第一人者アウグストゥス
少しアウグストゥスと後継者ティベリウスとその後の流れ的な物な物について簡単に載せようと思います。
読まれなくても特に問題ありません。
初代皇帝と呼ばれる人物は当時わずか18歳の無名の青年ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌである。
終身独裁官であり、大叔父ガイウス・ユリウス・カエサルがポンペイウス劇場にて共和主義者等に暗殺され、暗殺後にカエサルの遺言が公開されるとトゥリヌスを自身の養子にし、かつ後継者にすると記されていたこれによりトゥリヌスは、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスと改名した。
彼はカエサルの名と政策の全てを受け継ぐ資格を得たのだ。
彼は度重なる権力闘争を戦い抜き、最後には最大のライバルであったマルクス・アントニウスとその同盟者を撃破した後、間もなく元老院議事堂にてカエサル死後発生した内乱の終結と、共和制復帰を宣言。自身に付与された強大な非常時大権はローマに返した。
元老院はこの共和制復帰宣言とオクタウィアヌスの権限の返還を深く考えるようともせず、ただ歓喜し喝采をもって勝利者にして共和制の守護者オクタウィアヌスを称え、3日後彼にアウグストゥス(尊厳ある者)の称号まで贈った。
だがその時オクタウィアヌスは最早不要になった権力を放棄しただけで、国家元首相当の執政官職と軍司令官たるインペラトラの地位までは放棄していなかった。
35歳で全権を掌握し、元老院からアウグストゥスの称号が贈られ、インペラトル・カエサル・アウグストゥスと称号を個人名として名を変え、本格的な帝政(元首政)を開始した。
彼はアウグストゥスとなってから41年間に渡りローマを導いた。そして生誕77歳を目前に世を去った。18歳でカエサルの後継者となってから生涯の大半を国に捧げたのだ。
アウグストゥスは生涯を賭けてパクス・ロマーナ(ローマによる平和)の構築に尽力し実現と完成に成功したのだ。
次回はティベリウスについて書こうと思います。