激情の大地 第十三話 感染
「また呪いか」
魔宗が王のそばに控えて数時間、何かを感じたのか面倒そうに立ち上がると弟子へと目を向ける。
魔央も何か来る、それだけは理解しつつ頷いた。
一方、王は堂々たるもので、魔法使い二人に目を遣るだけ。
「おい、大して強くない我が弟子」
「はい」
今回もまたその呼び名を甘受することになる。
魔央はあきらめて師匠の前に跪いた。
「お前の弟弟子がくる。門まで迎えにいってやれ」
「優菜ですか。わかりました」
「ああ、国王騎士を起こして連れて行っておけ」
「そんな。わざわざ派手な出迎えなどしなくとも」
「ううんと派手なのが必要だ」
ふざけている訳ではなさそうだ、おそらく何か良くないことが起こる。
魔央はそれだけを察し、足早に国王騎士を召集することにした。
優菜は慎一とともにラクダを走らせていた。
このラクダ、カナンで今から行商に行こうとしていたおじさんの目を盗んで拝借したものだった。
雪の地で育った二人には図鑑でしか見たことのない生き物で、見た瞬間、感動を覚えたが拝借したことに気が付かれた途端、おじさんと、「とんでもないもの」に追われることとなり、おびえて逃げるラクダに身を任せるうち、扱いを覚えた次第だ。
そんなこんなでカナンから離れることができた慎一はどこまでいっても、驚くほど冷静だった。
優菜は正直、心臓がバクバク音をたてているにも関わらず。
いや、優菜も表面上は冷静を保っているから実は慎一もドキドキしているのだろうか。
「あいつに飲み込まれたら別次元ってことはないんだろうか」
「胃散でとかされるのだけは絶対に勘弁!」
二人の後ろにはとてつもない魔物がいた。
大口を開けて迫ってくるなんとも形容しがたい魔物だ。
それは要は口だった。
口の周りに黒いもじゃもじゃとした体毛のような髭があったが、目や鼻はない。
体もない。
丸い図体のただの口だ。
「よっし、あともうちょい」
カナンからただひたすら、休憩なくラクダを走らせ続けた二人の視線の先に砦が見えていた。
目的地の紗伊那最南端の砦だ。
「でさ、あの口、砦を丸ごと飲みこんじゃったりしないよね? そんなことしたらめっちゃ怒られるよね」
「さあな、やってみるか」
速度を上げて砦へと進ませると砦の前に人の姿が見えた。
「絶対に怒られるだろうな。何連れてきたんだって」
「だろうな」
慎一とうなづきあって左右に分かれると陣形を保っていた国王騎士の中へと突っ込んだ。
ただ優菜たちがここに来るのは織り込み済みだったようで、陣形が崩れることはない。
むしろ優菜がどうしたとさえ思わせる落ち着きっぷりだ。
優菜が振り返ると、
「信じられないものを連れてくる、この団長の不在時に」
先頭に立っていた国廣は文句を一つだけ言って剣を抜いた。
それが合図だった。
魔法騎士の魔法と国王騎士の物理的な攻撃が得体の知らない口を肉の塊へと変えてゆく。
けれど優菜にそれを見守る暇は与えられてなかった。
「優菜!」
駆け寄ってきた魔央に体を支えてもらいながら頷いた。
「ヒナの大事な情報もってきた」
「王の元へ行こう」
*
美珠は事態は解決へと向かっているのだと満足していた。
ここに国明がいてくれる、そのことが心を強くさせた。
そしてなんと、聖斗に連絡を取ってくれるという。
彼もまたここで奴隷をしているのだろうか。
案外自分達を遠目に見ているのではないのだろうか。
遠くで鐘がなった。
仕事を始める時間だという合図だ。
のそのそと小屋からでて、置いてあるスコップを持って途方もなく広がる砂を掘り進めるのだ。
「腕はいたくないか?」
そう国明が覗き込むように尋ねてきた。
口調は砕けたものになっても護衛のように寄り添ってくれるのはありがたい。
そしてさりげなく自分のために日よけになってくれているのだ。
甘やかされてしまって申し訳ない気持にもなった。
「大丈夫、魔石をみつけなきゃ」
そう意気込む美珠の手に国明の手が触れた。
何かと見上げる触れ合った手の平に何かがある。
つるつるとした表面の硬いもの。
そうっと手を開いてみると、そこには赤い石があった。
「もしかして」
「時間差で行こう。先に俺が行く。二人同時は怪しまれるから。向う先に目当ての人がいる」
「そう! そうなのね! 分かったわ」
一つ頷き合うと国明は先に美珠の元からゆっくりと遠ざかってゆく。
もう、これで戻れるんだ。
本当の自分に。
そんな気持を抱えながら壁へと目を遣ると、そこにはあの兄が立っていた。
彼はただ静かに、そしてどこか悲しそうな表情を浮かべ自分を見ているようだった。
どうしてそんな哀れみの目を向けているのか。
声の限り叫んでも答えがこないことはわかっているが、少しでも理解できることはないのだろうかとそちらに足を進めると、突然、頭の上から大量の水が降ってきた。
しかし水だと思ったものは赤く、粘り気があった。
目に入ったようで、目もろくに開けられず、鼻と口に鉄の匂いを感じる。
顔をあげ何度も目を擦ると赤毛のそばかすが怯えた顔で逃げてゆくのが見えた。
「おい、あいつやべえぞ」
不意に奴隷達がざわつき出した。
それは自分に向けられたものだった。
彼らの瞳には恐ろしい光景が映っていたのだ。
一人の女が赤毛の奴隷に頭の上から甕いっぱいの血液をかぶせられた。
そしてここでの血液はあるものを意味していた。
「あいつ、疫病!」
「近寄るな! あっちへ行け!」
美珠は一体自分に何が起こったのかわからないままに視線を彷徨わせ、両手で血をぬぐっていると、今度は石が飛んできた。
肩にあたり痛みに顔をしかめる。
「な、なんですか! 一体」
「さっさとここから出ていけ!」
「疫病は向こうで果てろ!」
たくさんの奴隷たちが石つぶてを投げつけてくる。
男も女も怒りでそんなことをしているわけではないのがすぐにわかった。
一様におびえているのだ。
「いたっ!」
尚も状況が理解できずたたずむしかない美珠の視界に四四四四四が口と鼻を押さえながら手を挙げて入ってきた。
「ねえ、これは!」
「お前、ここに死の疫病が流行っているというのは知っているのか?」
彼の瞳にも憐みとかそういった類のものはなかった。
「疫病なら聞いたわ」
「その内容は?」
美珠が首を振ると四四四四四は首を振った。
彼は別に赤の他人の、その上奴隷がどうなっても別にいいようだったが、疫病に自分まで感染するのは嫌だと主張するように美珠には一切近寄ってはこなかった。
「この疫病はとても性質の悪いもので、発症するとものすごい感染力がある。飛沫感染、経口感染、血液感染。とにかくありとあらゆる方法で感染して、感染すれば確実に死に至る。三日間苦しみぬいて」
「それは」
「今、きっと疫病にかかった奴の血をかけられた。あんた看守にぼこぼこにされて怪我してたし、確実に感染したと考えて、吐血してから三日しかいきられない」
四四四四四の目があまりにも真剣なもので美珠はすぐに自分の陥れられた状況に気が付いた。
「まさか、私また狙われて」
そのためにここに入れられたというのか。
さっきの赤毛の男は敵の一味だったのだろうか。
「とにかくその血を流さないと。更に被害者出すことになるな。あっちに疫病の人間が使う専用の井戸があるから、さっさとそっちに行け!」
四四四四四がそういって離れた途端、また奴隷たちから石つぶて攻撃にあった。
ただ美珠はそういわれて砂漠の隅で朽ち果てるわけにはいかなかった。
どんなことになっても帰らなきゃいけないのだ。
けれど大きな石が額に当たり、痛みで膝をついた。
頭がくらくらする。
けれど奴隷たちの怒声と石つぶての攻撃には終わりはなかった。
ーこのままじゃ、殺されてしまう!
突然、きつく何かがまきついた。
自分でない何かに石の衝撃が吸収され、怒声と石の感覚が遠ざかる。
それと引き換えに感じるのは人の肌のぬくもりと大好きだった匂いだった。
けれどそれはここにあってはいけないもので、理解すると同時に離れようとしたのだが、相手は逃げようとする美珠の手をつかむとまた自分の体で美珠を抱きしめる。
容赦ない石つぶてから美珠の魂の入った知らぬ女を守るために。
「少しでもおそばを離れて申し訳ありませんでした」
「だめ。絶対に。離れて、お願いだから」
そう懇願しても相手はただきれいな切れ長の目を細めただけだった。
「そんなことできるとでも?」
優しく耳元に囁かれ、美珠がうるんだ瞳を持ち上げると、そのまま国明は美珠の姿ではない美珠に唇を下ろした。
舌を感じて、これではいけないと何度も突き放そうとしてもまったく離れなかった。
「あんた正気か!」
四四四四四がそばで叫んで、わめきまわっていたが国明は唇を離すと、ただ美珠を見てやさしく撫でた。
「もし死ぬとしても、今度はあなたと同じ時に死ねるんだ、もう取り残されなくてもすむ」
彼の行動、言葉がまったくもって理解できなかった。
「あ、あなたは、何を考えてるの」
「貴方が苦しい時、俺が一番その苦しみを分かることができる。他のだれでもなく俺が」
そうかみしめるようにつぶやいた国明は全くもってこの状況に対し、消沈することはなかった。
目が合うとわざと笑みさえ浮かべてみせる。
「まあ、でも何もせずに死ぬのはいやだし、散々抗って、隔離された二人っきりの部屋であなたといちゃいちゃして、それでもだめだったらあなたと死ぬ。それでいいですよね?」
この人何言ってるのだろうか。
自分たちは死ぬかもしれないのに。
勝手に生きる日々を限定されてしまったというのに。
「じゃあ、血でも流しに行きましょうか。一緒に洗いあいっこしますか?」
「い、いらないわ!」
国明は四四四四四に視線を向けて穏やかに微笑むと何とか平常心に引き戻った美珠の腕をつかんで立たせ人気のない方へと連れて行く。
疫病患者の居場所であるが、多く遺体が乾燥した土地のために干からび、腐ることなくることもなく朽ち果てていた。
そしてそれ以上に多くの人々が今なお血を吐きもがき苦しんでいた。
「ねえ、待って! あなたは感染していないかもしれない。でも、ここに入ったらあなたまで絶対感染するわ! いいから、私待ってるから、聖斗さんに」
「きっともう手遅れです。俺も口も手も血まみれですから」
国明が淡々と井戸をくみ水を用意している間、美珠はいろいろなことがぐるぐるとまわっていた。
今自分達は病魔に襲われている。
ものすごく時間が限られている。
限られてしまったのだ。
お互いまだまだやりたいことはたくさんあるのに。
涙が頬を幾筋も伝っては落ちていった。
国明を巻き込んでしまったのがやりきれなかった。
彼は突如として美珠の置かれた状況を瞬時に理解し、そして自分に死が訪れることがわかっていながらもこっちの道を選んだのだ。
どうしてそんな盲目的なことをしてしまったのか。
「ねえ、どうして私の志を継いで生きるほうを選んでくれなかったの?」
どうしてわざわざ自分から疫病なんぞにかかりに来たのだという怒りだってわいてくる。
けれど美珠がどれだけ怖い顔になっても国明は笑みをたたえていた。
「あなたの志を継いだ人間なら多くいます。でも今こうしてあなたと過ごせる人間は俺だけでしょ? こんな場所にあなた一人っきりになんてさせてられない。
あなたのことだ、感染したのだったら、うつっちゃいけないって誰も寄せ付けない。みんなが、きっと特に相馬や珠利があなたの世話をしたくても、避けまくるでしょ?
もしかしたら一人でどっかに行こうとしてしまうかもしれません。でも俺も一緒の病なんです。あなたと同じ寿命であなたと一緒にどこにでも行ける」
「そんなの」
「もうあなたのいない世界に一人でいたくはないから」
笑みもなく真剣な表情でそういわれると心までが震えた。
その言葉にどれほどの意思が込められているのか。
彼は一度取り残されて人格を崩壊させた。
姫のいない世界でどうなるか、もう十分わかっているのだ。
美珠は瞬時に理解した。
だからもう誰がせめても自分は彼に対し、感謝をするべきなのだと思った。
水を入れた盥を受け取って美珠は頭から水をかぶる。
頭からかぶった血が足元へと流れてゆく。
たかが自分のために、そのためだけに彼はこんな道を選んだ、そう思うと涙がにじんだ。
自分は死んでも国明には生きてほしかった。
大好きな人だからこそ、どうしても生きていてほしかった。
「本当に発症して三日後に死ぬの? 何か薬はないの?」
「聞いた情報ではありませんでした。確実に死に至る病だそうです」
そんな言葉を流したくて、もう一度盥に水を汲んでもらって、また頭から水をかぶった。
髪から滴る雫を拭い、顔をあげるとそこには優しい顔をした男がいた。
「後悔とか、ない?」
「今更ですよ。それに前に言いました。あなたと同じときに心臓が止まりたいって」
それは二人で過ごした甘い時の話。
けれどその時、思い浮かべたのは彼が剣すら握れないおじいちゃんになってからの話だったはずだ。
「私は嫌よ」
「優菜君とが、良かったですか?」
フイと視線を逸らした国明のその視界にわざわざ入りこんで、それから力を込めて見上げた。
「そうじゃないわ! こんな風に死ぬのもあなたを死なせるのも」
「もちろん、それは俺も同じです。これ以上、敵の策略なんかに乗ってやるつもりはない。
もちろんじっとしてるつもりはありません、だから言ったでしょ、抗ってやるって。
で、ついでにあなたに触れられるのは俺だけだし、触りまくってやるんです」
悪びれた様子もないその笑顔に美珠も悲観してばかりもいられず笑顔をつくることにした。
「でも、この体は私じゃないわ、それでもいいの?」
「見た目が違っても、俺は美珠様と一緒にいる。貴方と一緒にいられたら、これほど嬉しいことはありません」
自分だって国明の姿が他の誰かであったとしても一緒にいることを選ぶに違いない。
「珠以……、ありがとう」
「ええ。体の血を落として、それからここを出ましょう。発症までにはまだ時間があるはずです。
奴隷生活とはおさらばです。情報を集めるのは人の手が多いのに越したことはありませんから」
「うん」




