1回表 打てないし、打たれる
『本来華やかであるべきはずの球場までの道のりは、数少ない静岡トーカンパイレーツのファンにとって果てしなく色あせて見える。投手はことごとく痛打されるか、もしくはストライクが入らない。打者はといえば、初球から打って出たと思いきや気のないポップフライを打ち上げ、たまの好機にはあえなく三振。それも、見逃して、である。一度崩れると精神的に脆く、連敗を重ねてしまうチームは、消極的な采配も目立つ。もはや、補強どうこうや身売りレベルの話ではなく、他球団の応援団からは「頼むからプロ野球から脱退してくれ」という横断幕を掲げられる始末である――』
「はぁ・・・」
ガラガラの一塁側スタンドで、スポーツ紙のコラムを読んでいた中年の男が、コップ酒を片手に溜息をついた。
「どうしたい、そんな情けない声あげて」
もう一方の男が尋ねる。
「どうもこうもねえよ! 長年ファンやってるけども、ここ最近の体たらくときたら堪ったもんじゃねえ......プロ野球のチームがだよ! 80敗も90敗もしやがって、恥ずかしくねえのかってんだ」
そう吐き捨てて、コップ酒の男は空になった酒をあおる仕草をする。
「俺ぁさ、この静岡にプロ野球チームができたって聞いた時はよ、そら小躍りして喜んだもんさ。蓋を開けてみりゃそりゃまぁ弱いチームよ。たまにAクラスに入るのが精一杯だけどもよ、おらが町のチームさ、そりゃ応援してやらにゃあと思ってずーっと球場通ってきたよ。だけどもさ」
そう言って、コップ酒の男はもう一方の男に、マウンドへ目線をやるよう促す。ついさっきまでは、マウンドには先発投手――若手の成長株と期待された小清水勇気の姿があったはずだ。ところが、男たちが話し込んでいる間にいつの間にか塁は埋まり、小清水の姿はダッグアウトへ消えていた。
「あんなざまだ。四球、死球、パスボール、四球ってよ、相手はろくにバットも振っちゃいねえじゃねえか」
「全くだなあ......野球は9人でやるもんなんだけどなぁ」
「見ろよ、チームがどんだけバラバラかって、あれ見りゃ分かんじゃねえか」
コップ酒の男が指差すマウンドにはナインの姿はない。投手コーチが一人ぽつねんと、お世辞にも整備が行き届いているとはいえないマウンドの上で2番手投手を待っている。だが、2番手の投手はなかなか出てこない。苛々したのか、しきりにマウンドを足でならす仕草をしている。
「普通、ああいう時はせめてひとりはマウンドに行くもんだけどなぁ」
もう一方の男が呆れたようにつぶやく。
「そうなっちまってるんだよ! 球団がやる気がないから監督もコーチもやる気がない、で、選手なんて言わずもがなだ。ダレきっちまってんのよ」
「でもあの社長だかオーナー、最初は景気よかったじゃないか」
「最初だけよ!そのうちチームが負けるし客は入らないしで金がそもそも使えやしない。親会社からの補填なんてたかがしれたもんよ。オーナーはやる気はあるんだろうよ、ただ、努力も方法が間違ってりゃ意味がねえのよ――」
男たちは、笛吹けど踊らぬチームの惨状を嘆いた。
静岡トーカンパイレーツ。プロ野球には戦後加盟し、昭和後期までは地元新聞社の静岡日報がオーナーとなり『静日パイレーツ』というチーム名であった。時代が平成に変わる頃、静岡日報はチーム名の変更を打ち出した。
それは『静岡パイレーツ』としての再出発。企業名を外し、独立採算制をとっての新たな挑戦だった。新しいチームは地元企業にスポンサーとしての出資を募った。その中に、現在のオーナー企業である東日本製罐の名前もあった。チームはリーグ優勝わずかに2回、日本一1回といういわゆる弱小ながら、それでもAクラス争いに加わる時期もあった。しかし、最大の特色でもあった「独立採算制」が立ち行かなくなると、メインスポンサーであった静岡日報が撤退。その他の企業も相次いで撤退する中、最終的に残された東日本製罐が、自社の略称「トーカン」をチーム名に冠することでチームを存続させてきた。
「だけどなぁ......」
コップ酒の男は続ける。
「トーカンが名乗り出てくれたからチームが存続してるってのはあるけどよ、こう弱くっちゃ、いつかは撤退しちまうんじゃねえかな」
「身売りってことかい......?」
「身売りならいいのよ、まだ買い手があるってことでさ。だけどよ、考えてもみな。こんな客の入らないチーム買う奇特な企業がこのご時勢であるもんかね」
「いやぁ、なかなか難しいだろうね」
「この不景気じゃあなぁ......、ン十億するお荷物球団をどこが買うやら」
この時代、収容人数が3万人にも満たない球場はただでさえ狭いはずが、明らかに観客以上に空席が目立つ状態だ。それに加え、ビジターの三塁側より一塁側の観客のほうが明らかに少ない状況に、男たちのフラストレーションは溜まる一方だ。
「ああ、ったくよお、情けねえ!」
コップ酒の男は再び空になった酒をあおる仕草をすると、スコアボードに目をやる。
「3回表で5-0じゃあ、ひっくり返せねえなあ......」
「おいおい、まだ諦めるのも早いんじゃないか」
「いいや無理だ。打てないし打たれるのにどうやってひっくり返すんだよ」
「ほら、だって今日は千葉が出てないだろう」
「あぁ・・・今日から復帰か?」
「そうそう、ほらよ、あそこで陣取ってるだろう」
指定席など、ガラガラのスタンドにあってはあってないようなものだ。男たちは購入した座席ではなく、内野の一番前の座席に陣取っていた。一塁側のダグアウトを覗き込むと――
そこには眼光鋭く戦況を見つめるひとりの男がいた。