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act.2


 夕べ降った雪のせいで客足は遠のくかと思っていたのだが、却って「ホワイト・クリスマス」だからと、出歩く人が多いらしい。

 <ウエスト>も予想以上の繁盛ぶりを見せた。

 沙成さなりが買い付けてきた低価格帯の絵はどれも好評で、クリスマス用に仕入れたものは全て売りきれてしまった。

 しかし、目の回るような忙しさも、ふと波が切れることがある。そんな時考えるのは、二日たっても現れない、沙成さなりの言うとこの〈嘘つきで馬鹿〉の今泉いまいずみ哲平てっぺいのことばかりである。

 先日、哲平てっぺいが座っていた椅子に、沙成さなりは腰掛ける。

 昼食は食べていないが、五時を回ってしまった今ではもう食べる気にもならない。

 昔から一人で食事をするのが大嫌いだった。

 普段そんなに気にならない〈独り〉が、食事の時には何倍にも膨れ上がって沙成さなりを押し潰す。だから、時々夕食をすっぽかしたり、見たくもないTVをつけたりすることが何となく習慣になっていった。

 昼は良い。学生時代なら学校の友達がいるし、今なら秀宏ひでひろがいる。〈独り〉じゃない。

 哲平てっぺいと知り合ってからは、沙成さなりはよく彼を食事に誘った。沙成さなりの作った物を哲平てっぺいは大抵美味しそうに食べてくれる。手料理なんて、親にも食べさせたことがなかったから本当は心配だったけど。

 「沙成さなりって、料理上手いな」

「おだてたって何もないからな」

「惜しいな、キスしようと思ってたのに」

とか言いながら少年は沙成さなりを抱き寄せて、頬にキスしてくるのだ。唇へのキスは沙成さなりが嫌がるから、しない。

 独りでは広過ぎる屋敷に、哲平てっぺいは賑やかな明かりを灯してくれる--不思議とそんな錯覚を起こしてしまう時がある。秀宏ひでひろは好きだし兄とも慕うほど信用がおけるが、こんな安心感は持てない。

 父母の生前だって、この家に独りで居ることは多かったけど、それでも今に比べればまだましだった。この世界のどこかに彼らは居たし、沙成さなりは決して愛されていない子供ではなかったから。学校が長期の休みの時は必ず絵画の買出しに連れて行って貰ったし、父母が揃って出掛ける時はしょっちゅう電話やカードが来た。

 でも、今はそれもない。

 沙成さなりは独りぼっちだ。

 両親は絵を買い付けに行った先の国で不慮の交通事故に遭い、そのまま帰らぬ人となった。沙成さなりが大学を卒業し、ようやく家族揃って一緒に仕事が出来るようになると喜んだ矢先の事だった。

 あの時の痛みと喪失感を、沙成さなりは一生忘れる事が出来ないだろう。

 もう二度と大切な人を喪いたくないと、置いていかれたくないと思うのに。

 ー哲平てっぺいも、沙成さなりを独りにした。

 いつもなら、それこそ沙成さなりの言うように、些細な諍いをしても哲平てっぺいは翌日には<ウエスト>に現れていた。

 「ケンカしてるときは『二度と会わない』とか思うんだけどさ。一晩経つとどうしても会いたくなるんだよ。・・・惚れた弱みってやつかな」

照れ笑いする少年の顔が、沙成さなりは好きだった。

 思い出した笑顔は、今の沙成さなりにはあまりにも切なくて。

 ー夜も抜いて寝ようかな。せっかく作りはしたけれど。

 食べたくない…。


 カラン。


 聞き馴れたはずのカウベルなのに、うとうとしかけていた沙成さなりはびくっと飛び起きた。

 「あれ、沙成さなり居ないの?」

反応がなかったからか、来客はきょろきょろと店内を見回した。

「居るよ、みゆき

旧知の、若い人気画家の名を呼ぶ。

 杉本すぎもとみゆきは呼ばれてやっと、尋ね人を見つける。が、次ぎに呆れた声を上げた。

「ちょっと、どうしたの、沙成さなり? その疲れ様は!?」

「オーバーだな。…昨日今日と、繁盛しすぎてダウンしてるだけだよ。それより、何の用だった?」

 高校生の頃から既にその才能を認められていた杉本すぎもとみゆき沙成さなりとは、美大時代からの友人である。美大の同期生と言うととかく相手をライバル視しがちだが、元々専攻が異なっている事もあり、二人は初対面から不思議と馬が合った。

 杉本すぎもとみゆきはその才能のみならず、〈美人〉と言うことでも有名だった。華やかさはないが、整った正統派の顔立ちをしている。また、実家が茶道の家元をやっている関係か、今時珍しく和装の似合う青年である。ただし今日は品のいい若草色のセーターと薄茶色のロングコートといった出で立ちだが。

 コートのボタンを外しながら、みゆきは大きな瞳をしばたかせる。

 「何の用…って、君ねぇ。俺に絵を注文したの、忘れ去ってない?」

「…忘れてた」

「贈物だって言うから人が必死に描いたのに、頼んだ人間がこれじゃぁね」

大きなペーパーバックから、みゆきは一枚のキャンバスを取り出した。

 描かれているのは、雪の頃の西枝にしえだ邸。

 それは、沙成さなりが一番好きな風景だった。

 四季に様々な風景はあれど、白銀に包まれた家の明かりほど暖かい物はないと思う。

 そうだ。だからこそ、優しい風景画を描く友人に無理を言って、この絵を頼んだのだった。大好きなこの家の風景を、哲平てっぺいにも見せたくて。

 『写真一枚だから、ひょっとしたら正確じゃないかもしれないけど…でも、俺もこの写真の風景好きだから頑張ってみるよ』

 みゆきはそういって、素人写真から絵を起こすなどという沙成さなりの我がままを聞いてくれた。

 「全力は尽くしたつもりなんだけどね。でも、注文された絵を描くなんて始めてだから緊張したよ」

「どこが。凄く良い出来だよ」

それは嘘偽りない、感想。・・・早くこの絵を哲平てっぺいに見せたかった。自分の好きな風景を彼に知って欲しかった。

 そしてなにより。

 ・・・会いたかった。

 「沙成さなり画商のお眼鏡にかなったってことは、自信持っていいってことかな?」

くすくすとみゆきが笑うと、沙成さなりもつられて笑ってしまう。

「何を何を。杉本すぎもと画伯に、私ごとき弱輩が申す言葉などありませんよ」

「あ、そういう風に出る?」

しばらく画商対画伯のやりとりがあったが、何か飲物を出そうと言う沙成さなりに、みゆきは丁重に辞退の言葉を述べた。

沙成さなり、体調悪そうだからね。俺はこれで帰るよ。…余計なお世話かもしれなけど、あんまり体調悪かったら、店閉めたほうがいいよ。どうしても閉められないって言うなら、連絡くれればゆきちゃんと一緒に手伝いに来るし」

「ありがとう。…大丈夫。もう閉めるよ。今年分は十分に儲けさせて貰ったしね」

「そう? なら良いけど」

小首を傾げる友人を扉まで見送って、沙成さなりはそのまま店のシャッターを閉めた。


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