暗黒の章 第六話 それぞれの後悔
「目が見えていない、本人はそう認めたんですか?」
兜を取って茶色がかった猫っ毛の髪を撫で付けながら光東はずっと涙をこぼす美珠へと視線を送っていたが、彼女が頷くのを見て、彼もまた瞳を伏せる。
姫が戻り明るさを取り戻したはずの白亜の宮は悲しみと苦しみに埋め尽くされていた。
「そうですか。そんな状態で。でもどうして」
「きっと北で頭に大怪我を負ったことが原因なのだろう」
沈鬱な表情の魔央のその言葉は美珠を深みへとさらに追い落とした。
「じゃあ、私のせい? 私を守って、爆発に巻き込まれたんでしょ? あの額の傷はその時にできたんでしょ?」
自分が失恋に耐え切れず北へ行こうとしたこと、それが全ての原因。
自分を守るために暗守のように怪我をした者は沢山いるし、命を失ったものだっている。
たかが失恋でどれだけの人の人生を狂わせたのだろう。
けれど拳をきつく握り苦しそうな表情を浮かべた美珠に魔央は優しく微笑み、膝をついて首を振る。
「違います。そうやってご自分を責めるのはもうやめましょう。貴方が北へいったことそれを責めるのならば、国明だって自分を責めなくてはいけなくなる。私だって貴方を守れずさっさと倒れたことに悔いが残る。師匠である魔宗だって覚悟はしていたはずでしょうが、またやりきれない気持ちになるでしょう」
そう言われて、だれもが自分自身を責めているということを知った。
あの行動を責めていたのは自分だけではなかったのだ。
敵の策略に落ち姫との関係に皹を入れ原因を作った国明、現魔法騎士団長であるにも関わらず前の騎士団長の技を超えることが出来ず倒れた魔央、そして感情を優先させ警護の場から離れた暗守。
誰にとっても北での襲撃は自分を責め、苦しめるには充分過ぎるものだった。
真面目な性格の暗守は守れずにいた自分を責め続けていたのだろう。
そして追い打ちをかけるように体が言うことをきかなくなり、彼は迷い続けたに違いない。
それでも美珠の傍にいることを望んだ。
彼女を守ることに全精力を注いでいた。
そんな彼をまるで突き放すように王都へ返した。
彼はそこで自分の存在価値を完全に失ってしまったのだ。
ー私のせいだ。
やっぱり美珠の中ではそんな気持しか沸き起こらなかった。
暗守を苦しめ続けていたのは自分という存在なのだ。
「どうしたらいいの?」
どうしたら、彼をまた前のように取り戻せるのか。
自分を見守って欲しいとは思わない、けれど、彼が彼らしく自分に誇りを持った騎士であり続けるためにはどうしたらよいのか。
「目が見えなかったら騎士は続けられないの?」
尋ねたのは珠利だった。
「治るのであれば休職すればいい。過去にも傷病で休んだ例はたくさんある」
「ただ団長不在の期間が長くなれば騎士団の士気も低下する。通常なら辞めるべきだ」
友を思った言葉の国明とどこまでも正論を通す聖斗。
どっちにしろ意見が分かれることを理解してから珠利は魔央へと向いた。
「治るのかな?」
「そんなの、方法なんて片っ端から試していけばいいわ」
机を叩いて強く言い放ったのは美珠だった。
彼さえ戻ってくれば権力でもなんでも使って片っ端から薬だの、人だの集めてやる。
彼がここに戻りさえすれば可能性は広がるのだ。
その彼を見つけ出すため相馬が今、情報局というところで目撃情報を集めてくれているはずだ。
ただその情報をじっと待っているのももどかしかった。
「私ちょっと情報局ってところに行ってくる」
「あ、私もついてくよ。護衛だからね」
長身の珠利を従え早足で部屋から消えた美珠を見送り、部屋に残った四人の騎士団長達のうち重い空気の中、まず口を開いたのは年長者の魔央だった。
「こんな風に一人欠けるというのも気持が滅入るな」
本来六人いるはずの騎士団長が四人。
こんなこと建国以来、前代未聞の事態だ。
一人は自分達で倒し、そして一人は自ら去っていった。
「どうすればよかった。あの状況で」
そう呟いたのは聖斗だった。
無表情ではあったが声はかすれ疲れたように聞こえた。
「美珠様にあいつはおかしいんです、どうか説得してくださいというべきだったか? 何も言わず縛ってでも送り返せば良かったか? 頑固で想いの強いあいつをどうやったら円満にここへ返せた? 戦えない体なのだと自覚させるしかない、そう思ったのだ」
聖斗もまた自分を責めていた。
暗守にもっと別の接し方をしていたら、こんな風にならなかった。
もうこの体では警護できないのだと分からせて、自らの意思で帰らせようとしたのに、それは見事に裏目にでた。
隊列を乱し、母の代わりを必死につとめようとした美珠までを追い詰め塞ぎこませることになってしまったのだ。
教皇が不在となり、経験のない美珠の肩にその責任がのしかかった時、あの時、うまく全てを立ち回らせないといけないのは自分だったというのに。
「私が見てもおかしいと思う状況だったんだ。本来ならば暗守が自分で辞退すべきだった。私はそう思う、聖斗のせいじゃない。けれど、我々は友となっただがあの場で友を諌めるそういう気持ちが、そういう勇気がだせなかったのも事実だ」
魔央の言葉が言い終わらないうちに聖斗は立ち上がった。
「あの姫様のことだ、探しにいくとおっしゃるだろう。俺は行くぞ」
聖斗は静かにそれだけ言うと部屋から出て行った。
そんな背中を見送ってから魔央は髪を耳にかけてゆっくりと立ち上がる。
「方法を片っ端からか。言葉にするのは簡単だが長期戦になりそうだな。さてと私はその片っ端に取りかかろう。仕方ないがあの厄介な師匠にも手を借りるか」
国明と光東はあっという間に二人になった部屋で隣り合ってソファに腰掛けたままで息を吐いた。
「皆、最近自分の意思で動くようになったもんだ。それも姫様につられてかなり簡単に外出ばっかりしてくれる、ちゃんと仕事できてるのか?」
温厚な光東の言葉に国明も少し躊躇ってから声を出した。
「行ってもいいか?」
そんな言葉に光東はやっぱり国明もか、と笑って穏やかな顔を作った。
「国王様のお守りは慣れてるさ、それに教皇様が一緒だと国王様の仕事がはかどる」
「悪い」
国明が立ち上がると光東も立ち上がりその背中を叩く。
「絶対に見つけ出してきてくれよ。光騎士団と暗黒騎士団は対なんだから」
「ああ、絶対に」
切れ長の瞳に強い光を宿らせて国明は仲間に誓った。
紗伊那という広大な国で蠢く情報を一手に引き受ける情報局は王城の西北に位置していた。
三階建てのレンガ造りの建物には殆ど窓はない。
薄暗く澱んだ空気の中でひしめき合うように万人規模の人間が働いていた。
暗号らしきものを三人一組で静かに解読しているもの、水晶の前で手をかざし何か見ようとしている女とそれを筆記する男、不思議な行動をとる人間の間を進んでゆく。
美珠はそこに足を踏み入れるのは初めてだった。
というよりも彼らが何をしているのか正直まだ把握していない。
分からない者からみればここはおかしな者の集まった集会所だ。
そんな集会所の紙やら怒号が飛び交う奥のほうに相馬のツンツン頭を見つけると駆け足で寄った。
「どう? 相馬ちゃん」
相馬は数人の人間達と黒板に情報を書き込み、地図に印を置いて整理しているようだった。
相馬の顔色は良いものだった。
「ぞくぞく出てきたよ。暗守さん、鎧を脱いで歩いてるみたいだ。変わった色の髪の毛の人間が歩いてる。そんな情報がわんさか入ってきてる」
「良かった」
安否が分かったこと、それだけでも美珠にとっては充分喜ばしい話だった。
「でも都合が悪いことに南に向ってんだよね。何でわざわざこんな治安の悪いところに向ってんだか」
相馬は小首を傾げながら赤い色鉛筆で目撃場所として印が押されているところを囲んだ。
確かにその印は順調に王都の南へと進んでいた。
「それでもいくしかないわ」
「なりませんよ」
今にも出発しようと両親に交渉にいった美珠はまさかこんなところで反対されるとも思わず、一瞬言葉に理解しかねた。
「どうして、お母様」
「相馬もいったではありませんか? 南はこの国でもっとも危険な場所。そこに行くことは許しません。その代わり南に慣れたものを派遣しましょう」
「私は暗守さんを探したいの」
「美珠、分かって頂戴。私はもう貴方を危ないところになんてやりたくないの」
ここにきて教皇は母としての言葉を持ち出してきた。
「貴方を北へやったこと、私と王はどれだけ悔やんだか。貴方を手元においとけばこんなことにはならなかった。私たちがあなたの心を癒せばよかった。もう…そんな後悔味わいたくないの。お願い、もう心配をかけないで」
美珠はそこで立ち尽くしていた。
美珠の北へ行った自責の念は両親にとっては北へ送り出してしまった自責の念だった。
誰もが美珠が北に行ったことで自分を責めていたのだ。
両親は一度娘を亡くすという気持を味わった。
たった一人の娘を、それもこの国の跡継ぎとして存在していた娘をなくしたのだ。
その結果、国王は軍事強化にはしり、教皇は職務を放棄した。
国を平和にと願い続けた二人は、その道を見失った自分を責めたことだろう。
「暗守は私にとっても大切な騎士です。けれど、もう娘のことで生きた心地のしない思いはしたくない。お願いよ」
「美珠様、確かにそうだ。教皇様のおっしゃること、俺、すごい分かるよ」
主を失うという思いをした乳兄弟も先ほどまでの勢いをなくしていた。
「相馬ちゃん! どうしたっていうのよ!」
「言い方悪いかもしれないけど、暗守さんはただの騎士だよ。それを探しに姫様がわざわざ出向くなんて普通じゃない。暗守さんは情報局の人達に任せよう? ね?」
「人に任せてなんて」
そんなことをして暗守は帰ってくるのだろうか。
自分が迎えに行けば帰ってくる、それはただのうぬぼれなのだろうか。
ただ自分は紗伊那の跡継ぎでもある。
万が一何かが起これば、どれだけの人間の人生を狂わせることになるのだろう。
また彼らに一つずつ後悔させてゆくことになるのだ。
「お願いよ。私達の子は貴方だけなのよ、美珠」
一人しかいないのは自分のせいではない。
仲の悪かった二人のせいではないか。
「だったら」
「え?」
「じゃあもっと兄弟を生んでくれたらよかったのに」
そんな言葉に母はまた視線を落とす。
「そうしたら私、一人くらい何かあっても諦めがついたのに」
その瞬間頬に熱い痛みを感じた。
父だった。
何もいえぬ父はそんな言葉を言った娘の頬を叩くと、それからぎゅっと抱きしめた。
言った自分が馬鹿だった。
「嘘よ、嘘、ごめんなさい」
自分はどうしてこうも愚かなのだろう。