2回表 誕生、「横浜ヤングスターズ」
まだ肌寒さの残る3月下旬、日本プロ野球は開幕を迎えた。開幕カードの3連戦を終え、次の3連戦で本拠地開幕を迎えるチームもある。それは、昨シーズンまで静岡トーカンパイレーツと名乗っていたこのチームのメンバーも同じだった。しかし、今シーズンからはチーム名、親会社、本拠地すべてをリニューアルして新たな戦いに挑んでいる。しかしながら、意気揚々と敵地・大阪に乗り込み、大鉄レッドソックスと迎えた3連戦を、昨年同様に3連敗で終えたあたりは見慣れた光景といえようか。それでも、新たな本拠地の周囲には徹夜組のファンも出るなど、新チームへの期待値はいやが上にも高まっているように見受けられた。
横浜・みなとみらいの一角に、高島町というエリアがある。この一角に、平成初期に開発され草野球や大学野球のリーグ戦で利用されてきた球場――名を「横浜みなと球場」という――を、パイレーツを買収した新オーナーは本拠地と定め、買収表明からわずか8ヶ月の間に3万人を収容する一大スタジアムへと変えてみせた。
「まさか、みなと球場がこんな立派なスタジアムになるとはねぇ」
地元の新聞社である横濱新報の女性記者・西口真琴は、球場のコンコースを眺めながらため息をついた。短期間の工事だけに華美な装飾こそないが、シンプルな造りのスタジアムに、新たなチームカラーとなった鮮やかなブルーの装飾が随所に施されている。開場前で未だ静かなグッズ売り場、レストランなどが立ち並ぶコンコースを眺めて周りながら、真琴はボソッとつぶやく。
「なかなか、都会的でスタイリッシュね。…チーム名以外は」
思わず苦笑いをしたそのチーム名は、静岡トーカンパイレーツ改め『横浜ヤングスターズ』という。そして、チーム名の改称に伴い、この横浜みなと球場も『ヤングスターズスタジアム・横浜みなとみらい』――通称ヤンスタMMと名付けられた。
「そうですわね。閃きが、いつだって時代にフィットするものとは限らなくってよ」
買収を決め、新チーム名の発表会見をここみなとみらいのホテルで行った際の記者会見で、「少年野球のチーム名のようだ」と問われた新チームのオーナー・白鳥奈緒子は、その質問を一笑に付した。ITを中心に数々の事業を立ち上げ、人気のサービスを多く生み出した白鳥が、単身プロ野球のビジネスに乗り出したことは大きな衝撃をもって報道された。しかも、買収したチームは万年Bクラスのパイレーツであったことも、その驚きに拍車を掛けた。記者会見では、無謀な挑戦ともとれる白鳥の買収劇に懐疑的、いや否定的な意見も飛び交った。
――万年Bクラスのチームを買収することに、「金の無駄」との辛辣な意見も目立ちますが。
「物事の始まりは万事批判を受けるものです。それに、無駄かどうかは事業オーナーである私が判断することです。この事業に夢と将来性を見出したからこそ、参入を決めたのです。そこに1ミリのブレもございませんわ」
――これまで白鳥さんはITを中心にご活躍されてきたと思いますが、ノウハウのないプロ野球という世界に挑まれるということで勝算はどのぐらいあるのでしょうか。
「負ける戦いにわざわざ資金を投下するほど私は愚かではありませんわ。勝算があるから事業をやるのです。勝算は210パーセントと申しておきましょうか」
――白鳥さんは事業を手がけられて3年程度で代表の座を辞されることが多いですが、今回も3年の有期ということでしょうか。
「時期を決めて事業のオーナーに就いたことはこれまで一度もございませんわ。いずれも、事業が軌道に乗って後を託せる適任者がいたからこそ3年ほどでオーナーをバトンタッチできたというだけの話でしてよ。私は失敗いたしませんので」
30代中盤ながら、これまで1世紀近い歴史のあるプロ野球に単身挑戦するだけあって胆力のある女性だ、と真琴は思った。そろそろ、時計は午後3時を指そうとしていた。開場を間近に控え、真琴は球場の外に待つファンの姿を見た。ビジターの東テレ・ロイヤルズは、球界を代表する歴史と人気を誇るチームだけあってロイヤルズファンの姿が目立つ。と思いきや、ブルーのマフラータオルにストライプのユニフォームをまとったヤングスターズファンの姿も徐々に増えている。昨年まででは考えられなかった光景だ。真琴は、関心した様子で大きくうなずくと、ふと背後に人の気配を感じて振り返った。
「あっ」
真琴の背後にいたのは、長い髪をなびかせ、チームカラーの鮮やかなブルーのジャケットを纏った妙齢の女性――オーナーの白鳥奈緒子その人だった。白鳥は満足気に微笑み真琴に会釈をすると、ジャケットを翻して通路の奥へと去っていった。
ホーム開幕戦、すなわち横浜ヤングスターズにとって本拠地のファンへのお披露目試合であり、このヤンスタMMの杮落としである。工事が急ピッチで進められた関係でオープン戦はかつての本拠地・静岡や近郊都市の球場で行われていたため、ヤングスターズがこの球場で試合を行うのは初めてのことだった。球場を埋め尽くしたファンのうち半数強がロイヤルズのファンではあるものの、昨年までは誇張を抜きに1,000人も観客が入らなかったことを考えれば、大きな進歩と言って差し支えないほどの客入りだった。
スタンドで新たな応援団が響かせる、新しい応援歌が漏れ聞こえる中、新生ヤングスターズナインは試合前のミーティングに臨んでいた。白鳥が初代指揮官として迎えた中野洋の話が終わると、フリーエージェントでロイヤルズからこのヤングスターズへと移籍してきた初代キャプテンの古島直樹が円陣を組んで、口を開く。
「ええか! 今日が俺たちヤングスターズにとってホームでやる初めての試合や。最初の試合言うんは、二度とやって来おへん。これからの試合、全力でプレーして、全力で勝ちに行こうやないか…横浜のファンにええ試合見せようや。さぁ行こう!」
「オオオオォス!」
男たちは、次々に一塁側のダグアウトへと向かう。サードの守備位置につく千葉は、無言でゆっくりと通路を進んでいく。すると、後ろから古島に肩を叩かれ、千葉は振り向いた。
「なんや健斗、緊張しとんのか?」
「…いや、緊張してないッス」
不意をつかれたのか、端正な表情に戸惑いがよぎる。古島は日に焼けた浅黒い顔でニヤリと微笑むと、再び千葉の肩をポーンと叩いた。
「ならええんや、おまえはいつも静かやから緊張しとんのかと思っとった。サードは内野の要やからな、張り切って行くんやで。ほな!」
ハイテンションで喋る古島を見つめながら、千葉は一言で答えた。
「押忍」
『サード・ベースマン! No.6。 ケント・チバ!』
グラブをはめた左手を高く掲げてグランドへ飛び出すと、ライトスタンドから一番大きな歓声があがる。初めてともいえる大歓声に少し戸惑いながら、千葉は定位置へ向かう。ホットコーナー――時に強い打球が襲うが、気迫をむき出しにした守備で魅せる三塁手の守備位置は、いつしかそう呼ばれるようになった。千葉は、帽子を取ってリストバンドで汗を拭うと、マウンドに立つ背番号18の姿を見つめた。サイドスローから放たれたストレートは、高めに大きくそれた。古島と同じく昨シーズンのオフにヤングスターズへと移籍してきたベテラン捕手の生天目友樹が、その背番号18――ヤングスターズのエース・藤川航の元へ駆け寄る。
「フジさん、なに緊張してんすか」
「…いや、別に」
生天目が茶化すと藤川は否定したが、すでに汗が滴り、膝がふるふると小刻みに震えている。生天目は藤川の背中をキャッチャーミットでドンと叩くと、言い聞かせるように言った。
「フジさん、とにかくリラックス、リラックスしていきましょう。自分、背は高くないんで上に逸れたら捕れないっすけど、左右なら横っ飛びで捕りますから安心して投げてきてください」
「わかった。サンキュ」
ふたりの会話が終わるのを待っていたかのように、ハードロックが場内に響く。藤川の出囃子だ。場内に、スタジアムDJによるコールが起こると地鳴りのような歓声が湧き上がった。
『ヤングスターズファンの皆さん! 今日がここ、ヤンスタMMの開幕ゲームです。勝利に向かって熱く闘うヤングスターズナインに、大きな大きな声援を送りましょう! 初戦のマウンドを託されるのは、やはりヤングスターズのマウンドにはこの人の背中が似合う。ミスター・ヤングスターズ。変幻自在の変化球を操る頼れるエース。No.18。ワタル・フジカワ!』
オオオオオオォ!
ヤングスターズファンからの声援を背中に受け、藤川はゆったりとしたフォームから数球ストレートを投げ込むと、右腕を大きく回してバッターボックスへと入ってきた1番打者と相対する。
球審の右手が静かに上がる。
「プレイ!」