暗黒の章 第九話 彼の志は
次の朝、宿の一室に訪問者があった。
それは美珠が待ちに待った先に王都を出発をした捜索隊の面々だった。
「これを」
情報局の数人がかりで運び込まれたのは黒い金属。
かなりの重量があるのか、時々よろける者もいたが、国明と聖斗が手を貸し美珠の前に積み上げられ姿を現せる姿。
「そんな、これは」
美珠は本人に触れるかのようにその金属に触れてみた。
兜に胴当て、それは今は冷たい冷たい金属の塊でしかない。
けれどそれを身につけていた人はとても温かい人だった。
「どこに?」
「教会の前に置かれていたそうです」
「置いて?」
暗守は今まで身と心を守るため身に着け続けてきた鎧をどんな思いで教会に置いたのか。
騎士として再起することを諦めたのか、それとも教皇に何かを望んだのか。
美珠は唇を噛み締めると傍らに置かれていた白い布に包まれたものに手を伸ばした。
ずしり重いそれは美珠が引き継いで使うことはできそうになかった。
暗守の斧だ。
何度も美珠や国を守るために奮われたものだった。
「あいつ!」
武人が防具と武器を置いてゆく。
それがどういうことを意味するのか十分理解した国明が悔しそうに叫んで机をたたいた。
けれど美珠はどうしても口に出して確認しておきたかった。
「これまで置いて行かれたんですか? もう戦う気はないということですか?」
ー騎士としてこの国を守る、
その仕事を、志を捨てた彼は一体今何を考え、どこにいるのだろう。
そして彼は今何を叶えるためにどこへと進んでいるのだろう。
美珠はその斧を包みなおすと両腕で抱えた。
この斧は暗守の志、そのものに思えてならなかった。
宿を出た美珠達はどう進むべきかを考えていた。
先遣隊の話では、街道を進んだ次の村ではもう暗守の姿はどこにも確認できなかったということだ。
ただ、今滞在するこの場所に暗守の姿はない。
ここで暗守の消息はプツリと消えた。
「この村では何人にも目撃されて、その時は一人だったっていうんだ。村で何かあった、そう考えるほうがいいんだろうね」
優菜は斧を背負ったまま口を真一文字に結ぶ美珠に声を掛けた。
捜索隊には手詰まり感が漂っていた。
だからと言ってここまで来た美珠一行だって宿でじっとしているわけにもいかず、一行には次の方策をとることが迫られていた。
地図を指でなぞる優菜の隣で美珠は視線をめぐらしてみた。
背の高いあの人を見つけられるのではないかと思って。
丘の上には雑草の生えた石塁が見える。
その奥には小さな塔。
石塁の前に広がる農園では低木が枝を伸ばし、青い果実がなっていた。
なんとものどかな景色に美珠は目を遣っていたが、やがて一つ気がついた。
働いている人間の髪が赤茶けたように見えたのだ。
肌の色も褐色に見える。
褐色を見れば連想させられるのは暗守のことだった。
ぼんやりと彼らを見つめていると馬の手綱を引いていた国明が顔を寄せた。
きっと美珠の興味をひいたことに気が付いたのだろう。
「美珠様、あそこにいる者、あの者が紗伊那の奴隷階級のものとなります」
その言葉に美珠は慌てて凝視する。
奴隷という階級の人々を初めてこの目でみた。
もしかしたら見たことはあるのかもしれない、けれど意識をしてみたのは初めてだった。
「奴隷という方は皆ああいった外見をなさっているの?」
美珠はどう尋ねてよいのか分からなかった。
すると今度は聖斗が首を振った。
「いいえ、そうとは限りません。我々のような髪や肌を持ったものもおります。あのように特徴的な赤い髪、褐色の肌をしたもの、彼らは紗伊那との戦いにかつて破れ、民族として紗伊那に隷属することになったものです」
聖斗の言葉は美珠の心に圧し掛かってきた。
左の掌が熱い。
紗伊那はたくさんの部族を蹂躙してきた。
傾国の魔女、桐の一族だってそうだ。
蹂躙し、そして今なお彼らを苦しめているのだ。
優菜は火傷の痕を苦しげに見つめ、沈んだ美珠の頭を自分の肩に置いて、何度か優しく頭をなでた。
「ヒナ、大丈夫?」
「あの人たちと私たちは何が違うの?」
「なんにも違わない、はずだ。基本的には」
「玲那だって奴隷だって言ってた。とても悲しい思いをしてきたって、皆そんな悲しい思いをしてるの?」
美珠が初めて直に聞いた奴隷の話は玲那という女性からだった。
憎い恋敵であったが、確かに彼女の人生は苦しむことが多かったと記憶している。
「自由とか意志とか持てないからね。……ってか、一つだけ確認したいんだけど、暗守さんのあの姿は」
「傾国の魔女桐のかけた呪いによるものらしいわ。そうだったわよね、国明さん」
かつて本人さえも知らないその出生について、その事実を教えられた時、そばにいたのは国明だった。
「ええ。そうです」
警備に徹して、目を配っていた国明は頷いた。
そんな視界に昼食を調達してきた相馬と珠利の姿が見える。
これだけ時間がかかったのは昨夜夕食を満足に取らなかった美珠が興味を持ってくれそうな食べ物を村中探し回ったせいだ。
「さあ、なんでも食べて」
そう手を開いた珠利には申し訳ないけれど美珠の食欲はまったくといっていいほどなかった。
「いい加減食べてください。食べずに足手まといになるのだけはやめてください」
「わかっています」
珠利と相馬、二人の心配がわかる国明がきつめに言って、美珠はしぶしぶつかんだものの野菜たっぷりのサンドイッチはあまり食欲をそそらなかった。
口にいれみても咀嚼する気が起こらない。
「ねえ、美珠様、これこの町の名物らしいんだ。ねえ、食べない?」
白身魚をタイムとオリーブオイルでソテーしたものを差し出されて首を振ろうとすると、受け取ったのは優菜だった。
「じゃあ俺もらっちゃおうっと、何、これ超いい匂い」
優菜が鼻を近づけて大げさに匂いだ後、いちいちうまいと声に出して口に運んでいるものだから美珠はちらりと目を向ける。
優菜は迷惑そうに眉間にしわを寄せた。
「え? だっていらないんでしょ?」
「優菜がおいしそうに食べるから」
「仕方ないな」
優菜はフォークにプリンとした白身を刺して美珠の口元まで運んだが、美珠の口に入る瞬間、さっと自分の口に運んだ。
またウマいと叫んで優菜は目を細め頷いた。
「ちょっと!」
「嘘、嘘、はいどうぞ」
今度はフォークごと受け取って口に入れると魚のうまみとほのかな塩味が絶品だった。
「本当においしいわ、これ。珠利、相馬ちゃんこれ大当たりよ、ありがとう。紗伊那にこういうおいしいものがあるって知らずに過ぎちゃうところだったわ。ねえ、優菜、今度こういうの作って」
「わかった。ヒナも一緒に作ろうよ。魚は俺がさばくからさ」
「うん」
見つめあって二人で一つの皿をつついていると、鼻息を荒くしたのは相馬だった。
「人前でいちゃつくな! おい国明、なんか言ってやれ!」
相馬が何を言っても国明は静かに警護をしているようでみようともしなかった。
「相馬ちゃん、失恋の怒りを私にぶつけないでちょうだい。もう!」
「姫様、余計なこと言うと、二人の仲を引き裂く工作しちゃうよ」
消したい話を蒸し返され、相馬は冷たい目で姫を見下ろした。
「俺、紗伊那の内部には通じてるからね」
「なんです、それ。やめてね! 聖斗さんはもちろんわかってらしたわよね?」
一人静かに周囲に視線を巡らせていた聖斗は間があったものの、顔色を変えることもなく頷いた。
「ええ、もちろん」
「でしょ? 相馬ちゃんくらいよ、優菜を女の子だと思ってるなんて。私、優菜を女の子と間違えたことはなかったわ。女の子みたいな男の子だって初めてみた時わかったもの」
「一言、余計だよ、ヒナ。ってか、これもおいしい、レンズ豆の煮たやつ。俺、豆料理得意じゃないからな。何、入ってるんだろ。これ、今度作ってみようかな?」
「そんなにおいしいなら、ちょっと、そっちも一口ちょうだい!」
重いものが心の中でつっかえていたが、せっかく買ってきてくれた人のためにも、同行者を安心させるためにも美珠は優菜の調子にあわせてみた。
腹にはいってゆくとどんどん食欲が増して、美珠はその昼食をしっかりと食べることができた。
すると気持ちもどうにか上向きになった。
絶対探し出して、この斧を返すのだ。
美珠のすぐそばには白い布にくるまれた斧がある。
紐を巻きつけ自分がずっとそれを背負って歩くことにした。
それが彼のおいて行った意思、そのものに思えたから。
そして食事を完全に終えた後、優菜は手を挙げた。
「あの、思い過ごしだったらいいんですけど」
「何だよ、もったいつけんな」
相馬がすごんでみせたが、優菜はちっともそんな相馬を気にも留めていたなかった。
「この先の村は貴族の治める村です」
「だったら何だよ、貴族なんてその辺にごろごろしてるだろうが」
相馬のその言葉に優菜は加えつける。
「剣闘士の収集家だと聞いたことがあります」
それは答えだった。
けれど美珠は一人理解できず、表情を凍りつかせるみんなの顔を眺めていた。
「それが何なの?」
最後に優菜へと顔を向けると、その優菜は美珠を見据えた。
優菜にはこの村周辺の地図を見たときから一つの仮説が成り立っていたが、暗守しか見えなくなっている美珠に話してしまうと猛進し無理をしてしまうに違いないと理解していた。
だからこそ、しっかり食事を取り、それなりの思考力を取り戻すまでは口を開こうとはしなかった。
「剣闘士っていうのは聞こえこそ武術を求めてるみたいだけど、正直貴族が持ってる奴隷の一種だよ。貴族の娯楽の為に存在するんだ。戦わせて、誰が勝つかを賭けて」
「奴隷が戦う?」
「そうだよ。別に憎んでいる相手でもない。ただ娯楽として戦わせる。それがたとえ兄弟であろうと、恋人であろうと抗うことはできない。抗うってことは死だから」
「そんな」
なんということだろうか。
兄弟でも殺しあう、そんなことがこの国で行われているなんてこと美珠は信じられなかった。
「で、俺が懸念しているのは、暗守さんの肌は紗伊那で奴隷として認識されている褐色で、戦うには充分な体をしていて、そして最終目撃地点が、そういう人間を集めるのが大好きな人間のいる場所だってこと」
「じゃあ、暗守さんが剣闘士にさせられたっていうの?」
今にも悲鳴をあげてしまいそうだった。
彼が戦えないとは思えない。
いや彼は十分すぎるほど戦える人間である。
ただそれは彼が戦ってきた目的とは全く違うものではないか。
「と、思っただけ」
「思ったっていうか、それ、きっとそれだよ」
珠利は黙っている国明と聖斗にそうでしょう、という目を向けた。
聖斗もまたうつむき加減で思案しているようだった。
「だとしたら」
そう切り出したのは国明。
「あいつをそこから助け出さないといけない。幸い、今回、珠以坊ちゃまの道楽の旅なんです、確かめにいきましょう。いなければまた探せばいい」
「でも、暗守さんを救ったところで、何もかもが解決するわけじゃないのよね。そこでは無理やり戦わさせられる人がいるんでしょ?」
美珠の言葉に優菜は静かに頷いた。
そして次の言葉をつむごうとした時、口を出したのは相馬だった。
「美珠様、気持はわかるよ。きっと正論を言うんだろ。でも、紗伊那の奴隷制度は違法でもなんでもない。剣闘士だって昔からある娯楽の一種だ。前にも言ったと思う。貴族がこの国を支えてる。敵に回せば、幾ら王族であろうが叩き潰される。そんな王族歴史に沢山いる」
「だったら、私達は目の前で苦しんでいる人達を見て見ぬふりをするしかないの? ねえ、国明さんは貴族なんでしょ? 貴方もそんなものを見て楽しむの?」
「いいえ、私はそういうものに興味はありません。が、何の下準備もせず行動すると貴族の反発を招くことは必至でしょう。今すぐにその方向に動くことは国を成り立たせるうえでも危険です、国王様ですら積極的に手を付けられていないのです」
否定的な話の中、割り込んだのは聖斗だった。
「ただ教会は反対の立場を取っています。そういったものに興じる貴族は減りました。それは教皇様と国王様が結びついたからといえるでしょうが」
聖斗はそういったものの、そこにいる誰もが美珠に余計な領域に手を出すなと言っていた。
では黙認するしかないのだろうか。
反論しようとすると、美珠の手を誰かが強く握った。
「今回の美珠姫の使命は何? 暗守さんを探しにきたんでしょ?」
「優菜」
「ヒナの気持はわかる。でもこれは今、手を出せる話じゃない。無謀すぎる。でもヒナの御世になればどんな手を使ってでも潰してみせる。だから今回は我慢して」
「偉そうに何様だ」
相馬のそんな言葉は美珠の耳に入らない。
「ほんとにいつかなくなる?」
「潰すよ。ヒナがいらないと思うものは、俺が全部消してやる」
それはどこか悪魔の囁きだった。
優菜はでかいことだけいう人間ではない。
壮大な夢だけを語る若者ではない。
情報を駆使して成し遂げる人間なのだ。
国を成り立たせる上でその悪魔が必要になるときがある。
それは美珠にとって充分理解できることだった。
「そういうものは『知らない』では私も済まされませんものね。行きましょう、そこへ」
美珠は立ち上がると斧を背中に背負い歩き出した。
暗守の志を返すために。