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2回裏 新米オーナー、新たな決意

「ふうっ」


 1回裏を投げ終えた藤川は、滴る汗をアンダーシャツで拭うと帽子を取った。先頭打者に投じた初球をレフトスタンドへ叩き込まれると、動揺したのか死球(デッドボール)で走者を出してしまい、更にそこからの連打でいきなり3点を失った。それ以上の失点はするまいとなんとか踏みとどまったものの、あわや打者一巡という場面まで粘られ、初回だけで実に30球を投じる結果となった。なにせ、相手は昨年度リーグ優勝と日本一を成し遂げた岡山三陽(さんよう)シャークスだ。こちらもエースとはいえ相手が悪い。藤川は、一塁側のダグアウトへ向かおうとすると思わず後方を振り返った。耳慣れない応援歌が球場を包む。そして――


 がんばれ! がんばれ! 藤川! がんばれ! がんばれ! 藤川!


 昨年までなら野次のひとつでも飛ぼう場面だったが、今年は違う。横浜のファンが、エースへの力強い声援を飛ばす。ライトスタンドに目をやると、藤川の背番号18のユニフォームを着たファンの姿も目立つ。藤川は思わず胸に迫るものがあり、汗を拭うふりをして目元をこすった。


(おかしいな…どうにも、歳を取ると涙もろくなっていけねえわ)


 一塁側では早くも、古島の声を合図にベンチ前に円陣ができていた。円陣が完成すると、ベンチの最前列に陣取っているヘッドコーチの羽生田親志(はにゅうだちかし)が加わり、現役選手も真青な大声を張り上げる。


「エエか! たかがまだ3点や。こんな程度で諦めたらアカン。去年までのチームとは違うっちゅうところをシャークスに見せてやらな。3点取られたらお前らが4点取ったらええだけの話や! 気持ちで負けんように。 おい三坂、分かっとるな? 気合やぞ!」


「押忍!」


 この日1番打者に入る三坂克成(みさかかつなり)は、羽生田の檄に呼応するように大きな声を響かせた。羽生田の後に続く古島が、再び口を開く。


「羽生田さんの言う通りや。とにかく、俺らはこの程度で勝負投げたらアカン。今日必ず勝って、ヤングスターズっちゅう名前をどんどん売っていこうやないか。準備はええな? さぁ行こう!」


「オオオオイ!」




『さぁ、このヤンスタMM初めてのヤングスターズの攻撃が始まります。ライトスタンド、そして一塁側に詰めかけたヤングスターズファンの皆さん! 選手たちにもっともっと大きな声援を送りましょう。バッティング・ファースト! センターフィールダー。 No.33、カツナリ・ミサカ!』


 ホームラン・ホームラン・克成! ホームラン・ホームラン・克成! 持ってこーい!


 スタジアムDJのコールに呼応するように、ファンから三坂へのコールが湧き上がる。ネクストバッターズサークルから打席に向かう三坂は、アイブラックで黒く塗られた顔でライトスタンドを見上げると、ひとつ大きくうなずくとバットを掲げた。


「シャアーーッ!!」


 三坂は、大歓声のスタジアムにも響くほどの大きな声で叫んだ。高卒で前身のパイレーツに入団してから5年目の三坂は横浜出身で、地元の名門・横浜第一高校野球部でプレーしていた。思いがけず地元でプレーする機会を得た三坂には、盛り上がるなというのが無理な話だ。ファンからも大きな声援が飛ぶ。三坂は、全神経をマウンドにいるシャークスの背番号11へと向けた。村田智伸(むらたとものぶ)――。昨秋のドラフトで4球団競合の末シャークスがドラフト1巡目で引き当てた、大学球界ナンバーワンの呼び声高い右腕投手だ。知名度だけで言えば、昨年までほぼファーム暮らしだった三坂とは比べ物にならない。だが、三坂にもプロの荒波に4年間揉まれてきた意地がある。


 審判の声を聞くと、三坂はグッ、とバットのグリップを握りしめた。村田が捕手のサインにうなずき、大きく両手を振りかぶる。


(――来い!)


 初球は、ヤマを張ると決めていた。狙いは、高めのストレートだ。豪快なフォームから投じられたストレートは、浮き上がるようにぐいと伸びてくる。


 カァン!


 振り抜いたバットが白球を捉えると、そのままショートの頭を超える。レフトの手前に打球が落ちると、外野席のヤングスターズファンから大きな歓声が湧き上がるのが三坂の耳にも聞こえた。


(おお、こんなにデッカイ声援の中でプレーできるとか…控えめに言って最高だな!)


 ノーアウトで塁に出た三坂を、続く2番打者の遊撃手・難波睦宏(なんばむつひろ)が手堅くバントで送ると、続く3番の和田は強振し、ライト線ギリギリのフライを飛ばす。シャークスの右翼手・丸岡龍太郎(まるおかりゅうたろう)が捕球したのを確認すると、三坂は勢いよく飛び出し、三塁へ頭から滑り込んだ。


「セーフ!」


 再び、ライトスタンドが沸き立つ。ツーアウト三塁で迎えるのは千葉だ。3点ビハインドを忘れるほどの熱気に、シャークスバッテリーは何事か話し込むと、ベンチの方を向いて二度頷いた。


「…?」


 記者席で観戦していた横濱新報の記者・西口真琴は、怪訝そうな顔でバッテリーを見つめた。すると、打席の千葉が構えると、捕手の森下豪貴(もりしたごうき)がおもむろに立ち上がる。


(…初回から敬遠?)


 打席の千葉は首をひねった。村田も素直に、外角に大きくボールを外す。アマチュアでもそう見ることのない、初回からの敬遠劇にスタンドからどよめきが起こる。2アウト二・三塁で、とはいえ迎えるのはオープン戦から好調を維持する新外国人のジャスティス・リーだ。すでに本塁打を連発する助っ人を迎えてでも、好機に抜群の強さを誇る千葉を避ける――それは、シャークスの作戦の手堅さでもあり、千葉がそれだけの打者へと育っている証左に他ならなかった。ライトスタンドのファンから、怒りを大きな声援に変えたかのようなチャンステーマが響く。


 ♪立ち上がれ ハマの星たちよ スタンドに打ち込め 勝利の一打!

  打て・打て J・リー! 打て・打て J・リー! ホームラン・ホームラン・J・リー!


 マウンドの村田は、ヤンスタMMに渦巻く異様な熱気に飲まれつつあった。昨年までの『負け犬集団』と呼ばれた静岡トーカンパイレーツの姿ではない。真新しい、白にロイヤルブルーのユニフォームを纏った横濱ヤングスターズは、昨年までの姿を捨て去り新しいチームへと生まれ変わり始めようとしている。村田は、じっと捕手の森下のサインを見つめた。二度首を振り、三度目のサインに深くうなずいた。


 渾身の力を込めて投げたアウトハイに、リーのバットは空を切るはずだった。リリースの時にわずかに指先に引っかかったボールは、逆のインコースへと吸い込まれていく。リーは、ムチをしならせるかのように強くバチン、と音を立てて白球を引っ叩いた。


 レフトスタンドに陣取る、黄色と黒のユニフォームが静まる。その静まったレフトスタンドのポールにリーの捉えた打球が直撃すると、ヤングスターズファンは総立ちになった。


『Goodbye, baseball!』


 スタジアムDJの声に、リーは二塁ベースを回ると大きくガッツポーズで応える。ホームベースで待ち受けていた千葉も、普段あまり見せないほどに興奮した様子でリーを迎えた。


 3-3。シャークスのワンサイドも予想されたゲームは、早くも振り出しに戻った。




 バックネット裏最上部の『ラウンジシート』と名付けられた個室には、オーナーの白鳥と球団社長を務める、身長193センチの村上達也(むらかみたつや)が試合の行方をじっと見つめていた。村上はバルコニーへ出ると、盛り上がるファンの姿をしばらく見つめて白鳥につぶやいた。


「最高ですね、社長」


「ええ、本当に。この歓声が聞きたかったのよ」


「大阪で3連敗した時はどうなるかと思いましたが、――ファンの力は偉大ですね」


 自らも元々プロ野球を志したこともあるという村上は、感慨深げにスタジアムを眺めた。とはいえ、白鳥の抜擢により球団社長の座に付く前は、広告事業を営む会社の営業部門を統べていた人間だ。多少実技的な心得があるとはいえ、暗中模索で始めた球団経営だが、大きな声援はそのスタートダッシュが成功だと確信するに十分なものだった。白鳥はスタジアム内のショップで買ってきたという、自らがプロデュースした大ぶりなアメリカンバーガーにかぶりつくと、口の端をペロリとなめて村上に言った。


「さあ、ラストイニングよ。豪腕クローザーに期待しましょ」




 同点のまま膠着した試合は、8回の裏に動いた。リーと古島が出塁すると、7番を打つロドニー・グリーンの代打で出場した内田龍平(うちだりゅうへい)の2点タイムリーで勝ち越しを遂げた。投手陣は5回以降リリーフ陣が小刻みな継投でしのぎ、最終回のマウンドにはストッパーに指名された松川泰由(まつかわやすよし)が立つ。


 ――ストライク! バッターアウツ!


 松川は150キロを超えるストレートと鋭いフォークで2者連続を奪うと、打席にシャークスの4番・細田智浩(ほそだともひろ)を迎えた。ここまでチーム最多の4安打を放った細田は、昨シーズンも本塁打・打点の2冠に輝いた日本を代表する4番打者だ。松川が帽子を取って汗を拭うと、三塁にいた千葉が松川の元へと駆け寄った。千葉は、松川の肩をグラブでポンポンと叩くと、小声でつぶやき再び三塁へ戻っていった。


「…心配すんな。仮に打たれたところで1点だ。点なら取り返してやるし、転がってきたボールなら絶対捕ってやるから」


 松川は、千葉に分かるようにうなずくと本塁に構える生天目を見た。投手出身の細田は、187cmと野手としては非常に大柄だ。生天目のサインにうなずくと、松川は振りかぶった。その手からボールが投じられた瞬間、細田が一瞬驚いた表情を浮かべた。直球と思われたボールは、細田の目の前で胸元へ食い込む。思わず手を出してしまった細田のバットが、ミシッと鈍い音を残して砕ける。松川は、転がってきたボールを冷静に拾い上げると、ファーストの内田へと送る。


 ウオオオオォォォ…!


 ライトスタンドから歓声が上がったのを確かめるように、松川はゆっくりと右手を上げた。新生・横浜ヤングスターズが、待望の初勝利を挙げた瞬間だ。マウンドにゆっくりと集まった千葉や正捕手の生天目たちは松川とハイタッチを交わすと、一塁線に並び一斉に帽子を取り、一塁側スタンドのヤングスターズファンへと掲げた。



「やりましたね」


 ラウンジ席の白鳥は、握手を求める村上の手を取ると満足気に微笑み大きく頷いた。すでに帰路につき始めたシャークスファンが去り、スタンドはチームカラーの青一色に包まれている。


「ここからね。勝負は」


 歓喜に湧くファンを眺めながら、白鳥は決意を新たにラウンジシートへと戻っていった。

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