act.3
峰波学園では、毎年クリスマス・イブに近隣の高校を集めて盛大なパーティーを開く。
各校の代表十名ずつが盛装又はドレスアップする盛大な物で、冬場の名物とも呼ばれている。
そのうえ今年は熱狂的なファンを持つ遠野文月や森生聖里などが在籍するだけあって、例年になく派手なイベントになっていた。
「そーいや、そんな物もあったんだっけ」
沙成自身は峰波の出身者ではない。距離的にはさほど遠くない高敷と言う公立高校に通っていた。このパーティーにももちろん参加したことはあるが、哲平が峰波の生徒だということはすっかり忘れていたのだ。(実を言うと、杉本幸及び彼の恋人の雪野桂も峰波の卒業生である。)
「悪かったかな、やっぱり」
峰波の生徒であるなら大多数が楽しみにしているこのパーテイを蹴って、哲平は沙成と過ごしたいと言ったのだ。
あの時の言葉は、幾らこちらに思惑があったとは言え、やはりちょっときつく言い過ぎたようだ。
降り積もった雪を踏みしだいて、独り、沙成は峰波学園の校門の前に佇んでいた。
幸が帰ってから、最低限の物だけ抱えて沙成は哲平の家を訪れたのだが、母親には怪訝な顔で「まだ学校から帰っていない」と言われてしまった。そこで彼は、やっとクリスマス・パーテイのことを思い出したのだ。
「賑やかだなー」
…楽しいんだろうな。
それはそうだろう。五つも年上の、こんな怒鳴り声がうるさいだけの男の相手をしているより、こっちに来ていた方が楽しいに違いない。
そう思うなら帰れば良いのに。
自嘲して、沙成はしんしんと降り積もる雪を見ながら、ひたすら哲平を待った。
スマートフォンは持って来ていたが、家を出てからは一度も取り出していない。
画面を見てしまえば、きっと我慢が出来なくなる。
どれくらいそうしていたのか。
校門に背を預けていた青年は、聞覚えのある声にはっとした。
「沙成?!」
そこで走り寄って抱きつきでもしたら、かわいげがあるのかもしれないが、沙成はしかし、しなかった。
パーテイ参加ならば私服可のはずにも係わらず、制服のままで哲平は駆け寄ってくる。
「どうしたんだよ、沙成!」
雪が月明かりを反射して、辺りはことのほか明るい。いつの間にか雪も止んで、沙成はゆっくり上体を校門から離した。
かと思うと、いきなり哲平に背を向けて歩き出す。
「沙成っ?」
さっぱり、訳が分からない。
いきなりこんな所に居ることも分からないし、哲平の顔を見るなり逃げて行くことも、哲平にはまったく分からなかった。
分からないなら聞けば良いだけだけど。
陸上部が三年間欲しがった俊足でもって、今泉哲平は想い人の後を追い掛けはじめた。
処女雪に小さな足跡を残して歩きながら、沙成は一度も彼を振り返らなかった。哲平がついてくるのを当然と言わんばかりに。
沙成は背の高い方ではない。平均的な身長よりもいくらか低いくらいだろう。その小さな体で、ずんずんと大股で町を歩く。
スピードを上げて彼に追い付くのは簡単だったが、哲平はそうしなかった。追い掛けっこみたいで、何だか楽しい。思えばまるで自分たちの関係その物だ。いつも前を歩くのは沙成で、哲平はそれを必死に追っている。それが悔しい時だってあるけれど、本当はそんなに気にすることではないのかもしれなかった。
・・・だって、沙成は追いかけてくる事を待っているのだから。
見知った道を通り抜けると、そこはやはり見知った場所だった。
商店街の一角にある画廊<ウエスト>。
その裏…洋風の建物の前で、西枝沙成は待っていた。
今泉哲平を。
鉄製の門扉が開け放たれた庭へ、ことさらゆっくり哲平は足を踏み入れる。
白銀の洋館。
沙成が自信を持って〈好き〉と言うだけあり、それは本当に神秘的な美しさを惜しみなく人々に晒していた。哲平だって写真家魂が疼かないと言ったら嘘になる。
だが、今哲平の目を捕らえているのは、そんな〈風景〉ではなく、ただ一人の人物。
三段しかないコンクリートの階段の上で、扉を背に哲平を睨みつけている青年に、初めて会った時と同じように哲平は見入ってしまった。
しかし、今度はいきなりシャッターを切るような無粋な真似はしなかった。
横に長い長方形の庭を突っ切って、少年はその段上に上がる。
神聖な儀式にも似た緊張。中世の騎士ならここで姫の手に接吻するところだ。
不機嫌そうにも見える沙成に、哲平は、にこ、と笑顔を向けた。
「メリー・クリスマス、沙成」
「メリー・クリスマス、哲平」
しかめっ面は破顔し、泣き笑いの…でも幸せそうな笑顔で沙成はようやく哲平を迎えることができたのだった。