激情の大地 第五話 運命の相手
「ここにいる奴隷は常時二千を超えます」
美珠は領主の息子春駒から石塁の上に設けられた見張り台で説明を受けた。
その姿は王都とはあまりにかけ離れていた。
人の多さというものは案外かわらないのかもしれないが、王都には活気がある。
人々の声がたくさん響いてくる。
けれどここには活気というものがないのだ。
眼下には風に舞い上がる黄土の砂、そしてぼろを纏った人々。
それとは別に鞭を持った人間が立っており、中にはその鞭を振るっている人間がいる。
鞭打たれた人は必死に許しを乞うていたが、男が一心不乱に楽しんで打ち付けていた。
美珠は許せなかった。
自分と彼らに何の違いがあるというのか。
「下を見せて下さいな」
怒りを滲ませながらそう春駒に願い出ると春駒は深く考えることもなく美珠を誘った。
衛兵に守られた鉄製の強固な門を開き奴隷の大地へと踏み入れると砂の粒が容赦なく顔を襲ってくる。
強い風にあおられ、ぱちぱちと弾けるように顔にあたり、容赦なく目にも口にも入ってきた。
目をこすり何とか薄目で前を向くと今もなお、石塁の上でみた人間はまだ鞭で打たれていた。
既に肌は裂け血に染まっている。
一体どれほどの時間打たれたというのか。
美珠は一目散にそこへと向かった。
途中で珠利と相馬が止めようとしたけれど、それは口先だけのことのようで本気でとめるつもりはなさそうだった。
それは魔希においても同じだった。
美珠は鞭を持つ人間の前に立ちふさがった。
看守はそれが姫だとは全く気がつきもせず、怒鳴りつけたがそれをすぐに春駒がその看守を殴りつける。
「この方は怪我をしています。すぐに手当てを」
その声に魔希が反応し、彼の傍へと寄った。
一方命を救われた奴隷はじっと美珠を見ていた。
そばかすの印象が強い赤毛の青年だった。
「大丈夫でしたか?」
美珠が屈んで泥に汚れた手を握ると男は何度も何度も首を縦に振った。
「あの!」
「はい?」
「姫様ですか?」
「ええ」
「やった、俺を愛人にしてください」
次の瞬間、美珠は汗の匂いに包まれていた。
髪に男の腕が絡みついてこようとしている。
そばには男の体がある。
全くもって意味も分からない。
この人は誰だというのか。
美珠にふれる直前に珠利が引き剥がし美珠を自分へと引き寄せた。
「何。こいつ」
「俺たち運命で結ばれているんです! こんなところで会えたんだから」
美珠は事情が飲み込めず怯んで、ただ見ているしかなかった。
「俺とあなたは運命の相手なんだって!」
興奮して話を続ける男を見ても美珠の心は何一つはずまなかった。
心ときめく言葉をかけられているのに。
「とにかく手当をして差し上げて」
愛想笑いだけを浮かべてそして、その男からするりと離れるとそのあたりを見て回ることにした。
「姫様、運命の相手だって、何か感じた?」
相馬のおちょくったような視線を軽く受け流し、それからもう一度視線を送ってみる。
彼は美珠の命により善人に豹変した看守により小屋に運ばれてゆく。
「なんでしょうね、あの人、目がそういうんじゃなかったわ」
「姫様がそう思うようになったっていうのはあの腐れ外道のおかげでもあるのかな」
珠利の言葉に美珠うなづいた。
「確かに、優菜のお蔭かもしれないわね。って珠利、腐れ外道ってまさか優菜のこと?」
「それ以外誰かいる?」
四九八七六は突然現れた姫達一行を遠巻きに眺めながら壁にもたれていると隣で背伸びをしながら見ていた四四四四四は一言。
「普通だね。まあ砂利の域は超えたかな?」
「そうか? かわいいだろう」
「いやだいやだ、これだから色男は。あの程度でかわいいって言えちゃうんだ。ねえ、あの隣のツンツンした奴は執事?」
「だろう」
「ふうん、あんなに若くて何ができるのかな。で、護衛二人か。一人は女剣士、一人はこれまた細い魔法騎士様だ。なんであの人騎士団長に守ってもらわないの? 実際仲悪いんじゃないの?」
「あの年で姫の護衛をしているんだ。二人は優秀だろうし、騎士団長も今手一杯なんだろう」
「姫の護衛より優先すべき何かがあるっていうのか?」
四四四四四はさもわかったかのように四九八七六の顔を見ながら笑ってそして吐き捨てた。
「絶対、俺の方が優秀だし」
それから面倒そうに小屋へと足を運んだ。
四九八七六も畏れ多くも姫を抱きしめようとした赤毛の四九八七七様子見に行くためにそれについてゆくことにした。
小屋の中では鞭打った看守が四九八七七と顔を突き合わせ話していたが、四九八七六の姿を見る幸せそうな顔を作り、声を張り上げた。
「ねえ、これって運命だと思いませんか! だって姫様が俺を助けてくれるなんて、そんなことが!」
「ああ、そうだな」
素直に認めた四九八七六に四九八七七はひたすら拳を握りながら自分達は運命の相手なのだと力説し続けていた。
*
「あれは?」
新入りの看守は宮廷内をあるく武人を見つけ、先輩看守に声をかけた。
今日は奴隷の配給ではなく、王が訪れた砦の警備の担当にあたり、さっそく不審な人間を見つけたのだ。
「ああ、あいつはまだ奴隷じゃない。自治区の人間だよ。ここから南にさらに馬で半日いったところにあるカナンの自治区の長だ。そうはいってもあの自治区は領主様にかなりの金を納めてる。まあ一番従ってるのはカナンの地だ」
「カナン」
看守が見ていると男は看守達に目を向けてそれから愛想もなく一つの扉を叩いた。
中から姿を見せたぽっちゃりした男は彼とその後ろにいた娘を何も言わずにすんなりと中に通した。
「あの方が春駒様ですか?」
「ああ、未来の領主さまにも媚は忘れないってね。あいつの妹を春駒さまに差し出してんだよ。奴隷でもないのに、もう奴隷と一緒。あいつの妹はよく春駒の傍を歩いてる、いい女だよ」
いやらしい笑いを浮かべる先輩看守に嫌悪感を抱きながら後輩看守はもう一度部屋へと目をやった。
「カナン、か」
*
薄い衣一枚きただけの豊満な体をした娘に香油で髪を整えてもらいながら美珠は天井を見上げていた。
瑠璃色の天井だった。
まるでこの場所では貴重な水をほうふつとさせる青い色。
視察を終えた後、美珠は春駒に勧められ汗ばんだ肌を流すことにした。
砂埃の舞う大地では髪や体が埃っぽく感じられたからよい申し出にも思えすぐさまお願いした。
するとどやどやと大勢の女たちがやってきた。
温度を見るもの、体を洗うもの、髪を整える者、一人に一つ仕事が与えられているようだった。
このところ、一人で入ることになれたせいか、大勢の人間が風呂に入ってることに抵抗心すら芽生えてしまう。
だからこそ、もっとも無駄と思えるお風呂場で歌う人は出ていってもらうことにした。
ガラス玉が埋め込まれた大きな風呂には熱い湯がこぼれるほど満たされており、そこからはラベンダーの匂いがする。
ここまで贅を尽くしたお風呂も久しぶりだった。
そんな贅沢な湯に体を浸しながら窓の外へと目をやる。
そこからは奴隷の姿はおろか、石塁さえも見えない、どこまでも広がる砂漠が見えるだけだ。
「あの人が本当に運命の人だっていうのなら、私はあの人と結婚するってことなのかしら」
先ほど興奮気味に近寄ってきた男。
もう顔も思い出せない、どんな人だったのかも。
ただそばかすの印象だけが強く残っていた。
「あのさ、見つけてこいって言われてももう無理だからね」
警備ということで風呂にいる女たちに目を光らせている珠利が、やわらかく笑った。
そんな珠利の言葉に同感だった。
「私だって無理だわ、思い出せないわ」
それに運命の人として思い出せるのは別の人たちだった。
同じ年の一緒に歩んでくれる人と、背の高いどんなことでも包み込んでくれる男だ。
同じ年の男は今頃、仕事におぼれそうになっているのだろうか。
雪の地ではなく、今度は魔法の地を見て、一緒に感動を分かちあいたかった。
そして、背の高い人は密命を帯びたとどこかへいってしまった。
何一つ語ることもないまま。
「密命って、やっぱり私には告げてくれないのかしら?」
お湯の中に顔を沈めて思い浮かべる。
必要なことを告げることはないくせに、あの人はわざわざ王都をさることを言いに来て、そして少しさみしそうな顔をして出て行った。
あの人に心が見透かされている部分もあるとは思うが、自分だってあの人のこと、少しくらいはわかる。
もっと心配してあげたらよかったのだと思う。
恋人であったときには旅立つ時には顔を見に来ていた。
そして束の間の別れを惜しんだものだ。
きっと口には出さなかったが、今回もまたその気持ちで部屋をみていたのだろう。
それをわかっている自分がいた。
きっといかないで、いかないで、私死んでしまうわとか言ってしがみつけば、きっと彼は美珠を説き伏せ、そして自らの心も鼓舞したのだろう。
けれど自分はそれをしなかった。
してはいけないと自分の心が言ったのだ。
捨てられた自分が彼に折れたくないという意地が勝ってしまったのだ。
それでも彼のことを案じる自分がいる。
(今、あなたはどこで何してるの?)
風呂から上がると生成りの麻の服に袖を通し、椅子に腰かけた。
また別の女が香油を持ってきて髪を梳き、冷たい柑橘系の匂いのする炭酸水が手渡さる。
すでにこの至れり尽くせりの空間に美珠は身を任せていた。
入浴後一息つくと、見計らったかのように入ってきたのは前髪を眉の上できりそろえた黒髪が印象的な女。
切れ長の瞳をさらに黒く縁取った褐色の肌の娘だった。
「美珠様、お食事をおもちしました」
その女を筆頭にまたたくさんの女が入ってきて、美珠の前にたくさんの食事を並べた。
たくさんのフルーツに葡萄酒、鳥を焼いたものや豆。
一体何人で食べるのか、という量。
「こんなにたくさん? 珠利や魔希君と食べるにしても、多いわね。」
「私大食いだけど、これは無理かな」
一方で魔希は食事を固辞し続けた。
毒見はもちろん紗伊那からつれてきた人間や相馬がしたが、それでも自分は警備だからとその職を徹底的に全うすると魔希は頑なだった。
「今回は絶対に姫様をお守りします」
「もう何回も守ってもらってるわ。ヒナであった時も」
美珠の返事に魔希は顔を緩め、それでも食事は受け取らなかった。
結局魔希の気持ちを尊重し、珠利と二人席について口に運んでみる。
しかし、美珠は初めての香辛料をどうにも受け付けられなかった。
すると黒い縁取りをした女はしばらく姿を消したと思うと塩焼きした鳥を持ってきてくれた。
「ありがとう」
そんな美珠の言葉に少女は少し驚いた風に頭を下げた。
「この人、こういう気さくな人だから」
相手の表情を読んだ相馬はそう声をかけて、姫の食べずにいたものを夜食にすると包んで出て行った。
部屋の人が少なくなったのを見計らって、美珠は控える前髪の切りそろえられた女性に声をかけてみた。
「少しお話をしたいの。いいかしら」
「美珠様のそのお言葉にさからえるものがおりますでしょうか」
そんな慇懃な態度に美珠は手を挙げる。
「結構たくさんの方が逆らってくださいますよ。だって私、馬鹿姫ですから。あの、あなたは、その奴隷なの?」
「いいえ、わたくしは違います。まあ、違うと申し上げても何がどう違うのかと聞かれてしまえば何とも申し上げられませんが。身分上は違います。ここよりさらに南方の自治区の長の妹でございます」
「南方の」
「はい。カナンという地でございます」
そんな地名を聞くのは初めてだった。
好奇心が雲のように湧き出してくる。
「ここより南方はどういう地が続いているの?」
「ほとんどが砂漠でございます。けれどその中には水や緑がある場所があるのです。そこに村があります。私はそういう村の一つで生まれました。何も持たず、ただ水を宝としてあがめている場所でございました」
「長であるお兄様はどういう方? 何を目指してらっしゃるの?」
その質問に少女は黙っていた。
けれどやがて自信に満ちた顔をあげた。
「我々が人として暮らせる世を」
それは美珠にとっても望むべき未来だ。
議論する価値はあるのだろう。
「もちろんです。できればあなたのお兄様ともお話してみたいものです」
「……それでは失礼いたします。私明日の支度がありますので」
女はそれ以上美珠の言葉に触れず、表情一つ変えずに部屋から出て行った。
一方美珠は彼女からきいた南方の地に足を運んでみたくてたまらなかった。
「カナンかあ」
*
四九八七六はいくつかの足音に目をあけた。
小屋を抜け出すと松明の前でツンツン頭の紗伊那人が大声で姫の名前を叫んでいた。
「これは美珠姫から褒美である。姫は君たちのここでの労働に感謝しておられる」
そして彼らに一人ずつ香辛料で焼かれた鳥だの、果物だのを包んだ食事を支給していた。
人々は姫など正直どうでもいいが、いつもよりましなものにありつけると押し寄せていた。
執事は人々に姫の存在を認識させたことに満足そうに頷き、それから四九八七六に気が付くと持っていた最後の一つを上から目線で手渡した。
「ん? 君は紗伊那人か? こんなところにきて大変だな。さ、君も美珠姫様の心遣いに感謝するように」
「はいはい。ってかこっちはましな飯何日ぶりだと思ってんだ?」
聞き流し、軽く文句をいいながら包みを開くとぷりっとした鳥の足とリンゴが一個入っていた。
久しぶりの肉に胸が高鳴った。
いつもよりいい食事に興奮してありつこうとすると、風のように四四四四四があらわれ何も言わず四九八七六が今まさに食べようとしていた鳥に先にかぶりついた。
「お前!」
「たまには肉を食わせてくれ!」
「俺の肉だ! 返せ!」
「だったら名前書いとけ!」
その時はお互いののしり合い、それから貧乏くさく残りの身を奪い合った。
四九八七六は自分の人生でまさかこんなばからしい喧嘩をする日があったのかと冷静になってから思った。
*
「これが」
「そうだ」
砦へと出向いていた男が持ってきたのは数本の髪の毛だった。
それを皺くちゃになった手が受け取ると白い紙にくるみ魔方陣の中へと置く。
「これで姫を」
「苦しめ紗伊那」




