激情の大地 第十九話 赤い花
発症から二日、国明の病状はゆるりと悪化の一途をたどり、ずっと扉の前にいた美珠にとっては苦しい時だけが過ぎていった。
どれだけ声をかけても、扉の向こうから聞こえた声ももうほとんど聞こえない。
物音すらほとんどない。
ただ苦しそうな咳が聞こえて生きているのだと実感するのだ。
自分ではなにもできない。
ここを離れて薬を探しに行くのを選んだ方がよかったのだろうか。
一人でも手が増えた方がよかったのだろうか。
けれど万が一のことを考えると離れるわけにはいかなかった。
そんな中、研究者たちは色めきたった。
古文書に書かれていた薬草に似た植物を見つけることができたからだ。
やはりこの地に生えていたのだ、間違いではない、薬はある、と誰もが信じ古文書を紐解きながら作り上げられた薬。
臨床実験するほどの余裕は時間的にも量的にもなく、その夢の薬は瀕死の国王騎士団長に投与されることになった。
主となるのは谷間に咲いていた花だった。
毒々しい赤い花びらが印象的な甘い臭いを放つ壺のような花。
臭いに誘われ得たいの知れない虫が茎を蠢くその花を騎士が命がけで手に入れ走って持ってきた。
相馬はその薬を小瓶に詰めてもらい、歓声をあげて国明の元へと走っていた。
患者はここにたくさんいる。
けれど一人しか救えないのなら相手は決まっている。
それを王や美珠に選ばせたら気持ちとは裏腹にまた偽善的な行いをするかもしれない。
だからこそ、相馬が赴くまま薬を運ぶことにしたのだ。
けれど砦の廊下に長身の男が立っていた。
どうしてこの男が入れるのか、珠利の話ではこいつらは囚われているのではなかったか。
脳が危険だと察知し、薬を隠す。
「それをお渡し願いたい」
男の口調は切実だった。
けれど相馬だって余裕はない。
「無理だ。お前たちが原因でこんなことになったんだからな」
「妹は自分の体を失うことを承知で行った、けれど救えるのなら救いたい」
「だめだ。これは渡せない。お前達が仕組んだことだ、あきらめろ!」
怒鳴りつけた瞬間相馬は後頭部に鈍い痛みを感じた。
目の前が暗くなりその場に倒れると、後ろで木の棒を持っていた春駒は震えながら彼の懐をまさぐり、薬を取ると、アーシャーと目を合わせて走りだした。
「え?」
「ごめん、ごめん! ごめん!」
相馬はその場で土下座しながら涙を何度もぬぐった。
「そんな、それでその人は」
「もういない。もぬけのからだ。あの兄妹も春駒も。この砦の隠し通路を春駒は知ってたんだろうけど」
蒼白な相馬の言葉に美珠は怒りを隠せなかった。
けれどそれ以上に勝るのは悲しみだ。
「珠以……」
扉をたたいてみる。
けれど何の反応もない。
「珠以?」
嫌な予感がして扉を力いっぱいたたくと咳き込む声が聞こえて、安堵からその場にしゃがんで息を吐いた。
「よかった」
「ごめん国明、俺絶対にお前を助ける。絶対、見つけてくる。すぐに帰ってくるから、その間姫様とお茶でものんでしゃべってて」
頭に包帯を巻いて走ってゆく相馬を美珠はすがる思いで見送り、それからまた鉄の扉に手をかけ、腰を下ろした。
どれだけ経ってからだろうか、声が聞こえた。
囁くような優しい声音。
「覚えてますか? あなたと俺がはじめて会った日のこと」
聞こえてきたのはそんな言葉だった。
初めて会った日、一体いつなのだろう。
「覚えてないわ」
「あなたはまだ生まれてまもなかった。俺は父に連れられてあなたを見に行った。ゆりかごで寝てるあなたはなんだかかわいくなくて、未知の生物で」
「失礼ね」
「そのちっこいのはだんだん大きくなって、偉そうでわがままで、でも正義感の強い女の子になっていった。
そしてこの国をまとめることを本気で考えるようになった。それと同時に俺は貴方を守らなきゃいけない。国のためにも自分のためにも、このちっこい存在をなにがなんでも守らないといけないって。それがこの国に俺が生まれた意味なんだって思うようになりました」
そんな時から彼は自分のことを考えていてくれた。
嬉しい言葉、嬉しい想い。
「その子を守るために強くなりたかった。俺は彼女の中に存在したかった。彼女を支える一番の存在として。
でも……俺が弱かったせいで、突然俺の手の届かないところに行った。俺の言葉ももう聞こえない、顔すらみてくれない。笑ってもくれない。それどころか、今までとは全く違う臆病で逃げてばかりの人になってしまった。それでも愛しくてたまらなかった。
どうすればあなたの瞳に映るか、あなたを見られるのか、そんなことしか考えてなかった時もあります。成長してやっと言葉を交わせるようになった貴方が俺を愛してくれる、珠以を夢の中で愛していてくれたそれを知った時、俺はあなたを思い続けてよかったと思ったんです」
どうしてそんな話をいまするのか。
まるでお別れの言葉を聞いているようで、美珠からは涙がこぼれてゆく。
聞きたいけれど、聞きたくない。
「何弱気になってるの! 過去なんてみてないで未来をみなさい」
「言いたいんです。散々傷つけた俺がいえることじゃないけど、あなたを誰より愛してる。あなただけを」
「そんなの、」
言葉がちゃんと出せなかった。
視界は涙で歪んでいたし、足は震えていた。
聞きたい言葉だったが、今聞くのは嫌だった。
「知ってるわ。懺悔の言葉ならあなたがその扉からでてきたらちゃんと聞いてあげる。私の気持ちもちゃんと言うわ。だから気をしっかりもちなさい」
けれどそれについての返事はもう何も聞こえなかった。
「どこに逃げるという」
急いでラクダの用意をしていた春駒の前に立ったのは聖斗だった。
「べ、べつに逃げるなんて、ちょっと遠駆けに」
「死の病の女をつれてか」
聖斗は半ば理解していたが、それでも目の当たりにするとふつふつと怒りがわいた。
春駒の後ろに隠れる女はもう死の病から抜け出しつつあった、好敵手ともいうべき仲間の為に作られた薬を使って。
「春駒様、ここは私が」
一体何度、力の差を見せつければ気が済むのかまたアーシャーが剣を抜いて立ちはだかった。
けれど彼の瞳は決して屈してはいなかった。
「我々の想いの方は強いのです。それは何にも負けない」
「アーシャー、済まぬ」
春駒はラクダに恋人を乗せようとしたがその前には一人の女。
その女は口調こそは軽いが眼差しはきつく春駒を睨んでいた。
「あんたたちの兄妹愛はわかったけどね、正直許せる状況じゃないんだわ。私たち」
剣など持てない春駒はそれでも剣に手をかけた。
「馬鹿にされちゃ困るね。私らがあんたよりも想いが弱いわけないでしょ。私らなんちゃって兄妹はたった一人の人に命を懸けるために強くなったんだ」
聖斗は肯定も否定もせず、一つ地面を蹴るとアーシャーの腕から剣をたたき落とし、そしてあっという間に地面に伏せさせた。
「アーシャー!!」
「兄さん……」
リースは苦しそうに兄へと視線を向ける。
その前にはもう一人少年がいた。
「薬使っちゃったの? 俺の兄貴の為に作ってもらった薬」
アーシャーの前に座ったのは紫髪のイカレタ男だった。
少年は一枚の紙を見せた。
「この花、みたことない?」
見ようともしないアーシャーの頭を力いっぱい少年は踏みつける。
「俺は騎士でもないし、紳士的なことはまったくしないよ。うちの兄貴を助けるためだったらお前ら兄妹なんてどうでもいい。妹拷問にかけようか? 今なら弱ってるだろ?」
この黒い小さな国明を見て、聖斗と珠利は肩をすくめた。




