激情の大地 第二十三話 ヒナと桂
優菜がいなくなってしまうとやはり不安ばかりが心を占める。
落ち着くということなどできず、桂は何度も何度も不安からくる涙をぬぐった。
フレイの怪我は致命的なものだった。
暗黒騎士たちに両羽のいたるところをを切られてしまい羽を自由に動かすことができなくなった。
ワンコ兄さんこと魔法騎士団長の命により魔法騎士はすぐさま治療を開始してくれたが、敵との戦いで多くの騎士が魔力を激しく消耗していて、治療には時間がかかるということだった。
騎士にしてみればフレイの治療をするための魔力があるのなら警備にとっておきたいというところが本音だろう。
ワンコ先生もまた犬に戻るほど消耗して、寝込んでしまっている。
―状況が悪すぎるのだ。
フレイだって自分の状態をきっとわかっているのだろうが、懸命に羽を動かして空へと向かおうとする。
空を飛びたがっていた。
そのもどかしさがわかる分、それが辛い。
それにフレイがいなくなれば、その羽がもがれてしまえば自分の存在価値はなくなってしまう。
ただの裏切り者の妹と騎士に羽を斬られた竜。
聞くからに無用の長物だ。
兄とまったく関係のないフレイは自分が卵を見つけてしまったがために、育ててしまったがために貧乏くじを引かされたとしか思えなかった。
人から軽蔑され、羽をもがれ自由を奪わた竜、そんなの聞くだけでかわいそうで、大切な竜を自分のせいでそんな目にあわせたことが申し訳なくてたまらなかった。
それでも自分にはそれを救う力はない。
救ってやることはできない。
「フレイ」
フレイは声に応え、空を飛ぶのかと精一杯羽を持ち上げようとするが、激痛がはしるのか大きな声でうめいた。
「フレイ! ごめんね、ごめん! ごめんねぇ」
どうしていいのか、もうわからなくなって涙をこぼしてなでているとフレイは動かすことさえ痛い羽で桂を包み込んだ。
「フレイィィ」
どんな時でも離れなかった竜、どんな時も逃げ出さなかった竜、なんてやさしい飛竜に出会えたのだろうか。
そしてこの子を守ってやれるのは自分だけ。
唯一無二の相棒だ。
絶対にこの飛竜だけはなくしたくなかった。
何をしても。
どんな力をつかっても。
「誰か、誰か、助けて、お願いだから。優菜、早く帰ってきて」
「おうおう、困っておるようじゃな」
声に振り向くと、そこにいたのは腰の曲がった老人だった。
ほくろだらけの日に焼けた肌に禿げ上がった頭。
藍色のローブに身を包むその姿は魔法使いのようだった。
「おじいさん、ここの人?」
「ああ、儂はここの人間じゃ。ちょっとした魔法使いじゃよ。なんじゃ、この飛竜、えらく傷ついておるの。かわいそうに」
魔法使い、それは桂の望む存在だった。
痛みだけでもとってやれることができるのなら、フレイが楽になれる。
「あの、魔法使いだったらこの子を」
「治療じゃな、わかっとる」
話の分かる老人はすぐさま袖から小さな焼き物の壺を取り出した。
桂はすがる思いでそれを受け取るとフレイと目を合わせた。
フレイの目も何かにすがっていた。
「これは人間用に作った魔法の軟膏じゃが、効くかもしれん。使ってみるがいい」
桂はその親切な老人に悪意など感じなかった。
感謝という言葉しか思い浮かばない。
礼などかまわん、という老人に何度も何度も頭を下げてそれから瓶に指を入れて緑色のねっとりとする粘液を取り出した。
薬草の匂いがプンとして妙に効きそうな気がした。
「痛みくらいは引いたらいいんだけど」
傷に塗りこむとやがて痛みが引いたのか呼吸が落ち着いた。
フレイが少しでも快方に向かったことが嬉しくて、傍らで自分も腰を下ろそうとした時、突如フレイが聞いたこともない悲鳴をあげのたうちまわった。
「フレイ! どうしたの!」
「きいたようじゃなあ」
どういうことかと目を後ろへと向けると、そこにいたのは先ほどの老人でにやりと口をゆがめていた。
見えた口に歯は一本もない、汚らしく、凶悪な老人に代わっていた。
「お前さんは我々と近いのだと思っていたが、違うかな?」
「近い? 何、言ってるの?」
問答している間にもフレイが悲鳴をあげ、うめいて何度も頭を地面にたたきつけた。
「フレイ! 何? どうしたの?」
意志というよりも、何か発作的なものが起こったようで、口からは白い泡を吹いていた。
やっと桂は自分に親切ぶって声をかけたこの男をいぶかしむ方へと気が回った。
先ほどこの老人からもらった薬、素晴らしいものだと思っていたが、
「まさか! あんた」
老人はまた歯のない口を見せると桂へと一歩進んだ。
桂は負けたくなくて相手を睨みつける。
「お前の兄とやらは我々の同胞である桐のよき協力者じゃった。お前さんはそうではないのか?」
「そんなわけない! 私はあの人とは違う」
何度その言葉を叫んできただろう。
そのたびにどれだけ心が傷ついただろう。
「それは残念じゃのう。仲間であるならこの飛竜助けてやろうと思ったのにのう。お前さんが塗った毒も取り除いてやるぞ」
ドクンと桂の胸は高鳴った。
毒、自分の持っている壺はやはり毒だというのか。
この発作は自分が引き起こしてしまったのか。
それが本当だというのならなんということなのだろう。
自分はたった一人の相棒になんてことをしてしまったのか。
「解毒薬がほしければ我々の仲間になると誓うことじゃ。ともに紗伊那に復讐を果たそうではないか。お前の兄の仇もとれる。お前の兄の願った世界にもなる」
「私はあの人とは違うの!」
「それならのう……お前さんが誓えばこの飛竜を助けてやろう」
「そんな!」
自分の仲間は北晋で出会った優菜達の一行だ。
こんな卑怯な人間ではない。
優菜がいてくれたらこんな爺は倒せる。
そんな気がした。
けれど今、ここに優菜いなかった。
せめて誰かに助けを求めたかったが、誰がきいてくれるというのか。
ヒナは、美珠姫は聞いてくれる?
そんな余裕、自分たちに心を割く余裕はあるのか。
きっとない、あの子は違うことに頭がいっぱいだ。
-じゃあ誰が裏切り者の妹なんて助けてくれる。
「ほら仲間になれば助けられるのじゃぞ」
仲間になるふりだけをして、あとはうまく逃げ出せれば―、そう考えた桂に爺は笑った。
お前の考えることなどお見通しだというように。
「ただし、お前が誓えばその言葉は力を帯びて消すことはできなくなる」
言葉の意味が今一つわからない、が悩む時間は与えられてはいなかった。
大切なフレイは泡を吐いて痙攣しているのだ。
フレイをなくすのか、自分たちを理解してくれない人のために。
傷つけることしかしてくれない人の為に。
フレイを助けるのか紗伊那を裏切るのか。
フレイの命か兄と同じ裏切り者か。
違う、フレイを天秤にかけること自体が大間違いなのだ。
「そんなの嫌! 仲間になる! だからフレイを!」
仲間になる。
その言葉に老人は歯のない口を開いて大声で笑った。
「その言葉が契約となる」
桂が仲間になるといったその言葉は口から出た途端に光の玉へと姿を変え、老人の手元でふわふわと浮いた。
その玉からは何度も何度も桂の声が聞こえてくる。
仲間になる、と。
「敵の仲間になる」そんなことをすればまた竜仙の人間は虐げられてしまう。
裏切り者の兄に続き、妹を輩出してしまったのだ。
取り返しのつかないことになるかもしれない。
けれどもう選んでしまった。
今度こそ謝ったところで二度と許してはもらえない。
「やるしかないんだ。わかったな。お前のためにも、この竜のためにも」
やるしかない。
桂がうなづくと、そして男は消えた。
その傍らでまたフレイは気を失うように転がって、やがて穏やかな息をたたえて眠りについていた。
「今度は私が正真正銘の裏切りもの」
桂は息を整えてからそうつぶやきフレイをなでた。
裏切り者でなくたって、裏切り者としての扱いを受けてきたのだ、もういいではないか。
何も変わらないんだから。
桂は自分に言い聞かせた。
「やるだけやって、二人でまた放浪すればいっか。だって二人きりで頑張ってきたもんね」
素直にでた言葉ではない。
最大の強がりだった。
*
次の朝、桂は傷ついたフレイの体を丹念に撫でてやった。
薬が効いたのか痛みは引いたようだった。
「フレイ、飛べるようになるかな?」
「桂」
声をかけてきたのは王の娘だった。
北晋以来からの仲間だったはずの少女は自分にないものをたくさん持っていた。
地位、愛らしい顔、仲間。
自分にないものばっかり持っていた。
そんな彼女が唯一ないのは翼だ。
それを自分は持っている。
「何?」
口調が冷たくなったのは彼女への怒りと悲しみが混じったからだ。
「ごめんね、ちょっとすることがたくさんあって、桂を一人にしてごめんなさい」
「一人じゃない、私にはフレイがいてくれる。口先だけの家族じゃないから」
どれだけ突き放した言葉をかけても美珠は怒ったりもせず一生懸命にとりなそうとしていた。
それが更に腹が立った。
あんたは男のことばかりかまけていた。
フレイなんて見てもくれようとしなかった。
「でも、これで南方には一つ筋道がついたの。ねえ、桂、私もフレイのお手伝いするわ、少しでもよくなるように」
けれど桂は断固拒否した。
悲しそうな顔なんてするなと心のなかで悪態をついた。
「あんたは騎士団長でも引き連れて視察でもしておいで」
「許して桂、私、無条件で皆そばにいてくれると思ってたの。優菜だって傷つけてることわかってる」
そうだ、あの優菜さえ励ますことすらできず、不安がってた。
あんたたちは恋人だったはずなのに。
誰よりもあんたを、優真を私たちを大切にしてた優菜までも傷つけた。
そう思ったとたん、桂からは怒りが噴出した。
「優菜がどれだけ傷つくか分かっても強い騎士団長の方を選んだんでしょ? ま、私が言うことでもないんだろうけどね。でも私には騎士団長より優菜の方が数倍いい男に見えるけど」
「優菜には優菜の良さがあって」
困ったような美珠に桂は手を止めて振り返った。
「ちょっと放っていてほしいんだ、簡単でしょ、昨日までそうだったんだから、私たちのことなんてすっかり忘れてたんだろうから」
もうかまうな、そう言い放って桂はまたフレイをなでてやった。
「ごめんね、本当にごめんね、桂! 何でも言って一緒に考えるから」
よってきた美珠を力一杯突き飛ばして桂は叫んだ。
「もういらない! あんたなんて必要ない!」
*
「嫌いになったかな、私のこと」
美珠が唇をかみしめて離れてしまうと桂はフレイの首にすがりついた。
フレイは優しく桂を包んでくれた。
「私にとってヒナや優菜は大切だよ。でもきっとヒナにとって、私たちは必要じゃないんだろうね。そうだよね、ヒナはお姫様だ、やらなきゃいけないことがある。有能な人たちがいっぱいいる。命令だせば、優秀な飛竜が駆けつけてくれる。私らとのご縁ももう終わりだね」
北晋国の女子高生が紗伊那の跡継ぎ姫に戻った瞬間に自分たちの関係ももう終わりを迎えていたのかもしれない。
縋り付いていたのは自分なのだ。
「フレイ、こんなつらい思いばっかりさせてごめんね、さ、行こうか」
その日桂とその相棒フレイは砦から姿を消した。




