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銀閣

作者: 姫月紋

奇しくも、今日は七夕であった。


 一人寂しく歩く私の姿は、華々しい彼らの目にいかに映ったであろう。……そんな視線など微塵も気にしない振りをして、いつも以上に胸を張って歩く私は、とてつもなく惨めだった。そんな私に追い討ちをかけるように、ぽつ、ぽつと雨が降り始める。

 何故、七夕の日には、こうも切ない雨が降るのだろう。視界が狭まるではないか。


 私が銀閣に憧れを抱いたのはいつのころだったろうか。神々しい金閣とは対象的なその荘厳な姿に心を打たれたことは間違いない。見た目の綺麗さではない。その見る人を問答無用に魅了する姿に、私は惚れ込み、何度も足を運んだ。

 足を止め、写真を撮るもの、見上げるもの、さまざまな人が行き交い、銀閣を愛でていく。それはとても純粋で、歴史的であるとか、美的感覚であるとか、そういったものを一切合財取り払い、なぜかは分からないが、また行きたくなる魅力を、銀閣は確実に有していた。

 銀閣と対面する度に、自分がこの場を好きなことを誇りに思う。ただただ落ち着く時間が流れ、そこに喧騒はない。ほっと胸をなでおろすそこを私は自分の居場所にしていた。


 ……というのが、ただの理想であることを今の私は知っている。銀閣を愛する私は、自分を卑下している私を肯定している。目立つことに恐れを覚え、華々しさとは程遠い自分の生き様を、銀閣を評することで自虐しているのだ。銀という「二番」の印象が強いものに憧れること、それはすなわち“逃げ”である。二番はとてつもなく楽なのだ。「一番を追う」というだけですべてが正当化され、許される。何かを追いかけることと何かに追いかけられること。これは圧倒的に違う。私は追われることが嫌で、抜かれることが嫌で、「二番手」というぬるま湯につかり続け、安全な立場から「金」を批判する。しかし、そこに充実感はない。残るのは、ただの自己嫌悪である。

 それでも私は銀閣を愛し、今日もまた足を運ぶ。嬉々として“彼”の写真を撮る観光客を横目に、私は安堵する。「一番」以外を一番愛する人がきっといるのだ。



 奇しくも、今日は七夕であった。

 織姫と彦星が出会うようなロマンチックな話ではないが、私は彼女と出会った。


 彼女もまた、寺にとりつかれた一人であった。ただし、彼女の愛するのは金閣である。金閣の良さを語る姿はとても生き生きとしていたが、私にはてんで関係のない話である。この女とは相容れないと何度思ったか。そんな私が何故彼女とかかわりを持つようになったのか。

その日は、何年か前の七夕であった。その日も、七夕らしい雨の降りしきる一日だった。傘を片手に銀閣を見上げた私は、その暗さにぞっとした。自分の思考の暗さに、ぞっとした。

「…………か」

「確かに趣はありますが、金閣には敵いませんね」

 はっと気づくと横に彼女が立っていた。私のつぶやきを聞いていたのだろうか。頬をひくつかせる私に対して、彼女は銀閣から視線をそらさずに続けた。

「そう思いませんか? 銀閣の人」

「……この美しさを理解できないのは悲しいと思うよ、金閣の人」

 私に視線を移した彼女の瞳を二度と忘れはしない。その目は雄弁だった。私の本音を見透かされている気がして、私は傘でさりげなく顔を隠した。

「私、金閣を燃やした人の気持ち分かります」

「どういうことだ?」

「あんなに綺麗だったら、燃やしたくなります」

 そうつぶやいた彼女の横顔は、天の川に負けず美しかった。

「……嫉妬、か?」

「それに近いかもしれません。どうしても手に入らないものは壊したくなる気がします」

「危険な思考だな」

「分かっています。でも、それが私ですから」



 奇しくも、今日は七夕であった。

 あの日と同じく、私はまた彼女と出会う。年に1回、彼女と出会う。



「本当に銀閣が好きなんですか?」

「何を言う……」

「本当は金閣が好きなんじゃないんですか?」

「――!」

 いきなりの問いかけに私は口ごもった。

 やがて彼女は諦めたようにため息をつくと、曇り空を見上げた。

 天の川は、見えない。

「どうしても、答えてくれないんですね」

「ああ」

「私は、あなたがもがいているのを見ていました」

「は?」

 彼女はすっと携帯電話を私の目の前に掲げた。待ち受け画面は彼女があれほど愛していると語っていた金閣ではなかった。

「私は一番を目指して頑張っている人を応援したいんです!」

 彼女がここまで大きな声を出すのを初めて見た。私は驚きを隠せず、数歩後ずさった。

「あなたは何も分かっていません。私が何故金閣を好きだと言い、何故銀閣に苦言を呈しているのか」

「……それは」

「私が何故、銀閣のあなたに、声をかけたのか!」

 彼女はそのまま口を閉じた。私はそんな彼女に声をかけられず、その場から逃げ出した。仕方がないではないか。私は“銀閣”なのだ。

「それが激しい自己嫌悪であろうとも!」

闇雲に駆け抜けながら私は叫んだ。それが、初めて外にあふれ出した本音だった。

「私は怖いのだ。そこに、その先にあるものを掴むのが怖いのだ! だからこそ! だからこそ、私は――!」

 気づけば、私は金閣の前に立っていた。あんなにも嫌い、視界に移すのさえはばかった金閣の前にいた。

「……この美しさが怖ろしいのだ」

 こんな私にいったい何を期待しているのだ。何を応援しているのだ。二番に甘んじる私に何をがんばれと言うのか。

「私に金閣を好きになれというのか」

視線の先の金閣は悔しいが、とても美しかった。一目で分かる神々しさだった。それは銀閣にはない。銀閣にはできない輝きがあった。

「見てみろ。……あれが、金閣だ」

 つまり、単純に、私は弱かった。それだけだ。



 奇しくも、今日は七夕であった。


 今にも雨が降り出しそうな暗い空の下、銀閣にいつもの落ち着いた雰囲気は微塵もなかった。野次馬に紛れて私は見た。彼女がすっきりした顔でこちらに歩いてくるのを。

通りすがり、互いに顔は合わせない。しかし、彼女は確かにこう言った。

「私は、銀閣が好きでした。……燃やしたいくらいに」

願いを叶えた彼女は、何かを壊した。修復はきっとできない。それでも自分はやはり銀閣に魅了されている。金閣には見向きもしない。




【了】

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