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1回裏 主砲、意地の一撃

 千葉と呼ばれた男は、マウンド上での味方投手の仕草をじっと見つめていたが、じれったそうに立ち上がり、ダグアウトの裏手に下がったかと思うとヘルメットやバットを手に再び先程の席へと戻ってきた。かと思えば、後方で座っている監督に何やら話をしに行ったりと、終始落ち着かない様子でいる。


「おぉう、ほらもう、千葉のやつ、試合に出る気満々じゃねぇか」


 紙コップの男は、先ほどまでの不機嫌さはどこへやら、千葉の姿を見て笑みがこぼれる。もう一方の男――手にしたスポーツ新聞を応援バットのように丸めた男も身体を乗り出すようにダグアウトを眺めると、ニヤリとして言った。


「さぁさ、この回さっさと斬って取って、早く千葉に回してやんなよ、守高ちゃんよ!」


 ウグイス嬢が告げる。

『静岡トーカンパイレーツ、選手の交代をお知らせいたします。ピッチャーの、小清水に代わりまして――守高。ピッチャーは、守高。背番号53。守高選手は今シーズン初登板でございます』


 プロ入り後、一軍で初めての登板となる守高裕樹もりたかゆうきがブルペンから小走りでやって来る。千葉の姿を見て気をよくした男たちは、すでに逆転したかのように陽気に売り子を捕まえて、ビールと枝豆を追加で注文したのだった。



 オオオオォ!ドンドンドンドン…



 球場は沸きに沸いた。ただし、相手チームの声援に。男たちが期待した守高は最初の打者こそ三振に切って取ったものの、続く打者に連続でタイムリーを浴び、小清水の遺したランナーをまるまる還してしまった。8-0。さすがに男たちもどっちらけといった様子で、紙コップの男は周囲に客がいないのをいいことに長椅子状のベンチに寝そべってしまった。


「ダメだこりゃ……千葉に回す前に、試合がぶっ壊れちまっちゃアしょうがねえや」


「まったくだ」


 さっきまでは紙コップの男をなだめる余裕がまだあったスポーツ新聞の男も、守高の派手な炎上劇にモチベーションを失ったらしい。ウイスキーの水割りをぐびぐびとあおり、けだるそうにやはりベンチに寝そべった。


「よぉ、千葉が出てきたらもう帰ろうや」


「そだな…、どうせこの点差じゃどうやったってひっくり返せねえっぺよ」


 男たちのモチベーションは、千葉という男の登場ただ一点にかかっていた。千葉健斗ちばけんと――。万年Bクラスのチームにあって、唯一毎年タイトル争いにも顔を出す主砲かつ人気選手だ。東京の名門・帝北高校から6年前に投手としてドラフト2位入団したが、当時のスカウトの進言で野手に転向すると、持ち前のバッティングセンスが開花し早くから一軍出場を果たし、今ではチームの四番打者を務めるようになった。投打ともに揮わないチームにあって孤軍奮闘していたが、打撃練習中に自打球を当てて骨折し、今シーズンは二軍での調整が続いていた。


 すると、ライトスタンドの一角に陣取る応援団から、コールが沸き起こりはじめた。


 ケ・ン・ト!ケ・ン・ト!ケ・ン・ト!ケ・ン・ト!――


 千葉を早く試合に出せというアピールでもあるのか、ベンチの千葉に向かってのおかえりコールの意味合いでもあるのか、とにかくライトスタンドからは千葉を呼ぶコールが起こり始めた。すでに、試合の大勢は決している。千葉が出てこなければ、ファンの溜飲も下がらないというものだ。しかし、


「のんびり屋の晋ちゃんだから、千葉が出てくるのも何回になんだろな…」


「さぁな…たぶん、九回裏ツーアウトとか、どうでもいいタイミングで出してくんだっぺ?」


 男たちも半ばあきらめ気味の様子でため息をついた。チームの指揮を執る監督の石井晋一いしいしんいちは、消極的な采配で知られており、投手交代がもっと早ければ、代打がもっと早ければ、というファンの恨み節も込めて「のんびり屋」という有り難くない名前を付けられてしまっていた。


 3回裏のパイレーツの攻撃が始まる。マウンドに登ったのは、首位と2ゲーム差の2位につける古豪・大鉄だいてつレッドソックスのエース相原将宏あいはらまさひろだった。ここまで、パイレーツは相原に無安打に抑え込まれている。


 悲観的な紙コップの男が、またもや嘆く。


「相原から何本ヒット打てるんだっつうの?こんな調子じゃ、ノーヒットノーランやられちまうよ」


「まあまあ…点差はあってもまだ3回だからさ、とりあえず攻撃見ようじゃないの」


 何とか紙コップの男をとりなしたスポーツ新聞の男の気遣いもむなしく、先頭バッターと続くバッターふたりとも初球を引っ掛けてあっという間に2つのアウトが積み重なる。


「なァーにを考えてんだ、この馬鹿垂れ!」


 紙コップの男の悪態は止まらない。すると、


「おい、ネクスト見てみろよ、千葉出てきたぞ」


「あんだって?」


 スポーツ新聞の男の言う通り、ネクストバッターズサークルには千葉の姿がある。とはいえ、すでにツーアウトだ。千葉に打席が回らなくては意味がない。


「おーい、意地見せろ和田ァ!お前が塁に出て、千葉の出番作ってくれよ!」


『3番、ライト、和田。背番号36』


 昨年初めて規定打席に到達し、クリーンアップを打つ和田秀翼わだひでたかが打席へと向かう。和田は巧打タイプで一発を期待するのは難しいが、紙コップの男が言う通り、和田がつないでこの次が千葉の出番となるならば、これほど適役はいない。


 ストラァイーーーーィク!


 和田は相原のきわどい初球を見送ったが、判定はストライク。続く二球目は、相原が得意とするスライダーを空振ってしまいあっという間に追い込まれた。さすがにイライラしたのか、スポーツ新聞の男も和田にヤジを飛ばす。


「おいおいおい和田ちゃんよ、ストライクは大事にしてくれよ!」


 その声が聞こえたのか、和田は続く外角のストレートを見逃し、カウントは1ボール2ストライク。4球目をファールにすると、5球目が決まらないのか、捕手のサインに相原がしきりに首を振っている。


 相原は眉をひそめつつもようやく首を縦に振ると、5球目を投じる。


「危ない!」


 男たちの叫びとほぼ同じタイミングで、人がまばらなスタジアムにパーン、という音が響く。投じたストレートは和田の左ひじを直撃した。デッドボールに苦悶の表情を浮かべつつ、和田は一塁へと向かう。


 そして、球場を一瞬の静寂が包むと、ウグイス嬢は高らかに『宣言』する。


『静岡トーカンパイレーツ、選手の交代をお知らせいたします。バッターの三瓶さんべに代わりまして――千葉。バッターは、千葉。背番号、6』


 これまでずっと元気のなかったパイレーツファンから、ようやく歓声があがった。千葉は眼光鋭くマウンドの相原を見つめると、バッターボックスを踏み鳴らしゆっくりとルーティーンを始めた。バットの先でホームベースを二度叩くと今度はぐるぐるとバットを大きく回し、最後に垂直に立てたバットを投手方向にゆっくりと向けた。


 さっきまでダラダラとヤジを飛ばしていた男たちも、千葉の打席となれば話は別だ。リーグを代表する右腕と、若き主砲との対決を固唾をのんで見守っている。


 相原は、ゆっくりと振りかぶって初球を投じる。渾身のストレートは、捕手の構えた所よりボール二つほど高めに逸れただろうか。


 それを、千葉は見逃さなかった。


 カアンッ!


 千葉のバットは、相原のストレートを真正面から叩いた。打球は静岡の夜空に高く上がると、人もまばらなライトスタンドへと突き刺さる。


 2ランホームランに、ライトスタンドはもとより内野のファンも総立ちで千葉に拍手を送る。もっとも、当の千葉本人はニコリともせず、粛々とダイヤモンドを一周してホームへと戻ってきた。


「やっぱ千葉は、さすがだなぁ!これでこそ4番ってもんよ!」


「んだなぁ!パイレーツの4番は千葉だわな!おーい姉ちゃん、生ビールとスルメ頂戴!」


 これまでの試合展開を忘れたかのように、千葉のホームラン一つでファンは沸き立った。男たちも、先ほどまでの苦虫を噛み潰した表情はどこへ、満面の笑顔で主砲の帰還を祝った。


 だが、パイレーツの得点はこの2点のみで、終わってみれば15-2という圧倒的な大差でレッドソックスが勝利を飾った。







 そして、この夜のスポーツニュース――

『ここで速報が入ってきました。さきほどプロ野球パイレーツを運営する東日本製罐の越智道雄球団オーナーは記者会見を開き、パイレーツの今シーズン限りでの球団売却を表明しました。売却先は、IT企業などを複数経営する実業家の白鳥奈緒子氏と見られていますが、まだ詳しい情報は入っておりません。繰り返しお伝えします。プロ野球の静岡トーカンパイレーツは、今シーズン限りでの身売りが決定したという情報が入ってまいりました――』

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