真紅の章 第九話 未来
朝、秦奈国の街を見下す丘に祥伽は座っていた。
そこは祥伽のお気に入りの場所で、父と兄とよく足を運んだ場所。
民の暮らしを見守りながら、気難しい父からたくさんのことを教えられた思い出の場所だ。
兄はどんな王と語られるのか、そして自分はどういきていくのだろうか、そんなことを黙考していると、草を踏む足音が背後から近づいてくる。
顔をあげると、そこにいたのは暗殺者でもなく、部下でもなく、人生で初めて好きになった女。
そして初めての友人だ。
その女は求婚した相手に対し照れた様子もなく、まっすぐ目を向けていた。
「嬉しかった。あなたが真剣に求婚してくれたこと」
「そうか」
美珠は隣に座ると動き出した街を眺めた。
朝日に輝き始めた鉄の街は自分の故郷とは全く違う。
匂いも雰囲気も何もかも。
ここは祥伽の国なのだ。
しばらく二人でそんな景色を見つめてから、おもむろに美珠は切り出した。
「考えたわ、私なりに。でもやっぱりあなたとは結婚したくない」
「何が不満だ? どうにか改善してみる」
そんな祥伽の顔は驚くほど静かだった。
もう美珠を叱咤するつもりはないらしい。
「不満なんてないわ。でも私はあなたと友としてこれからも過ごしてゆきたい」
「どうしても俺を男して見れないのか?」
「ええ、友だちだもの」
美珠は言い聞かせるようにそこを強調すると、隣に座って、それから手に持っていた書類を差し出した。
「なんだ?」
「これは友としての証。私と祥伽、蕗伎、私たち三人が死ぬその時まで三国での戦争は起こさないっていう公式の書類よ」
「永久ではないのか?」
「ええ、永久って言った途端にそれは嘘になりそうだもの」
「確かに、あの出来損ないの執事が作ったのか?」
「相馬ちゃんは私のために泣いてくれる人よ。私の大好きな人、そんな風に言わないで」
「まあ、なんでもいいんだけどさ、俺、ここに名前書いちゃうよ」
いつからいたのか、どこから現れたのか蕗伎はまず一番目立つところに名前を書いた。
北晋の新たなる王が同意したのだ。
美珠にとっての初めての友の一人。
彼に悪意を感じたことも恐れを感じたこともある。
けれどもう信じられる大切な友だ。
「なんでもいいはないでしょ。蕗伎のせいでややこしくなったんだから!」
「はいはい、ごめん、ごめん」
回ってきた書面に沙伊那の次の為政者美珠は名を書き加え、そして秦奈王弟祥伽に渡した。
祥伽は二人の名前が書かれた書面に自らの名前を書き加えると、ゆっくり街へと目をやった。
紗伊那とは違う、見守れる範囲の街は今日もいつもと変わらぬ朝だった。
「さてと、じゃあ祝杯しようよ。さ、お城にかえろ」
そんな蕗伎の言葉に美珠と祥伽は顔を見合わせて歩き出した。
「ちょっとゆっくり考えてみるわ」
「そう、それがいいと思う。むしろそうしてほしい」
優菜と美珠はお互いの国へと帰る前のわずかな時間、何とか顔を見ながら話をすることができた。
おそらく他人から見れば別れを惜しむ恋人に見えるだろう。
「優菜が前に手紙にかいてくれた、自分が幸せになる方法を自分で選んでくださいっていうことば、今でも有効なのね」
「そうだよ」
「でも、一つ言わせて、優菜は決して藤堂秀司なんかじゃないわ。あんな人の皮をかぶった悪魔じゃない。ちょっとでもそんなこと思った私が恥ずかしいわ」
優菜は顔を緩め、逆に目を伏せ悲しげな表情を浮かべる美珠の手を握った。
その手のひら暖かさに美珠は口許を綻ばせる。
「あたり前だろ。しばらく距離を置いて、まずはお互いの生活を成り立たせよう。ね」
「ええ。でもたまには優真には会いに来てあげて」
「もちろん」
何をどう選ぶことが正解なのか、今まだ美珠にはわからない。
だから今から必死に考えなくてはならない。
でも一人じゃない。
とにかくたくさんの人がいてくれる。
立ち止まれば誰かが手を貸してくれるに違いない。
だからもう一人で走りだすことはやめよう。
美珠は動き出した馬車について少し歩いた。
すると優菜が窓から顔をだして美珠のほほにふれた。
そのやさしい顔を見ていればやはり自分はこの人が好きなのだ、と思う。
「俺は絶対にヒナのそばから離れない。ヒナがいてくれたから俺はきっと藤堂秀司にならなくてすんだ。俺は明るい場所を見ていられるんだ。
俺はヒナの国の、ヒナの作る国に協力したい。そのための礎になる。それは俺の夢なんだ。たとえどんな立場でも。それだけは覚えといて」
「わかってる。待ってるから」
*
「で? どうなったの?」
相馬は帰りの行程表を燕尾服の内ポケットに入れて顔をあげた。
「遠距離だけどさらに距離をおくことになったわ」
「で、これはみんなに伝えたほうがいいの?」
吹聴されてたまるか、と美珠は思う。
「いいわ、私もう少し考えたいの」
「そう。それも大切かもね。今回も婿は見つからなかったけど、国の強固なつながりはできた。お手柄お手柄、姫様」
「偉そうに。さてと、帰りましょう」
「慰めがわりに誉めてあげてるのに」
「口、つねるわよ」
相馬と軽口を叩きながら、美珠は父を待たせていた馬車に乗り込んだ。
左右を国明、光東に守られて馬車は動きだす。
やがて外を見ていた父が手をあげた。
何があるのか、と顔を向けると祥伽が一人、丘の上から手を振っていた。
美珠は馬車の窓をあけ、そこからとにかく手を振った。
彼と結婚しても不幸せには絶対にならなかっただろう。
でも自分は未確定の未来を選ぶことにした。
「国の未来と、私の未来」
平和で豊か、そして身内が殺しあわなくてもよい、そんな国を自分は作る。
誰もが苦しまず普通に暮らせるそんな国だ。
幸せなものであって欲しいと願う未来。
そして自分もまた幸せになりたい。
いいや、幸せになれる方法を自分でつかんでやる。




