暗黒の章 第七話 お支度
その夜、頬をさすりながら窓の外を見つめていた。
月が時折雲に隠れ陰る度、心に不安がよぎる。
月明かりの中で見る水銀の髪は何にも劣らぬ美しいものだった。
けれど月が隠れるように彼の姿は闇に消えてしまうのだろうか。
すがるように雲から姿を見せた月見つめていると、その光を横切る影を見つけ、美珠は今度その姿を目で追う。
雄々しい姿をした竜が翼をいっぱいに開いて花畑の中へと降り立った。
「暗守さんがいなくなったって、ホント?」
程なくして飛び込んできたのは飛竜使いの桂だった。
短めに切りそろえた黒髪はどれほどの強い風にあおられたのであろうか乱れており、汗で額がじんわり濡れていた。
「ワンコ兄さんから連絡があって飛んできたんだ」
北晋国への連絡要員として北にいるはずの彼女は魔央が師を呼び寄せた話を聞いてすぐさま文字通り相棒の飛竜フレイとともに空を飛んできたのだろう。
美珠が泣きそうな顔で微かに頷くと桂は薄い唇を噛む。
それから苦しむように言葉を出した。
「目が見えないって聞いた」
「そう、暗守さんも言ってた。でもまだ強い光は見えるって」
「自発的にいなくなったってこと?」
静かに姿を見せた少年。
少女とも見まごうふっくらした頬の少年を見ると美珠は緊張の糸が解けて涙を一粒落とした。
「優菜、どうしよう、どうしたらいいと思う?」
「ワンコ兄さんから先生に手を貸してくれって連絡があったんだ。だから俺も桂もすぐにこっちに来たんだけど」
「ねえ、誰か探しに行ってるの?」
桂の張り詰めた言葉に美珠はまた頷いた。
「ええ、捜索隊は出たらしいの。私も行かせて欲しいってお願いしたけど、今回はダメだった」
「まあ、捜索隊が出たんだったら」
そんな優菜の暢気な言葉に美珠は項垂れた。
第三者で事足りる話だったのか。
自分と暗守の絆はそんなものなのだろうか。
「で、ヒナはそれでいいの?」
突然の優菜の言葉に顔を上げる。
いいわけないだろう。
「行きたい。すごく行きたいわ。でも、でも、もう危ない目にあわせたくないっていうお父様やお母様の気持も凄く分かるの」
「確かに、そうだな。姫が死んだってのはもう洒落になんないし」
美珠の北行きの結末に深く関係のある優菜は美珠の座るソファの隣に腰掛けてしばらく考えこむふりをした。
けれどそれから美珠の目を覗き込んだ。
「じゃあ、外の人達に今回は行かないってそういおうか」
「外の人? どういうこと? 何があるっていうの?」
優菜の言葉に立ち上がって扉を開けるとそこには二人の騎士団長。
この国武闘大会で一位の称号を得た騎士とたった一人最高の奥義を使える騎士だ。
最強ともいえる二人がそこにいる。
ただ二人は今は鎧を脱ぎ、私服の姿で剣を帯びていた。
「国明さん、聖斗さん、ここで何をして。見張りですか?」
「勝手に抜け出されたら困りますから、こうやって。お支度まだですか?」
何のお支度か、自分は行けないのに。
背の高い国明を見上げ、立ち尽くしているとその後ろで得意げな顔をした相馬が白い綿のリュックを掲げ、珠利が暗い廊下の向こうから駆けつけてくるところだった。
「はいよ、これ」
珠利から美珠の手に渡されたもの。
黄色の袋に入った何かだった。
「教皇様から受け取ってきた。お守りだよ。教皇様は皆のこと教会でお祈りしてるって」
母は許してくれたのだ。
美珠はそれを両手で握り締めると部屋へと飛び込んだ。
クローゼットから今着るための動きやすそうな服を選んで手早く髪を縛る。
「ほら、美珠様」
相馬はすでに旅の荷物を作ってくれていた。
「国王様からは関所の札を受け取ってきたよ。俺達は今回、ここにおわす珠以坊ちゃまの従者だからね。貴族のお坊ちゃまの道楽の旅に付き合わされた使用人達ってことになってる」
言われて目を遣ると、成る程国明は青い刺しゅう入りのベストを付け、庶民とは言い難い品のある服装だった。
「皆さん、ありがとう。……お父様、お母様」
どんな思いで送りだすことに決めてくれたのか。
きっと二人も悩んだのだろう。
もしかしたら今でも悩んでいるのではないだろうか。
そんな二人の思いに報いるためにも、自分のわがままに付き合ってくれる人々のためにも、感情重視の自己中心的な行動だけは慎まなければならない、そう心に誓った。
「あの、それに私も参加していい?」
桂だった。
もちろんだと美珠は頷こうとしたのだが、それを優菜がとめた。
「桂には情報のはしご役をしてほしいんだ。情報を得るのに飛竜が使えるとなるとものすごくありがたい。暗守さんの情報を情報局から受け取って、逐一この貴族の一行に伝えてほしい。でも兎に角まずは最終目撃情報があった場所まで運んで欲しい」
直接探す人に加えてもらえなかった桂は泣き言一つ言わずにただ頷いた。
「それが一番いい手段なんだね……分かった。優菜の言うとおりにする」
「で、優菜ちゃんは一緒に行く?」
ウキウキとした顔で尋ねてくる相馬に優菜は北晋国に山となっている仕事を思い出してから振り切るように頷いた。
優菜が抜ければ、きっとその仕事は北晋国で実務を仕切る渡辺慎一という人間に一身に降りかかってゆく。
机に見えない鎖で縛りつけられた細い姿が見えるようだった。
自分も彼もただでさえもうギリギリのところで仕事をしている。
けれど、
「行かなかったら後悔しそうだ、慎一さんにあとで謝ろう」
「じゃあ、優菜ちゃんの支度してくる。ちょっと待ってて、すぐ済むから」
優菜は何故こうも甲斐甲斐しく働いてくれるのか全く以て理由がわからない謎の相馬の背中を見送り、それから美珠の荷物を見てからおもむろにクローゼットの上質の衣装を何枚か突っ込んだ。
すると珠利は敵意むき出して優菜に怒鳴りつけてくる。
「アンタ! 何荷物増やしてんの!」
「念のため、です」
飄々と答えた優菜の首筋に鞘に収まった剣をこすりつけながら珠利は相手を睨みつけた。
「あんたねえ、今回の旅で手えだしたら締め上げるからね」
「はいはい」
視線を逸らすというのが最大の反抗だった。
「え? 何で桃色の鞄」
「可愛いだろ、一目見た瞬間、あ、これ優菜ちゃんに似合うって思ったんだ」
しばらく待たされてやっと相馬から渡された鞄に優菜はげんなりした。
急いでいたので紫のパーカにデニムというラフな北晋国風の服装で来てしまった。
その上に、桃色のフリルで作られた肩提げの鞄、どうみてもまともな趣味ではない。
美珠の方が木綿の白いシャツと木綿の楽そうなブカブカのズボン、白色の無難な鞄であるのに。
自分も紗伊那の人間にとけこめそうなものがよかったが、けれどもうこだわっている時間もなさそうだった。
美珠は早くと顔で言っていたし、二人の騎士団長も目で早くしろと語っていた。
優菜があきらめて鞄を肩から掛けると美珠は強いまなざしで双剣を左右の腰に帯び部屋の扉を開けた。
深夜遅く、貴族の一行は闇に紛れ白亜の宮から飛竜に乗って飛び出した。