意思の統合
転移から1ヶ月
帝都コンスタンティノープル・宮殿では今も情報が錯綜していた。帝国政府も事態が解明できず理解が追いつかないのだ。地中海沿岸部の漁師は、海で見た事のない魚を捕まえたり、国境付近の森ではお伽話に出てきそうな動物も確認された報告が届いた。
最初は誰も信じなかったが、現地の部隊長が実物を捕らえ、コンスタンティノープルに送られて元老院はただ困惑するしかなかった。
アナトリア半島の東はアジアでなく海が広がり、国境線に沿って断崖絶壁が続いている。
反対のバルカン半島の西はヨーロッパではない謎の大陸が広がっていると報告もあった。
すでに西側には足の速い軽装騎兵を偵察に出し馬で数日行った先には幾つかの村や町が発見された。人間が住んでいる事も確認されていたが、相手が友好的か敵対的か判断がつかなかったった為、接触は危険と判断し近々使者を立てることを計画した以外特に何もしなかった。
そんな中、帝都コンスタンティノープル元老院では今年60歳となった皇帝バシレイオス2世を含む、将軍、地方の長官、商人等を交えての討論会が開かれていた。
「状況を報告せよ」
「皇帝陛下、我が帝国は目下非常事態下にあります。偵察隊の報告では、陸地が確認された地域の国は神聖シラクサ王国という名前であり、ブルガリア王国は存在しないとのこと」
「聞いた事の無い名だな」
「西のゲルマン人が興した神聖ローマ帝国とは別の様だな」
「コホン、今のところヨーロッパ及びアジア地域の痕跡は発見されていません」
「すなわち、ここは未知もしくは、未発見の土地で我々は帝国ごとこの世界に移ったと言うことか?」
「断言は出来ませんが、現段階では恐らくその通りかと思います」
会議室はざわめいた。なにせあり得ないことなのだ。東欧の覇者としての誇りを持つ東ローマ帝国、かつてより衰えたと言えその影響力は健在である。しかし、国は人間に支配され運営される人間の共同体に過ぎない。統治するのが人間である以上、人知を超えた事態に対応できるかと言えば答えは、否である。
まして古代と違い、皇帝が頂点に君臨しても高度な官僚機構と言う強固な基盤を有する東ローマ帝国は、いかなる事態に柔軟に即応出来る体制を持つが、一度上が麻痺すれば国全体が機能不全に陥りかねない致命的な欠点を持っている。現に会議室には神に祈る議員もいる始末だった。
無論、”官僚だけ”ならの話だが…。
「静まれ。国を扱う我らが動揺してなんとするか」
議員等の混乱を鎮めたのは中央の席に座り沈黙していた、東ローマ帝国最高権力者、現皇帝バシレイオス2世・ブルガロクトノスその人だった。
「我々がどこに来たかなど、この際どうでも良い。問題は交易が絶え物流が滞っていることだ。物資の減少は物価の高騰を招く、放置すれば国内の秩序が乱れ治安が悪化し最悪兵士まで暴徒に成りかねない」
会議室の一同は青くなった。東ローマ帝国にとって交易がどれほど重要なものか知らない者はここには居ない。すでに交易停滞の影響は大都市コンスタンティノープルにも及んでいる。いや、大都市であるだけに消費も多く影響も受けやすいのだ。
「諸君、目下の課題は経済体制の再建が先決だ。時間はそう残されていない、急ぎこの世界の近隣諸国に使いを出し、友好的に交易が行いたい事を申し出るのだ」
「下手に出るのですか陛下」
「気持ちは分かるがやむを得まい」
「相手が万が一にも高圧的もしくは攻撃的だった場合は当然…」
「アレクシオス将軍とベリサリウス将軍に臨戦体制を整えさせてある」
バシレイオスは口元を歪めた。
「相手が誰で何であろうと道理を弁えぬなのならば、代償を支払わせるのみだ」
「…それでは陛下、使者は誰を使わされるのですか?」
元老院議長グレゴロスに多く議員等が注目した。高位の者は危険を恐れ行きたがらないだろうし、一般の役人を送っても国威を問われかねない。
「…ソフィアの小領主ヴァセリオス準男爵を遣わす」
議員等は互い視線を合わせた。驚いた訳ではない、単に誰か知らないのだ。唯一グレゴロスだけが頷いた。
ヴァセリオス家の長、ティベリオス・ヴァセリオスは親衛隊長を務める事以外に特に宮廷や貴族と関わりを持たない人物でもある。
だが、無名でも優れた領主として皇帝は認知し、領主と親衛隊長を兼任し多忙を極めても職務に忠実であること、息子も父に似て非常に優秀とも知っていた。
「諸君、使者の人事は余に委ねてほしい。他の命令に関しては追って通達する」