有名だよ。」
アレスたちは教会がどう言うものかは知らなかったが、タンクの住んでいる村では村の外との交流が自分達の村よりも盛んに行われている事だけは理解することができた。
「もしよかったら、僕たちをその村に案内してくれるかな?」
「案内するのは別に構わないけど、夜が明けてからじゃないとね。」
「あぁ、よろしく頼むよ。」
それから五人は残りの肉を食べきり、明朝に備えて早めに就寝するのであった。
しっかりと肉でお腹を満たし昨日の戦闘の疲れを癒したアレスたちは、タンクを先頭に彼の仕事小屋を目指して朝日を背に山越えに挑んでいた。なぜ平坦な道を通って直接村に向かうのではなく山越えで彼仕事小屋に向かっているかと言うと、タンクいわく迂回路を行くよりも早く着くかららしい。またその小屋には食糧の備蓄もあるので、昨夜の肉のお礼を兼ねて昼食をご馳走してくれるらしい。それに幼少の頃から山で育った樵のタンクにはこの山一帯は彼の庭のような物なので迷うことはないとミリアが説明してくれた。
「よし着いた、ここが俺っちの仕事小屋だ。ちょっと狭いかもしんねぇが、適当にかけてくれ。」
それは小屋と言うよりも立派な家といった景観で、小屋の中に入るとほのかに漂う木の香りが、山越えでの疲れも一瞬で吹き飛ばしてくれるかのような心地がした。タンクの小屋の造りがこれほどまで自分達が住んでいた家と異なっているのかと感動した三人が興味深くその内装を眺めているとタンクが料理を運んできてくれた。
「お待たせ。『俺っち特製 猪肉の味噌炒め』とミリアたんが漬けた『野菜の浅漬け』。ご飯も炊けてるから沢山食ってくれ。」
「お口に合うと良いんだけどね。」
アレスは猪肉の味噌炒め、アテナは漬け物と二人とも違った料理に手をつけた。
「猪肉なのに臭くない!それにご飯との相性も最高だよ。」
「そうだろう。俺っちの手にかかれば何料理だって朝飯前よ。」
「タンクのそれは何料理じゃなくて何肉料理の間違いでしょ。魚焼いたら灰にするあんたが何調子乗ってんのよ。ところで漬け物の味はどうかしら。」
「どこか懐かしい味、私じゃ出せない味がする。」
旅先で温かい白米が食べれるとは思ってもいなかったアレスとアテナの二人はそれ以降口を開くことなく食べ続けていた。しかしユーリの皿は全く減っておらず、不思議に思ったアテナはユーリに問いかけるのであった。
「何も食べないでどうしたの?食欲ないの?」
「食欲はあるんですけど、今まで手で食べてきたので、この細い二本の棒の使い方がよくわからないのです。」
「箸を知らずにどうやってご飯を食べてきたの?」
「僕の生まれたところではパンを食べていたので、その白米と言う物も初めてなんです。」
ユーリの発言に他の四人は箸を使わない文化があることに驚いていた。
「困ったな。漬け物は素手で食べれることもないけど、猪肉の味噌炒めを素手で食べるわけにはいかないからな。」
「手を汚さずに食べることができる何か良い方法はないのかしら?」
「・・・・そうだ、お握り。味噌炒めを具にすれば手を汚すことなく食べることができる!」
「そうか、その手があったか。これでユーリにも『俺っち特製 猪肉の味噌炒め』を食べてもらえるってわけか。」
そうと分かればあとは握るだけ、ミリアは猪肉の味噌炒めをもって釜戸へ戻っていった。
「ねぇ、アテナがさっき言った『お握り』って一体何のこと?」
「直ぐに出来るから、自分で見た方が分かりやすいわよ。」
アテナの言う通り、直ぐに戻ってきたミリアが持っていた皿の上に白くて丸いボールのようなものが乗っていた。皆に促されるままユーリはそれを一口頬張った。
「美味しい。味噌と白米がからまっててとっても美味しい。」
「良かったなユーリ。アテナに感謝しとけよ。」
「ありがとうアテナ。こんなに美味しい料理を食べたのは初めてだよ。」
「どういたしまして。」
その猪肉の味噌炒めのお握りがユーリが人生で初めて食べるご飯の味だった。そしてしっかりと腹ごしらえを済ませた一行は、今度は村を目指して歩き出すのであった。






