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ティベリウス

少し長くなりました。


アウグストゥスは子宝にこそ恵まれなかったが、唯一の実子である娘ユリアが盟友アグリッパとの間に産んだ実の孫、ガイウスとルキウス兄弟の誕生を喜びすぐにこの兄弟を養子にした。


彼にはもう一人、妻の連れ子、後の後継者にして2代皇帝ティベリウス・クラウディウス・ネロがいた。ガイウス、ルキウス兄弟の後見人としてアウグストゥスはティベリウスに護民官職権を与えた。これはかつてアグリッパにしか与えなかった特権でもある。だが養子にはしなかった。ティベリウスはあくまでも兄弟が後を継げるまで成長する間の権力の中継ぎであった。が彼は受け入れたし後継者になろうとも反抗もしなかった。

しかし、そのためにティベリウスは幸せな結婚生活を捨てなくてはならなかった。

ティベリウスはアグリッパの娘ウィプサニアと結婚し、長男ドルススと幸福な生活を送っていた。しかし、アグリッパ死後、アウグストゥスはガイウス、ルキウス兄弟では不安でより自身の家族から子を増やそうと、ティベリウスにウィプサニアと離婚し、娘ユリアとの再婚を強制した。両者ともまだ若いので十分子を産める年齢であったのだが、ティベリウスとユリアとの間に子は一人もいない。最初から二人の関係は悪く結婚生活は上手く行くはずがなかったのだ。


しかし彼は一時アウグストゥスとのゲルマニアをめぐる問題に関しては妥協しなかった。


ゲルマニアの属州化はあのカエサルさえ取り組まなかった問題でもあった。

ティベリウスはかつて、弟ドルススとアウグストゥスの最高軍事顧問兼軍司令官アグリッパの下でゲルマニア戦に従軍して軍歴を重ねた。

アグリッパ不在の際はティベリウス、ドルススがゲルマニアで戦った。

アグリッパ死後もこの兄弟がゲルマニアに残り、征服と平定を続けた。だが弟ドルススは戦地での赴任中に落馬の傷が原因で命を落とした。兄ティベリウスはドルススが息を引き取るまで付き添ったと言う。


ある意味ティベリウスはこの時最も信頼の置ける親族を失ったのかもしれない。

アウグストゥスもドルススの死に悲しみ、ドルススに贈られるはずであったゲルマニクスの称号は息子に与えられた。


ゲルマニアの大半はローマに征服されたが属州化は完了しておらず予断を許さない状況が続いたが、アウグストゥスはゲルマニア征服を完了したと判断していた。

ティベリウスはアウグストゥスはゲルマニア統治を楽観視しすぎているとしか思えなかった。アグリッパ死後、軍事に関してアウグストゥスに進言出来るの者はいなくなっていた。

だが故に、ゲルマニア問題に精通したティベリウスは安定化には時間が必要であると進言した。

だがアウグストゥスはティベリウスに必要な軍事力を与えなかった。ついにはアルメニアが不穏な動きを見せ始めたのでティベリウスを東方に派遣する命令を下した。

この命令がティベリウスにある決心をさせるとも知らず。


両者は意見の対立から決裂しティベリウスは自ら公職から退き、母の説得にも耳を貸さず逃げるようにローマから去りロドス島に隠居した。

妻ユリアとは事実上の離婚だったが、離婚を申し出た訳ではないので、ローマでのユリアは立場は離婚も告げられること無く夫に去られた妻と言う、不名誉な形だけ残った。

二人の愛の無き結婚生活は6年に及んだ。


アウグストゥスは公職と義務を捨てたティベリウスに本気で怒った。

後にティベリウスがローマに戻るまでの8年間、アウグストゥスはローマをひとりで統治しなくてはならなかった。


ティベリウスはこの間、アウグストゥスの代理人の称号だけは贈られた。


8年後ティベリウスは再びローマへと帰還した。この8年の間にアウグストゥスが後継者にと選んでいたガイウス、ルキウス兄弟はこの間に他界し、老齢に差し掛かったアウグストゥスは有力な後継者を失い、友を失い、家族を失ってなお巨大なローマを統治しなくてはいけなかった。

この重荷を自らの意思で降ろす権利はアウグストゥスには無かったのだ。


そして彼を支えられ、かつ後継者に相応しい人材は年齢的にも能力的にも妻の連れ子で血縁関係にないティベリウス以外にいなかった。

帰還した彼はアウグストゥスを支えた。アウグストゥスは彼に2度目の護民官職権を与え紀元4年にティベリウスを養子とした。

46歳で後継者となり名もティベリウス・ユリウス・カエサルと変えた。


養子となり10年後、養父アウグストゥスが世を去り56歳で皇帝(元首)に就任。

同時に彼は皇帝として統治期間、アウグストゥスによって完成されたパクス・ロマーナの維持と、帝政の基盤を盤石かつ鉄壁なものに変えようと努力しその類稀な手腕を発揮した。


だが多くの共和主義者からはスキピオ・アフリカヌスを輩出したコルネリウス氏族に並ぶ名門中の名門クラウディウス家の出でありながら、共和制を否定した彼を裏切者と呼ぶ者は多い。


しかしティベリウスは分かっていたのだ。帝政(元首政)こそ次のローマに合った正しい政体であると。

ティベリウスは22年間ローマを統治したが多くの親族、友人に裏切られ疑心暗鬼となり、晩年は恐怖政治を行った。だが彼は人間嫌いでも人間を治める義務は最期まで果たした。


彼は統治者として有能ではあったが、最後まで人気の無い統治者であった。

78歳で世を去り、彼の死はローマ人は喝采で迎えたほどに…。

次回はその後のローマ帝国の流れ的な物をバシレイオスの時代のとこまで簡単に書きたいと思います。

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